人としての器 https://h-utsuwa.com Sat, 18 Jul 2026 10:11:46 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=7.0.2 https://h-utsuwa.com/wp-content/uploads/2023/04/cropped-1341aeb807d163f4102d2eae8683057f-1-e1682147545213-32x32.png 人としての器 https://h-utsuwa.com 32 32 法人向け「マネジメント実践プログラム 〜技を学び、器を磨く〜」を開発しました https://h-utsuwa.com/service/yasabi_program Sat, 18 Jul 2026 10:11:46 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=7023 このたび、株式会社やさしいビジネスラボ(代表:中川功一)と共同し、企業の管理職を対象に、マネジメントの理論・スキル(技)と、リーダーとしての人間的な器(心)を、現場での実践(体)とともに半年かけて育てる「マネジメント実践プログラム 〜技を学び、器を磨く〜」を開発しました。

なぜ、このプログラムをつくったか

管理職は、「成果を出す」と「人を育てる」の間で板挟みになりがちです。

スキルや知識を学んでも現場の悩みは消えず、「何をするか」の前に「どうあるか」が問われる場面が増えています。

一方で、これまでの管理職研修は理論やスキルの習得に偏りがちで、「人としてのあり方・器」を正面から扱うものはほとんどありませんでした。

このプログラムは、経営学と「人としての器」の研究知見を掛け合わせ、その空白に応えます。

プログラムの特徴
  • 経営学 ×「器」の科学 … 経営学者・中川功一のマネジメント理論と、「人としての器」の研究に基づく器理論・診断・対話手法を組み合わせた、両社でしか実現できない設計です。
  • 心・技・体は不可分 … 「心(器)」「技(マネジメント)」「体(現場実践)」を切り離さず、各回で「理論を学ぶ→職場で試す」までをセットに、半年をかけて一体で高めます。
  • 成長を可視化 … 器診断で自分の現在地を把握し、最終発表会で半年の変化を言葉にします。全8回・約半年・個社型(1社の複数部署から参加)で実施します。

開講は2026年10月を予定しています。詳細はプレスリリースをご覧ください。
お問い合わせはこちらから。

▶ プレスリリース全文:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000027.000107365.html

経営学 ×「人の器」の科学で、管理職の”技”と”器”を半年で育てる 法人向け共同プログラム「マネジメント実践プログラム 〜技を学び、器を磨く〜」を2026年10月に開講
株式会社やさしいビジネスラボのプレスリリース(2026年7月13日 13時00分)経営学 ×「人の器」の科学で、管理職の”技”と”器”を半年で育てる 法人向け共同プログラム「マネジメント実践プログラム 〜技を学び、器を磨く〜」を2026年1…
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心理学ワールド第114号にてコラムを掲載いただきました https://h-utsuwa.com/news/psych_world_column Sat, 18 Jul 2026 08:50:43 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=7021 日本心理学会が刊行している心理学ワールド第114号に『古くて新しい概念「人としての器」の探究』というタイトルでコラムを掲載いただきました。

以下のリンクよりご覧いただけます。

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WEB労政時報にて『組織の器』の書評を掲載いただきました https://h-utsuwa.com/news/rousei-review Sat, 18 Jul 2026 08:43:27 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=7019 WEB労政時報にて『組織の器 なぜ「正しい」取り組みをしても人と組織は変わらないのか』のBOOK REVIEW(書評)を掲載いただきました。

以下のリンクよりご覧いただけます。

『組織の器 なぜ「正しい」取り組みをしても人と組織は変わらないのか?』|WEB労政時報
人事パーソンへオススメの新刊をご紹介。毎月第2・第4金曜日に更新いたします。

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日本の人事部主催「HRカンファレンス2026夏」の8月27日に登壇します https://h-utsuwa.com/event/hr-conference-202608 Thu, 09 Jul 2026 08:52:14 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=6885 「人が育たない、でもすぐに成果を出さなければならない」

——こうしたジレンマを抱える人事担当者は少なくありません。

成果を急ぐほど育成は即効性のあるスキル習得に偏り、リーダーが自らの「器」を育てる余白が失われ、人が育たないまま短期成果に頼り続ける悪循環に陥りがちです。

本講演では、対話を通じてリーダー個人が「器」を磨くアプローチと、人材戦略・データ分析・評価制度の設計など「組織の器」を広げる仕組みづくりの両面を解説します。

後半のディスカッションでは、自社の課題を持ち寄り、他社の知見を交えながら具体策を共に探っていきます。

リーダー育成の課題に向き合うヒントを、ぜひ持ち帰っていただければ幸いです。

  • 講演タイトル:
    成果偏重と疲弊の悪循環を断つ『組織の器』の広げ方――リーダーの「器」を磨き、人が育つ組織をつくるには
  • 日時:2026/08/27(木) 12:50-14:10
  • 場所:ベルサール東京日本橋 4F(〒103-6005 東京都中央区日本橋2丁目7-1)

お申込みはこちら:https://jinjibu.jp/hr-conference/202608/program.php#E-5

プログラム一覧|日本の人事部「HRカンファレンス2026-夏- in 東京」
8/26(水)・27(木)、ベルサール東京日本橋で開催。講演リストはこちらをご覧ください。


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7/24開催【YouTubeライブ】『”人の器”は、科学だった。──経営学が解き明かす、これからのリーダーの育て方』(やさしいビジネスラボ主催) https://h-utsuwa.com/event/7-24_science-of-human-capacity Mon, 06 Jul 2026 02:53:12 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=6822 「スキルは十分なはずなのに、なぜかリーダーとして一歩足りない」
——頭ではわかっていても、その”何か”を言葉にできずにいませんか。

その正体は、リーダーの「器」かもしれません。しかも近年、”器の大きさ”は
感覚の話ではなく、研究に裏づけられた理論として語れるようになってきています。

今回のライブでは、やさビ学長・中川功一が聞き手となり、「人としての器」を
研究する羽生琢哉氏・高橋香氏をお迎えします。前半は「人の器を科学する」
とはどういうことか。後半は「では、器はどう磨くのか」を、実際のワークを
交えて体験形式でお届けします。

管理職の育成に関わる人事・経営の方、そしてこれからのリーダー像を考えたい方へ。
当日ご覧になれない方も、アーカイブでぜひ。

2026年7月24日(金)20:10〜(約60分)/YouTubeライブ
 中川功一(やさしいビジネスラボ)× 羽生琢哉・高橋香(人としての器)

 視聴URL:https://youtube.com/live/BZP6r8OiNr0?feature=share

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森保監督の「器の大きさ」――人が育つチームづくりの秘訣 https://h-utsuwa.com/outline/poichi Tue, 30 Jun 2026 02:22:48 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=6787 2026年のワールドカップ。惜しくも決勝トーナメント1回戦で日本代表は敗れましたが、その戦いぶりを見ながら、森保一監督の「器」について考えてみました。

森保監督については、これまでさまざまな評価がなされ、監督就任当初から「選手任せで戦術がないのではないか」「リーダーシップがなく、前に出ていないのではないか」「もっと細かく指示すべきではないか」といった声も少なくありませんでした。

