人としての器 https://h-utsuwa.com Mon, 21 Apr 2025 02:46:45 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=6.8.1 https://h-utsuwa.com/wp-content/uploads/2023/04/cropped-1341aeb807d163f4102d2eae8683057f-1-e1682147545213-32x32.png 人としての器 https://h-utsuwa.com 32 32 人として成長するには?――変容的学習・心的外傷後成長・心理社会的発達理論からの示唆 https://h-utsuwa.com/outline/transform-process Mon, 21 Apr 2025 02:46:45 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2658 人生は、変化の連続です。

進学、就職、結婚、転職、病気、出会い、別れ……私たちは様々な経験を通じて、考え方や価値観、行動を変えながら、人として成長していきます。

生きるとは、変化することかもしれません。

そして、こうした変化の経験を通じて自分自身の可能性や対応力を広げていき、このプロセスを「器の成長」と呼ぶことができます。

では、具体的にどのような心理的なプロセスを経て、私たちの「器」は成長していくのでしょうか?

本記事では、心理学における「変容的学習」「心的外傷後成長」「心理社会的発達理論」といった概念を基に「人としての成長」のメカニズムを探り、私たちが自らの成長を促すための具体的なヒントを紹介します。


「人としての成長」とは?

「器の成長」とは、人が経験を通じて自己のキャパシティを広げ、深めていく、生涯にわたるプロセスです。

このプロセスを理解するために、心理学における3つの重要な概念を見ていきたいと思います。

① 変容的学習(Transformative Learning)

変容的学習とは、世界と自己についての深く共有された前提(参照フレームまたは意味の視点)を変化させるプロセスです(Singer-Brodowski, 2023)。

この概念の創始者であるMezirowは、変容的学習を10(のちに11)のプロセスでまとめています(Kitchenham, 2008)。

  • 段階1 方向喪失をもたらすジレンマ: 既存の信念、前提、世界観と矛盾する経験に遭遇し、混乱や違和感が生じる段階 。変容プロセスのきっかけとなる 。  
  • 段階2 自己内省(感情を伴う): ジレンマに対する自身の感情(恐れ、怒り、罪悪感、恥など)と反応を内省し、分析する段階 。  
  • 段階3 前提の批判的評価: ジレンマの根底にある自身の信念や解釈の基盤となっている前提(認識的、社会文化的、心理的なものなど)を批判的に検討し、その妥当性を問い直す段階 。  
  • 段階4 不満と変容プロセスに関する共有の認識: 自身の抱える問題や変容の必要性が自分だけのものではなく、他者も同様の経験をしていると認識する段階 。これにより孤立感が和らぐ。  
  • 段階5 新しい役割、関係、行動のための選択肢の探求: 批判的評価を踏まえ、これまでとは異なる新しい考え方、役割、関係性、行動の可能性を探る段階 。  
  • 段階6 行動計画の策定: 探求した選択肢の中から具体的な目標を設定し、それを実現するための行動計画を立てる段階 。  
  • 段階7 計画実行のための知識とスキルの獲得: 行動計画を実行するために必要な知識やスキルを習得する段階 。  
  • 段階8 新しい役割の試行: 計画に基づき、新しい役割、行動、関係性を試験的に実践してみる段階 。  
  • 段階X 現在の関係性の変更と新しい関係性の構築:批判的な自己内省を踏まえ、既存の人間関係を見直したり、新たな関係性を築いたりする段階。(※当初はなく、後の研究で追加された段階)
  • 段階9 新しい役割と関係における能力と自信の構築: 新しい役割や行動を実践する中で、能力を高め、自信を深めていく段階 。自己効力感が高まる 。  
  • 段階10 新しいパースペクティブに基づいた生活への再統合: 変容した新たな視点や価値観が生活全体に統合され、それに基づいて自己の生き方を再構築し、社会に再び適応していく段階 。  

つまり、変容的学習は、予期せぬ出来事や矛盾した経験からくるジレンマ(段階1)によって始まり、それが批判的自己内省(段階2-3)への動機となり、自らが持っていた暗黙の意味の枠組みが認識され、再構築されていくことが重要です。

ただし、Nohl(2015)が提唱するモデルでは、Mezirowが指摘するような大きな「ジレンマ」は必ずしも最初から必要ではなく、偶然の出会いによって、ちょっとした違和感や疑問が生まれ、徐々に批判的内省が深まり、新しい実践に結び付いていく可能性も示唆されています。

いずれにせよ、変容的学習において最も重要なのは、自分が無意識のうちに持っている前提(当たり前だと思っていること)に対して、批判的に、つまり「本当にそうだろうか?」と深く考えてみることになります(Kitchenham, 2008)。

なお、Hoggan (2016)では、変容的学習が、より大きな効果をもたらすために、以下の3つの側面を考慮する必要があると述べています。

  • 深さ (Depth):変化の影響の度合い、または特定の成果(世界観、自己、認識論など)にどの程度影響を与えるか。
  • 広がり (Breadth):変化が現れる文脈(仕事、私生活、地域活動などの場面)の数は多いほうがよい。