しかし、選手たちの声を聴くと、かつてないほど、チームワークがいいと口々に語ります。

もちろん、強くなった要因として、個人のレベルが上がった点もありますが、明らかにチームの雰囲気がいいのが特徴です。

今回、その秘訣を探ろうと、森保監督に関する3冊の書籍(『日本のために!』『逆転監督 森保一』『プロサッカー監督の仕事』)を読み込み、森保監督の考えやチームづくりに関する記述を分析することにしました。

なお、このうち『プロサッカー監督の仕事』は、まだサンフレッチェ広島を率いていた頃の自著で、日本代表監督になる前の記述ですが、当時の考え方は立場の変わった今もほとんど揺らいでいないように思えました。

分析を通じて、森保監督の「器」の核にあるものとして見えてきたのは、批判の的になりがちな「指示を出さない」「リーダーシップがない」「前に出ない」「選手に任せる」という姿が、むしろ器の大きさの表れなのではないか、という見方です。

以下では、チームづくりの基本機能である「①信念」「②採用」「③組織づくり」「④人材育成」「⑤日常の関わり」に沿って、森保監督の「器」のポイントをひも解いていきます。


① 信念:「自分」を後ろに置くリーダー

まず土台となるのが、森保監督自身が何を大切にしているかという「信念」です。

森保監督の意識は、「自分」よりも「チーム全体」へと、一貫して向けられています。

たとえば、リーダーとしての「自己」について、次のように語っています。

「大きな目標があって組織がどう向かっていくかを考えれば、自然にリーダー自身の『自己』はどこかへ飛んで行くのかなと。最終的にリーダーの『自己』はなくなると思います」(『逆転監督』p114)。

また別の場面では、こうも語っています。

「私は日本代表の勝利と日本サッカーの発展のために監督をやっていて、それがひいては日本のためになると思ってやっています。その原理原則を持っていれば、自分のプライドはどうでもいい」(『逆転監督』p98)。

「リーダーの自己はなくなる」「自分のプライドはどうでもいい」といった言葉から、森保監督の価値観の根幹には、自分を中心に置かず、より大きなもののために動かされているように見受けられます。

なぜ、このような形で「自己」を前面に出さずに、自然と背景に置けるのでしょうか。

その手がかりは、若い頃の経験にあるのではないかと考えられます。

森保監督は、選手としては決して「天才」と呼ばれる存在ではありませんでした。

高校卒業後、マツダ(現サンフレッチェ広島)に入団したのは、長崎日大高校時代の監督とマツダの今西和男総監督に繋がりがあったことがきっかけで、新人5人枠のうちの特例の6人目の選手、すなわち「ビリ」だったという回想が語られています。

それゆえに、こだわるべき自己流もなく、当時のオランダ人指導者だったオフト氏の言うことを素直に受け入れ、すべて吸収しようとしたという原体験がありました(『逆転監督』p46)。

プライドが邪魔をして助言を受け入れられない選手が少なくないなかで、当時の森保氏にはそれがなく、当時の関係者は、彼を「吸収の天才」と評していたと言います(『逆転監督』p47)。

自分を「空」にして、素直に人から学ぶ姿勢。

この習慣づけが、「自己」を後ろに置ける現在の姿につながっているのではないかと考えられます。


② 採用:「チームのために」を基準に選ぶ

『逆転監督』の中では、中学時代の森保氏は、仲間を大事にしていて、常に周りに人が集まっていたというエピソードが語られています(『逆転監督』p20)。

中学2年生だった森保氏の仲間のひとりが、3年生のグループに暴力を振るわれたとき、森保氏は燃え上がり、仲間を集めて殴り込みを決意するほど、仲間想いで正義感が強かったとのことです。

そして、「仲間のために動けるかどうか」という自身が大切にしてきた価値観を、選手を迎えるときの採用基準にも置いているように考えられます。

クラブ監督時代の森保監督が求めていたのは、「チームの一員として献身的にプレーできる人間性を持った選手」でした(『監督の仕事』p65)。

突出した個の力よりも、チームのために戦い、その輪に溶け込める人。

いわゆる「チームのために(for the team)」という姿勢を重視しています。

代表監督としても「チーム一丸」を大切なスローガンに掲げ、一人ひとりが個を出しながらも、利他の姿勢を持つことこそがチームを強くするのだと語っています(『日本のために!』p26, p63)。

しっかりした個がありながら、驕らず他者の違いを尊重できる。そのうえで「和」を大事にするといった考えが、採用基準にも反映されているのです。


③ 組織づくり:相反するものをあわせて抱える

森保監督の組織づくりに関する記述を読んでいて興味深く感じたのは、相反することを、どちらか一方に振り切らずに成り立たせている点でした。

ひとつ目は、「任せること」と「責任を負うこと」の関係です。

森保監督は、クラブ時代から、練習メニューを専門家であるコーチに信頼して任せて、できるだけ口を挟まない、というスタイルを貫いてきました(『監督の仕事』p39)。

この権限委譲の姿勢は代表監督でも変わらず、練習は基本的にコーチ陣に委ね、自分は一歩引いた場所から全体を見る、スタンスを取っているとのことです(『逆転監督』p131, p138)。

一方で、コーチには「最後の責任は僕がとるので、自由にやってください」(『監督の仕事』p40)と言い、選手がコーチのやり方に反発したときには、選手に「コーチの考えはオレの考えと同じだから」と伝えているようです。

コーチの言葉の責任を、すべて自分が引き受ける。

そうすることで、コーチが自信をもって思い切り仕事をできる体制を整えているのです。

目指すべき大きな方針だけは示し、具体的な進め方に関する権限は手放すけれども、最終的な責任は手放さない。これが、いわゆる「丸投げ」とは異なる任せ方として実践されています。

ふたつ目は、「自由」と「規律」の関係です。

森保監督が目指すのは選手が過度に萎縮しないチームであり、細い道を神経質に歩かせるのではなく、一定の許容範囲があって、自由にリラックスして動けるチームでありたい、と語っています(『日本のために!』p37)。

しかし、一方で、挨拶、時間を守ること、礼儀、SNSでの振る舞いなど、厳しくルールや規律を求めることもあります。

特に『チームを批判する人間』と『チームの輪を乱す人間』は厳として許さず(『監督の仕事』p57)、「内輪の問題は内輪で解決しよう」といった規律については、はっきりと線を引いています(『日本のために!』p60)。

自由にさせながらも、譲れない一線は守る。緩めるところと締めるところ、任せる部分と引き受ける部分を、どちらか一方に寄せるのではなく、バランスを見ながら、両方の矛盾をあわせて抱えようとしているのです。

みっつ目は、「グループありき」と「個性ありき」の関係です。

森保監督は「チーム一丸」というコンセプトを大切にしつつも、「最初からグループありきでチームづくりをしない。個性があって、その個性が融合してひとつのチームになる」と語っています(『逆転監督』p106)。

この「個性の融合」こそが、日本らしいサッカーの良さでもあり、型にはめてまとめるのではなく、余白を残しておき、そのなかで個性が混ざり合っていくことを大事にする点が、森保監督が理想とする組織観であると推察されます。


④ 人材育成:成長に向けた「問い」を渡す

森保監督の育成スタイルを一言で表すなら、「答えを教えず、自分で考えて判断させる」という点にあります。

選手にもスタッフにも「どうしたらいいと思う?」「どうだった?」と質問をし、仮に投げかけられた側に多少のストレスがかかったとしても、自分で考えてやった分は必ず身になる、という考え方を大切にしています(『逆転監督』p114)。

答えを与えれば、その場は早く解決します。しかしそれでは、選手が自分の頭で考えて判断する力を養うことには結び付きません。

特に試合中は、監督の指示を待っていたら判断が遅れてしまうため、自分自身で考えて状況に対応する必要が生じます。

だからこそ、答えではなく「問い」を渡して、考えてもらうことを重視しているのです。

この姿勢は、モチベーションの捉え方にも通じており、森保監督は、怒鳴ったりプレッシャーをかけたりして選手を奮い立たせることはほとんどしないそうです。

それは「モチベーションは自分で上げるものだ」と考えているからです(『監督の仕事』p79)。

檄を飛ばすような強い声がけがなくても選手自身が自分でやる気を高められる、そうした自己動機付けのできる「自律した集団」を、日々のトレーニングからつくろうとしているのです。

また、育成における森保監督の考え方がよく表れているのが、「失敗の扱い方」です。

森保監督は、挑戦には失敗がつきものだと述べています。

挑戦してうまくいけば最高だが、必ずしも成功をノルマにはしない。それどころか、成長のために「あえて失敗してもらう」というケースさえあると語っています(『逆転監督』p114)。

若手を起用してミスが出ても、それが成長の糧になるのなら構わない。もちろん、試合後に「お前のせいで流れが悪くなった」と厳しく指摘することもあるそうですが、そこには必ず「それはお前を使ったオレの責任でもある」という一言が添えられます(『監督の仕事』p122)。

たとえ失敗をしても、相手だけを責めるためではなく、自分にも非があるということを引き取ったうえで、その後の成長につなげるためのきっかけにつなげているのです。

成長につなげるうえでは、「怒る」と「指摘」の区別も大切になります。怒るというのは、伝える側の視点から感情やストレスを相手にぶつけてしまうことで、一方、指摘とはその人の成長のために良し悪しを伝えることです(『逆転監督』p119)。

感情をコントロールし、相手のために言葉を選ぶ姿勢は、逆境に立たされても取り乱さず、「前向きに倒れれば成長につながる」とどっしり構える点や(『逆転監督』p87)、連敗が続いても性急な判断に走らず、それまで「いい」と言ってきたことを急に「ダメ」とは言い出さない点(『監督の仕事』p16)にも表れています。

どちらも、その場の感情に支配されず、選手の成長に資するという一貫した軸から判断された関わりと言えます。


⑤ 日常の関わり:一人ひとりを観て、関わりを変える

日常における「個との関わり方」に関して、森保監督は選手を「観る」ことを重んじていると言います。

観てあげなければ、選手に何も言ってあげられない。だから、まずは何よりも個々人のプレーを観ることが大事だと語っています(『監督の仕事』p20)。

その際、自分ひとりの目だけでなく、コーチたちの目線を使って、レギュラー組・控え組という枠を設けずに、できるだけ多くのメンバーを観ようと心がけていします(『監督の仕事』p28)。

期間の限られた代表戦においても、個々の選手との対話に意識して時間をかけ、「関心を持って見ているよ」ということが伝わるよう、できるだけ一人ひとりに声をかける、と述べています(『日本のために!』p50)。

そして、観たうえで、一人ひとりの状況に合わせて関わり方を変えていきます。

たとえば、責任感が強すぎて力んでいた選手には「もう少し自然体で」と声をかけ、孤独を抱えていそうな選手には、早朝のジョギングにそっと付き合うといった感じです(『監督の仕事』p16, p18)。

「選手が置かれた状況やパーソナリティによって変わってくる。だから、誰ひとりとして同じ対応はありません」と語っています(『監督の仕事』p18)。

また、代表選手たちが海外のクラブへ戻るときには、たとえ深夜や早朝であっても、可能な限り見送りに行くといいます。

その理由は、日本のために戦ってくれた選手たちへの「感謝と敬意」を示したいからとのことです(『逆転監督』p112)。

ここまでの記述を踏まえれば、「指示を出さない」「選手に任せる」という一見すると、リーダーシップが弱いように見える森保監督のスタイルにも、明確な理由があることを理解できるのではないでしょうか。

トップである森保監督は、試合の流れやチーム全体を俯瞰して見ようとしており、だからこそ、その場で慌てて口を出すのではなく、冷静に気づきをノートに書きとめ、必要なところに後で伝えるようにしているのです。

指示が少ないのは、問題が見えていないからではありません。

むしろ、全体が見えているからこそ、余裕を持って問題に対処しようとしているのであり、最前線の選手たちの主体性を信頼し、選手が自分で判断する余地を残しているからこそ、あえて指示を出す必要がないと言えるのです。


まとめ:森保監督の「器の大きさ」とは何か

森保監督は、信念として「チーム一丸」を重視して「自己」を後ろに置き、採用では「チームに献身できる人」を選び、組織では「任せながらも、最終責任は自分で引き受け」、育成では「成長に向けた問いを渡し」、日常では「まず観て、一人ひとりの状況に寄り添う」ことを大切にしています。

そのいずれもが、「リーダーである自分が中心になって、チームを引っ張る」という強いリーダー像とは、反対の方向を向いています。

だからこそ、「指示が少ない」「前に出ない」と見えてしまうのかもしれませんが、それは器が小さいのではなく、むしろ器の大きさの表れではないか、とも感じられます。

選手ら一人ひとりが自分の頭で考え、自分の力で動けるように、あえて余白を残す。

リーダーである自分のエゴを引っ込めて、主役である選手たちが育つ場所を空けておく。

相反するものを切り捨てず、両方の矛盾を抱える。

その場で沸き起こる感情に流されず、相手のために言葉を選ぶ。

こうした「受け入れる力」や「待つ力」こそが、人を育てるリーダーの器の大きさなのだと思います。

そして同時に、森保監督の視座は、目の前の戦いの勝敗を超えた先にまで広がっています。

サッカーを通じて、関わっているすべての人への感謝の気持ちを深め、日本人らしさへの誇りを育み、日本に、ひいては世界平和に貢献したい、という想いが語られています(『逆転監督』p136)。

自分のチームを超えて、その先の大きなものを見据えているからこそ、勝っても負けても、その戦いのプロセスは多くの人を勇気づけるのだと思います。

森保監督が積み上げてきたチームづくりの考え方は、サッカーや日本という枠にとどまらず、組織を率いる多くの人にとってヒントになるのではないでしょうか。


●参考文献

  • 森保一・山藤賢『日本のために!世界一に挑戦する日本人の「誇り」と「あり方」』(やまと出版)
  • 木崎伸也 『逆転監督 森保一』(文藝春秋)
  • 森保一『プロサッカー監督の仕事 非カリスマ型マネジメントの極意』(カンゼン)


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7/15開催「【少人数制WS】自律型人材の成長支援と仕組み化 」(マイナビ主催) https://h-utsuwa.com/event/7-15mynavi_ws Mon, 22 Jun 2026 08:17:43 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=6758 ■ 自律型人材が育つ組織づくりに向けて、自社の文脈に適した実践的アプローチを身につけます

1on1や目標管理などの施策を導入しても、自律型人材が育たないのはなぜでしょうか。

実際は社員に自律を強く求めるほど、かえって他律的になるというパラドックスがあります。

本セミナーでは、自律のパラドックスを乗り越えるために、独自の「器理論」を用いて、社員が自律的に育つ組織を戦略的に設計・実装する方法を解説します。

スキル教育や制度運用以前の前提となる「リーダーの器」に焦点を当て、自己理解・関係構築・環境整備などの要素を体系的に整理し、自社の文脈を踏まえながら実務に落とし込むアプローチを身につけます。


■ こんな方におすすめ
  • 1on1や目標管理を導入しているものの、自律型人材の育成に限界を感じている人事責任者の方
  • スキル教育やテクニックに偏らない、本質的な人材育成の仕組みを組織に実装したい方
  • 他社の人事の方と、組織づくりやリーダー育成について戦略レベルで議論したい方
  • 来期以降に向け、既存の人材育成施策を根本から見直すアプローチを検討している方


■ 開催情報
  • 日時: 2026年07月15日(水) 18:00~20:30
  • 会場オンライン開催(Zoom)に変更になりました
  • 対象: 企業の人事・人材育成担当者
  • 定員: 最大10名程度(募集締切:7月14日)
  • 参加費: 無料 ※申し込みにはサポネット会員登録(無料)が必要です

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【ワークショップ】自律型人材の成長支援と仕組み化 ― 人が育つ組織をつくる、リーダーの『器』の育み方 | セミナー | 経営と人材をつなげるビジネスメディア「HUMAN CAPITAL サポネット」
「セミナー (【ワークショップ】自律型人材の成長支援と仕組み化 ― 人が育つ組織をつくる、リーダーの『器』の育み方)」ページです。HUMAN CAPITAL サポネットは、新卒採用・中途採用・育成・定着までトータルにサポートするマイナビの情…
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なぜ若者にメンタル不調が増えているのか――社会の要求水準の変化から考える https://h-utsuwa.com/outline/youth-mental-health-rising-standards Wed, 03 Jun 2026 04:17:18 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=6681 「最近の若者はメンタルが弱い」「精神疾患が増えた」「発達障害も不登校も右肩上がりだ」――こうした主張を、よく耳にします。

2026年5月に発表された世界規模の研究(Santomauro et al., 2026)によれば、精神疾患を抱える人の数は、1990年の約6億人から2023年には約12億人となり、約30年間で2倍に増えました(人口増加を考慮しても実質24%増加)。
不安障害やうつ病などの精神疾患は、今や、生活への影響が最も大きい疾病と言われ、特に15〜19歳の若年層で深刻化する状況が示されています。

なお、上記の数字は実際に診断された人数を指しているため、診断には至らないけれど「何となくしんどい」「やる気が出ない」「人間関係が怖い」という状態まで含めると、実態としてはさらに大きな「リスク層」が存在していると考えられます。

メンタル不調の増加の背景については様々な見解があり、診断基準の拡張、社会的な認知の広がり、人口増加、コロナ禍の影響など、複合的な要因が重なっています。

一方、本記事では、その中核的な要因として「社会の要求水準」に焦点を当てて、若者のメンタル不調の問題を考えていきます。

これまでの時代においても、メンタル不調を抱える人は存在していましたが、全人口で見れば、マイノリティ(少数派)の人たちでした。

インターネットがまだ十分に普及していない30年前(1990年代後半)であれば、多くの人が社会の要求水準に適応でき、「リスク層」に入るのは統計的にもごく限られた人たちだったと考えられます。

しかし社会の要求水準が上がり続けた結果、それに適応する基準自体が全体的に押し上げられている状況となっています。

かつては少数派だった「リスク層」が、今や平均的な人にまで広がっている――そう捉えるほうが、メンタル不調が増加する現状に対する的確な理解につながると言えます。

したがって、「最近の若者はメンタルが弱い」と言われがちですが、実際には若者の脳や気質が変わったのではなく、社会が求める水準そのものが変化しているのです。

本記事では、これを「社会的要求の三大高度化」という視点から整理して解説します。

  1. タスク処理能力の要求基準の上昇―― 学校や社会が求めるインプットとアウトプットの基準が上がった
  2. 社会的魅力の要求基準の上昇 ―― 外見・コミュ力・才能など、他者から認められるために必要な水準が上がった
  3. 情報を見極める力(情報リテラシー)の要求基準の上昇―― 正しい情報を自分で選び取るために必要な力(情報リテラシー)の基準が上がった



要因1 タスク処理能力の要求基準の上昇

1990年代後半、いわゆる「ゆとり教育」が段階的に開始された時点と比べると、現在の小学校の教科書は全教科平均で1.5倍以上の厚さになったとも言われます。

さらには、英語やプログラミングといった新しい教科まで加わり、「カリキュラム・オーバーロード(教育内容の過密化)」と呼ばれる状況が起こっています。

注目すべきは、学ぶべき内容が増えているにもかかわらず、授業時間の枠組みはほぼ変わっていない点です。

つまり、情報が複雑化する社会において、短い時間の中で高い密度の情報を処理する必要性が増しているのです。

さらには、カリキュラムの量だけでなく、求められるアウトプットの性質も変わっています。

かつては「受動的に話を聞いて覚える」という単純な学び方が主流でしたが、今では「その場で考えを整理して、グループで話し合い、発表する」という形態が増えています。

これ自体は悪いことではありませんが、一人ひとりのペースが異なる中で、全員に同じスピードでの高いアウトプットを求めると、徐々に適応の格差が生まれていきます。

こうしたペースについていけない子の多くは、「じっくり考えればわかる子」や「自分の言葉にするのに時間がかかる子」です。

しかし、現状の価値基準では、そうした子は「うまく適応できない子」として可視化され、劣っているというレッテルを貼られます。

近年、発達障害の診断数が増えている背景には、診断基準の変化や認知の広まりという要因もありますが、こうした高負荷な環境に適応しにくい子が「見えやすくなった」という側面があるのではないでしょうか。

かつては「平均的な適応力」があれば十分だったものの、今は「より高い処理能力」が求められるようになったという点が、精神疾患のリスク層を広げる第一の要因に当たります。



要因2 社会的魅力の要求基準の上昇

1990年代後半まで、若者が自分の価値を確かめる場は、主にクラスや地域という限られたコミュニティ内でした。

その中で「足が速い」「絵が上手い」「面白いことを言う」といった小さな得意技があるだけで、自分の居場所を感じることができました。

比較の範囲が限られていたからこそ、多くの若者が何らかの形で「自分にも良いところがある」と感じられたのです。

しかし、現代ではその構造が大きく変わっています。

SNSを通じて、全国・世界中の同世代の姿が常に目に入る環境になりました。

しかも流れてくるのは、特に才能のある人、外見が洗練された人、充実した日常を送っているように見える人など、「特別な瞬間」を切り取ったものばかりです。

それが積み重なると、「自分は普通以下だ」「自分はなんてダメなんだ」という感覚が生まれやすくなるのも当然です。

かつては「健康で学校に通っていれば普通」だったものが、今では「コミュ力が高く、見た目も整っていて、趣味も充実している」のが”普通”のように思えてしまう。

その結果、客観的には何も問題がないはずの若者までが、「自分には何もない」という劣等感を抱えやすい状況に陥っています。

学校では高密度なカリキュラムを課されて、帰宅後の自宅ではSNSでの絶え間ない比較にさらされる――こうした状況が日常的に続けば、不登校の子供たちが増えている現状も理解できるのではないでしょうか。

比較対象の拡大に伴い”普通”であることの基準が上がり続ける中で、否応なしに他者と比較せざるを得ない状況に投げ込まれ、自己肯定感の低下を招いていくという点が、精神疾患のリスク層を広げる第二の要因に当たります。



要因3 情報を見極める力(情報リテラシー)の要求基準の上昇

1990年代後半、若者が悩みを抱えたとき、解決策を求めてアクセスする情報源はテレビや雑誌、書籍など限られたメディアが中心でした。

そこでは編集者や専門家によるチェックが入ることが多く、玉石混交ではあるものの、一定の質が担保された情報へのアクセスができるような環境があったと言えます。

これにより、実際に悩みを抱えていたとしても、効果が期待できる専門的な方法(認知行動療法や呼吸法などの実践方法)に、どうにかたどり着くことができました。

しかし、今はネットが発達し、誰でも情報を発信できるようになったため状況が変わりました。

ネット上には良質な情報も存在しますが、情報の総量が膨大になった結果、何が信頼できるのかを見極めることが難しくなっています。

しかも、ネット上のアルゴリズムが拡散しやすいのは、複雑な現実を単純化した「わかりやすいフィクション」です。

「生まれた環境がすべてを決める」「生まれつきの性格は変えられない」といった断定的な主張は、複雑な問題をシンプルに説明してくれるため広まりやすく、直観的にも受け入れられやすい側面があります。

一方で、本当に役立つ専門的な方法は地道な実践を伴うことが多く、短い動画やSNSでは伝わりにくいがために埋もれていってしまいます。

もちろん、困難な状況に直面したとき、「相性が合わないから関係を切る」「自分の性格だから仕方ない」とすぐに結論づけてしまうような対応は、自然な防衛反応であり必要です。

しかし、シンプルな答えばかりに触れてきた結果、それを盲目的に信じ込んで、地道に実践すれば効果が期待できる専門的な方法にたどり着くことが、かえって難しくなっている現状があるのではないでしょうか。

このように質の担保された情報を見極める力(情報リテラシー)が育たないまま、わかりやすい虚偽情報に振り回されて、かえって他者との対立を生じさせてしまう点が、精神疾患のリスク層を広げる第三の要因に当たります。



まとめ

ここまで見てきた「社会的要求の三大高度化」を整理すると以下のとおりです。

1990年代後半現在
① タスク処理能力(情報の複雑化)各自のペースで限られた内容をじっくり学ぶ膨大な内容を短時間で処理し、即座にアウトプットが求められる
② 社会的魅力(比較対象の拡大)身近なコミュニティで認められれば十分外見・才能・コミュ力で全国・世界と常に比較される
③ 情報を見極める力(虚偽情報の拡大)質の高い情報に自然にアクセスできた膨大な情報の中から自分で良質なものを選び取る必要がある

社会が求める水準が上がった結果として、かつては少数派だったリスク層が、現代では平均的な人にまでリスクが広がっている状況になっています。

こうした状況において、単に「社会構造のせい」と言うだけでは事態が解決に進みません。

個人としても社会としても、以下のような対処を考えていくことが必要です。

① 速さより、それぞれのペースを大切にする

情報が複雑になり、その対処に速さを求められる時代だからこそ、あえてタイパ・コスパに逆行する形で情報から距離を取って、立ち止まる時間が重要です。

意識的にスマホや通知から距離を置く時間、自然に触れる時間、何も詰め込まない余白など、そうした時間が、自分の考えを整理する土台になります。

これは個人の工夫であると同時に、学校や職場が「早く・たくさん」ではなく「それぞれのペース」を許容できるかどうかという、社会全体の意識の醸成が必要になります。

② 他者と比べるのではなく、「自分は自分」という感覚を育てる

他者との比較ではなく、自分自身のあり方に目を向けることも大切です。

ありのままの自分を大切に受け入れて、自分という存在そのものに価値があるという感覚を持つこと。

そして、外見や才能で優劣をつける価値観から離れ、それぞれの違いをお互いに認め合える関係を育てていくこと。

これは個人の心がけであると同時に、競争より共存を重視する価値観をいかに育んでいくかという社会全体の意識に関わる問題でもあります。

③ 情報を鵜呑みにせず、問い直し、対話する

「本当にそうなのか」と一度立ち止まる習慣が、情報の正当性を見極めるうえでの出発点になります。

そして、そうした態度は、一人で育てるものではなく、信頼できる人との率直な対話の中で育まれます。

答えをすぐに求めるのではなく、一緒にじっくりと対話をしながら考えてくれる人間関係――そうした「社会的なつながり」を豊かにしていくことが必要になります。


精神疾患・発達障害・不登校の増加を「若者が弱くなった」と語るのは、現象の一面しか捉えられていません。

むしろ、社会が求める水準が変わり、かつては少数だったリスク層が今や多数を占めるまでに広がっているという実態を押さえるべきでしょう。

そして、こうした事態において、マジョリティは限界を迎えており、個人の努力のみで解決を図ることは困難な状況になっています。

余白やそれぞれのペースを許容する教育、比較ではなくお互いの自分らしさを大切にする共存の姿勢、そして、知識の正当性を問い直す対話を支える人間関係――。

こうした「社会の器」を広げていくことこそが、若者を取り巻く深刻な現状を改善するために必要ではないでしょうか。


●参考文献

Santomauro, D. F., et al. (2026). Updated trends in the global prevalence and burden of mental disorders, 1990–2023: A systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2023. The Lancet, 407(10543), 2040–2064.


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なぜ争いは起こるのか?――対立を生む三つの構造 https://h-utsuwa.com/outline/mechanism_of_conflict Sat, 11 Apr 2026 01:17:00 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=6480 「人としての器」を磨くことは、健やかさ・つながり・成果創出という三つの価値を生み出します(こちらの記事を参照)。

一方、器が機能不全に陥ったとき、この三つの次元は対立と破壊の構造へと転化します。

健やかさの欠如は「安全保障の懸念」を生み、つながりの消失は「コミュニケーションの断絶」をもたらし、成果不足は「資源の奪い合い」へと変貌します。

この構造は、組織内の人間関係における対立から、国家間の争いに至るまで共通しています。

こうした構造の背景には防衛反応が隠れていますが、重要なのは、機能不全を助長する防衛反応そのものは「悪」ではないという点です。

脅威が現実に存在するとき、自分を守ろうとするのは自然な反応です。

問題は、防衛反応「だけ」で対処し続けてしまうと、負のスパイラルが自己強化的に加速していくことにあります。

防衛力を備えることには一定の合理性がありますが、そうした対応のみに頼ると相手もまた防衛力を蓄えるという応酬を生み、いつまでたっても協力関係には至りません。

真に問われるのは、適切に自分を守りながらも、いかに相手に対して心を開き、率直な対話を行い、ともに成果を創出する関係を構築していくかにあります。


対立を生む三つの構造

以下、対立を生む三つの構造の詳細について、安全保障の懸念、コミュニケーションの断絶、資源の奪い合いの順に説明します。

ただし、三つの構造は直線的ではなく循環的に絡み合い、互いに強化し合っているため、その相互関係について最後に補足します。

●第一の構造:安全保障の懸念(主観:過剰な自己防衛)

生命の安全が脅かされると、「この先どうなるのだろう」という不安や、「やられる前にやらねば」という恐怖心が芽生え、それが対立を駆動させる原動力になります。

それに伴って自分を守ろうとする自己中心的な行動は、仮に他者を攻撃する意図がなかったとしても、相手から見ると攻撃的に見えることがあります。

すると、接している相手も防衛行動をとるようになり、それがまた自分には攻撃のように見えます。

このようにして、お互いに対立を望んでいないのに、次第に緊張関係が高まって、気づけば衝突へ向かってしまうのが「安全保障のジレンマ」です。

脅威が現実に存在する場面で、安全保障の懸念を解消するために力を蓄えることは、合理的な防衛反応です。

ただし、問題は、それが唯一の生存戦略になったとき、双方の防衛行動が際限なくエスカレートしていく点にあります。

つまり、防衛は物理的な安全を確保するための必要条件ではありますが、主観的な安心を獲得するうえでの十分条件にはなり得ません。

このとき、自己の内面に目を向けて器を広げられれば、不安や恐怖に飲み込まれず、脅威を冷静に対処することができるようになります。


●第二の構造:コミュニケーションの断絶(間主観:人間関係の行き詰まり)

対立がエスカレートする分岐点は、相手の行動を「好意的に解釈する能力」が失われることにあります。

メッセージの内容そのものではなく、裏の意図を読もうとして「あの人はパフォーマンスとして言っているだけ」「あの人が言うことは信用できない」と発信者をラベリングして解釈するフェーズに入ると、本音での対話は事実上困難になります。

もちろん、どんなに努力をしても話が通じない相手は、現実に存在します。

しかし、往々にして「この相手には対話が通じない」というラベリングは、防衛反応によって実態以上に強化されることに注意が必要です。

したがって、対話が本当に不可能なのか、それとも自分の防衛フィルターが可能性を遮断しているのかを慎重に見極めながら、異なる価値観の相手とも対話を継続しようとする姿勢が器の広さに関わります。


●第三の構造:資源の奪い合い(客観:目先の利益の囲い込み)

生活を営むために必要な資源(リソース)が少なくなってくると、限られた資源を分け合う他者の存在は構造的に「脅威」になります。

歴史的に見ても、私たちは、国家において石油や領土を、組織において予算・人員・評価(報酬)の奪い合いを繰り返してきました。

一方、戦後のヨーロッパのように、かつて奪い合いの対象だった石炭と鉄鋼を共同のものとすることで、「共に創る」構造へと転換することも可能です。

資源が有限であるという現実は変わらなくても、それをどう分配し、いかに協働して新たな価値を生み出すかという枠組みを変えることで、ゼロサム(総量が一定の下での優勝劣敗の枠組み)の構造を超えられる可能性があります。

したがって、器の大きさとは、性急な資源の奪い合いに走らずに、どうすれば新たな資源を生み出せるかを共に知恵を絞って考え抜く姿勢にあります。


●三つの構造の循環関係:負のスパイラルはなぜ止まらないのか

三つの構造は独立して存在するのではなく、循環的に絡み合い、相互に強化し合っています。

安全保障の懸念が高まると、相手の言動を脅威として解釈するようになり、コミュニケーションを断絶させることにつながります。

コミュニケーションの断絶が強化されると、協働による価値創造ができなくなり、限られた成果の奪い合いが始まります。

そして資源の奪い合いが激しくなれば、「生活のための資源が枯渇するかもしれない」という不安がさらに高まり、安全保障の懸念へと還元されます。

この循環は、一度回り始めると自己強化的に加速します。

各段階では「やむを得ない対応をしている」と感じているかもしれませんが、全体としては、誰も望んでいない争いや崩壊へと着実に向かっていきます。

逆に言えば、どこか一箇所でも流れを止められれば、負のスパイラル全体を緩和できます。

最も取り組みやすいレバレッジポイント(介入の要所)は心理面である安全保障の懸念(防衛反応の低減)ですが、根本的には三つの構造すべてに目を向けて介入することが重要です。

ここまで全体像を踏まえて、以下では具体例として「国家の事例」と「職場の事例」を見ていきましょう。


国家の事例:第二次大戦で日本はなぜ「開戦」に至ったのか

第一の構造:安全保障のための防衛線の際限なき拡大

第二次世界大戦に向かった背景として、日本の軍事的拡大の理由には「防衛」があったことが推察されます。

黒船来航以来、日本にとって最大の恐怖は「清(中国)やインドのように欧米諸国に植民地化されること」でした。

当時、欧米列強によるアジアの植民地化は現実に進行しており、日本の指導層はそこに深刻な脅威を感じていました。

開国から明治維新を経て、西洋の帝国主義的な国際秩序の中に組み込まれた日本は、自国の安全保障のために周辺諸国への影響力を強める方向へとシフトするようになります。

第一次世界大戦後の世界情勢としては、戦争への反省から武力による領土拡大を抑制する「協調外交(軍縮)」の方向性を模索しますが、その提案は日本にとってアジアでの自国の発言力を封じ込めようとするものとして映りました(もちろん、欧米諸国にとって日本のアジア進出が脅威に映っていたため軍縮を提案したという解釈もあるでしょう)。

そこに1930年代の世界恐慌が重なって、欧米諸国は自国の経済を守るために植民地と自国だけで経済を完結させる「ブロック経済」に移行し、そこにアメリカによる日本に対する経済制裁も加わって、日本は石油や鉄などの重要資源が入手できなくなる深刻な懸念を抱えることになります。

その結果、日本は「西洋の植民地支配からアジアを解放する(大東亜共栄圏)」という大義名分を掲げ、1941年の開戦へと駆り立てられていきました(もっとも、これはあくまで当時の日本の宣伝スローガンであり、実態として支配を受けた人々にとっては新たな帝国的支配と映っていたかもしれません)。

振り返れば、当時の日本指導層の論理の中では、大国ロシアの脅威に対抗するための朝鮮半島の支配が安全保障の生命線であり、満州は朝鮮を守るための緩衝地帯であり、中国との全面戦争は満州を守るためであり、最終的な大東亜圏への拡大もまた自給自足の生活を死守するためでした。

このように「防衛」を目的としたはずの行動が、結果として終わりのない戦域拡大の連鎖を正当化していったのです。


第二の構造:日米交渉の決裂と対話機会の喪失

1931年に発生した満州事変を原因として、1933年に国際連盟からの脱退を通告したことは、日本が国際協調からさらに距離を置く転換点となりました。

国際連盟脱退後も日米間の交渉自体は表面的には続きましたが、根本的な信頼の土台は着実に失われており、1941年の日米交渉の決裂が太平洋戦争に至った直接的な引き金となります。

当時、日米双方が相手の「レッドライン(許容範囲の限界)」を正確に読み取れなくなっていました。

1941年7月末の在米日本資産凍結、および8月初めの対日石油輸出停止措置をめぐっては、その意図については歴史家の間でも解釈が分かれますが、いずれにせよ日本側にとっては「座して死を待つしかない」という存亡の危機として受け取ることになりました。

逆に、日本の南部仏印進駐(1941年7月)は、日本側の論理では「資源確保ルートの防衛」でしたが、アメリカには「東南アジア侵略の前兆」として映りました。

安全保障の懸念が高まった状態では、相手のあらゆる防衛行動が「攻撃」として解読されます。

対話の窓口は形式的には残っていたとしても、相手が発するメッセージの内容を好意的に解釈する余地が失われてしまっている状況でした。

そのうえで、さらに深刻だったのは、日本の内部でのコミュニケーションの断絶でした。

国際協調と対話路線を模索していた浜口雄幸や犬養毅ら時の首相が、相次いで武力行使を主張する強硬派に暗殺され、日本の政治からは対話という選択肢が消失することになります。

開戦が目下に迫る中、外務省の一部は交渉継続を模索していたものの、省内でも意見は割れており、軍部はすでに開戦準備のタイムラインで動いていました。

1941年の御前会議(天皇臨席の下に行われた重要国政の会議)での「外交交渉が成功しなければ開戦」という決定も、「成功」の定義が曖昧なまま、外交と軍事準備が並行して進みました。

軍部の作戦計画が具体的に進めば進むほど「今さら止められない」という慣性が働き、コミュニケーションを断絶したまま、直接的に資源の奪い合いを激化させる方向へと向かいました。

どこかのタイミングで対話により相互理解を深めて利害を調整する道はあったかもしれませんが、そうした機会が失われると、残された手段は「自力で資源を確保する」しかなくなるのです。


●第三の構造:「持たざる国」の焦燥

日本のように資源を持たない国は、何らかの方法で諸外国から資源を調達しなければ生き残れません。

当時、欧米列強が資源供給地を確保している中、日本には石油も鉄鉱石も十分にありませんでした。

満州事変(1931年)が起きた背景には、世界恐慌でブロック経済が進む中、日本にとっては「自前の経済圏を持たなければ干上がる」という認識があったと考えられます。

しかし、「領土」の奪い合いという目に見える固定資源に意識が集中しては、結局、ゼロサムの構造を固定化し続けることになり、やがて戦いに敗れたほうが資源の枯渇に苦しむことになります。

一方で興味深いのは、戦後の日本が「貿易による相互繁栄」の道を歩むことで、領土の拡大なしに資源の問題を解決してきた点です。

もちろん、戦後の国際経済体制や安全保障環境など、戦前とは異なる条件があったことも事実ですが、それでも奪い合いから分け合いへの枠組みの転換が、原理的には可能であることが示唆されます。(ただし、こうした協調路線への発想の転換は、一度過ちを経験した後でないと見出せないものなのかもしれません)


●三つの連鎖が生んだ「不可逆点」

上述のとおり、資源確保の不安にさいなまれ、それが安全保障の懸念を高めて防衛反応を生み、周囲の相手を信用できなくなって対話が困難になり、さらに孤立して資源が枯渇していくという形で負のスパイラルが強化されました。

日本は資源を求めて満州の権益を奪取しましたが、その後「この権益を守らなければ」という新たな課題が生まれ、国際連盟の脱退によってコミュニケーションを断絶し、また日本の資源確保行動はアメリカの警戒を招き、経済制裁という形で資源が枯渇するという脅威が現実化しました。

奪えば奪うほど守るべきものが増え、敵が増え、不安が高まる――。

こうした負のスパイラルはどんどん加速し、最終的に開戦という不可逆点に至ります。

もしかしたら、満州事変の時点では、まだ国際社会との関係修復は可能だったかもしれません。

負のスパイラルを断ち切る可能性は、安全保障の確保(国際協調の維持)、コミュニケーションの結び直し(外交チャネルの存続)、資源分配の構造的再設計(貿易による相互繁栄)のそれぞれに存在していました。

しかし国際連盟脱退(1933年)で外交チャネルが一つ閉じ、満州事変から日中戦争の泥沼化で埋没費用(サンクコスト)が積み上がり、日独伊三国同盟(1940年)でアメリカとの対立軸が固定化され、アメリカからの石油禁輸(経済制裁)でタイムリミットが設定されます。

一つひとつは「その時点での合理的判断」をしていたかもしれませんが、その背後には防衛反応に支配された認知があり、これらが累積することによって徐々に選択肢が消えていってしまうのです。


職場の事例:対立はどのように深まっていくのか

三つの構造は、スケールを変えて私たちの日常の職場にも表れ、自分を守ろうとする行動が、意図せず対立を深めていくことがあります。

●第一段階:「自分を守るために働く」安全保障モード

ある企業で、業績の低迷を受けて新しい社長が就任したとしましょう。

新社長は成果主義を掲げ、「結果を出せない人間は要らない」という方針を示します。

すると、組織全体の空気が変わり、幹部の行動原理が「この会社をどう良くするか」から「自分はどう生き残るか」へとシフトします。

会議で新社長が方針を示したとき、内心では疑問を感じていても誰も異論を唱えることができません。

「ここで逆らえば評価に響くかもしれない」という恐怖が、沈黙を招くのです。

このとき、特に危険なのは、「上には従い、下には強く」という権威主義的な連鎖が生まれることです。

新社長の圧力を受けた部長たちは、上にはいい顔をする一方、部下には確実な成果創出に向けて厳しく当たるようになります。

このようして組織全体が「恐怖による秩序」で動き始めます。

安全保障モードに入った組織では、同僚の行動を「自分の立場を脅かすかもしれない」という警戒心で見始めるようになるのです。

異なる部門を率いるA部長とB部長は、実は同じ不安を抱えていて、お互いに支え合える同士であるにもかかわらず、自分を守ろうとするそれぞれの防衛反応が、静かに対立姿勢を生んでいくことになります。


●第二段階:コミュニケーションが断絶し、本音が消え、ラベルが固定される

安全保障モードが続く中で、A部長とB部長のコミュニケーションの質が根本的に変わっていきます。

A部長が会議で自部門の成果を報告すると、B部長にはそれが「自分との差を際立たせようとしている」ように映ります。

B部長が組織の改善提案をすると、A部長にはそれが「自分のやり方を否定されている」と感じられます。

かつてはお互いに称え合い、建設的に意見交換をしていたのに、いつのまにか「相手の言動が自分の立場を脅かすかどうか」というフィルターを通して解釈されるようになります。

やがてA部長はB部長を「上にばかりいい顔をする人間だ」とラベリングし、B部長はA部長を「変化を拒んで足を引っ張っている奴だ」とラベリングするようになります。

こうなると、善意の情報共有であっても「自分の弱みを探っている」と映ったり、協力の申し出も「手柄を横取りしようとしている」と映ったりします。

この段階では、もはや交わされるメッセージの内容ではなく、発信者のラベルによって解釈が決まるフェーズに入っていきます。

本来、新社長が仲裁者として機能すべきですが、新社長は成果創出以外には関心がなく、また競争的な環境を作り出した当の本人であるため、二人の部長の対立を「切磋琢磨のいい機会」として放置するでしょう。

このようにしてコミュニケーションの断絶が続くと、二つの部門の間で重要な情報の共有がされなくなり、協働プロジェクトも自然と立ち消えになっていきます。

かつては互いの強みを補い合えた二つの部門が、それぞれ単独で成果を出すことを志向するようになります。

現実の企業でも、このようにしてセクショナリズムが生まれているケースが非常に多いのではないでしょうか。


●第三段階:協働の崩壊から資源を奪い合うゼロサムゲームへ

協働が失われた二つの部門では、シナジー(相互作用)が生まれなくなります。

それぞれが単独で成果を追うため、部門ごとの成果は頭打ちになり、会社全体の業績も伸び悩むようになります。

協働して価値を創り出す発想が閉ざされた組織では、「自部門がいかに勝利し、より多くを手にするか」というゼロサムの争いしか残りません。

A部長は会議でB部長の部門の進捗の遅れを「客観的な事実」として報告するようになり、B部長は、A部長の部門で発生したトラブルを新社長に直接伝えます。

双方とも「会社のために善意で正確な情報を上げている」と思い込んでいますが、実質的には相手の評価を下げることで、限られた資源を自部門に引き寄せようと画策しています。

そして、この資源の奪い合いは安全保障の懸念をさらに強化するという形で、負のスパイラルを招きます。

予算や評価をめぐる競争が激しくなるほど、「次は自分が切られるかもしれない」という不安が増幅されていくのです。

A部長もB部長も、会社の未来ではなく自分のポジションの防衛にばかり意識を向けるようになり、安全保障モードはさらに深まっていきます。


●不可逆点:いつの間にか選択肢が消えていく

この事例で恐ろしいのは、明確な「決裂の瞬間」がないまま関係が修復不可能になっていくことです。

次第に、A部長とB部長は必要最低限のメールのやり取りしかしなくなり、廊下ですれ違っても目を合わせなくなります。

表向きのコミュニケーションはあり、淡々と業務が回っているように見えますが、仕事と直接関係のない情報共有は止まり、自発的な協力の提案は出なくなります。

気づけば「この二人は一緒にしないほうがいい」ということが既成事実になり、飲み会の場でも「別の席にした方がいい」という配慮が当然のように行われるようになります。

こうした日々の回避行動の積み重ねによって、いつの間にか関係を結び直す機会が消えていってしまうのです。

振り返れば、起点は新社長の就任による「安全保障の懸念」でした。

それが本音を言えない空気を生み(コミュニケーションの断絶)、協働関係が崩壊したことで成果が個別化し(資源の奪い合い)、最終的に二人の関係は修復不可能に至りました。

皮肉なことに、もし二人が協働を進めることができれば、そもそも業績の伸び悩み自体が創造的に解決されていた可能性もあったでしょう。

しかし、負のスパイラルが次々と回転し続けている今、どこから渦を抜け出せばいいのか、もはや誰にもその出口が見えなくなってしまいます。

一つひとつは「やむを得ない対応」の積み重ねだったかもしれませんが、全体としては望んでいない結末に至ってしまうのです。


おわりに:負のスパイラルにどう向き合うか

負のスパイラルを駆動している根本には防衛反応があります。

未熟な防衛反応は、闘争・逃走・迎合という形で現れ、本質的な問題を放置したまま、その場を切り抜けるために用いられます(こちらの記事をご参照ください)。

もちろん、防衛反応自体は、自分の安全を守るために必要な対処法です。

しかし、その反応がもたらす負の影響と建設的に向き合わなければ、事態はますます悪くなる一方です。

そこで、この負のスパイラルを抜け出すための参考として、以下のよう実践を手がかりにしていただければと思います。

安全保障の懸念に対して:自分の防衛パターンに気づき、昇華する

まずは「今、自分は過剰に防衛的になっているのではないか」と自問することが大切です。

A部長とB部長が、お互いを敵ではなく協力する味方であり、衝突も創造的な解決に向かうために必要なことかもしれないと認識転換できていれば、その後の展開は変わっていくかもしれません。

防衛パターンに気づくための鍵はメタ認知であり、メタ認知がブレーキ機能を果たすことで、安全保障の懸念に飲み込まれずに冷静に対処できるようになります。

そして、意識や問いの方向を「自分を守る方向」から「自分を育てる方向」へと転換することで、建設的な昇華を導くことができます。

不満を抱いたときこそ、「この経験を通して自分が学べることはないか」という問いに変える。

脅威という経験を、自分の器を広げるためのエネルギーに変換する。

こうした昇華の対応を身につけることによって、安全保障モードに過剰に飲み込まれるのを防ぐことが可能になります。


●コミュニケーションの断絶に対して:たとえわかり合えなくても、向き合い続ける

対話が困難になったとき、往々にして「この相手とはもう話しても無駄だ」と見切りがちです。

しかし、その判断が現実の観察に基づいている正当なものなのか、防衛フィルターによって歪められているのかを、一度立ち止まって問い直すことが必要です。

そもそも人間同士が完全にわかり合うことはできませんし、完全にわかり合う必要もないのです。

相手の言動すべてに納得できなくてもいい。

しかし、それでも、なお、わかろうと向き合うことをやめないことが大切です。

向き合い続けることは、表面的に同意することでも、自分が妥協して相手に合わせることでもありません。

A部長とB部長の関係が不可逆点に向かったのは、決定的な決裂があったからではなく、小さな回避の積み重ねによって「向き合うことをやめる」習慣が定着したからでした。

では、どうすれば向き合い続けることができるのか――そのきっかけを得るための心がけが、ユーモアと感謝です。

批判や攻撃をされても、ユーモアを交えて軽やかに受け止めることができれば、緊張を解いて対話を継続することにつながります。

そのうえで、感謝は、対話の中身に「温もり」を与えてくれます。

この温もりによって、相手を「脅威」ではなく「自分に何かをもたらしてくれる存在」として認識し直すことができ、歪んだラベリングのフィルターも少しずつ外れていくでしょう。

ユーモアと感謝を手がかりに、異なる価値観の相手との間に、わかりあおうとする対話の余地を残し続けることが大切です。


資源の奪い合いに対して:お互いの境界を超えた協働関係をつくる

負のスパイラルの渦中にいるとき、人はどうしても孤立しがちです。

しかし、孤立すればするほど、ますます資源が減少し、追い詰められていきます。

そこで、信頼できる人に話を聞いてもらう、第三者に仲裁を求める、専門家の助けを借りるなどの支援を求めることが必要です。

プライドが邪魔して素直に支援を求められない場合もありますが、支援を求めることは弱さではなく、むしろ負のスパイラルを断ち切るための強さであるという認識が重要です。

ただし、ここで注意したいのは、単に支援を求めたり与えたりするギブアンドテイクの関係を目指さないことです。

「利他性」と呼ばれるように、「相手を助けることが自分を助けることである」という、互いの境界が溶け合うような協働の関係を目指す必要があります。

A部長とB部長が「限られた予算をどう奪い合うか」ではなく「二つの部門が協働すれば何が生み出せるか」という問いを共有できたなら、どちらかの成功が両者の共有の成功のように感じられていたかもしれません。

資源の奪い合いを超えて、助け合い協働して「共に創る」関係ができれば、ゼロサムの構造そのものを変えられる可能性があります。


対立を生む三つの構造(安全保障の懸念・コミュニケーションの断絶・資源の奪い合い)は、器の成長がもたらす三つの価値(健やかさ・つながり・成果創出)の裏返しです。

器を育てることは、私たちを取り巻く脅威を正当に認識し、適切に自分を守りながら、異なる価値観の相手と対話し、協働し、ともに成果を創出する姿勢を養うことと言えます。

三つの構造を知り、防衛反応を適切に昇華させ、どのような相手であっても対話を続け、協働によって共に創ることを選ぶ――その実践の積み重ねこそが、負のスパイラルを正のスパイラルへと回復させ、自分らしい豊かな器を育てるための道となっていくのです。


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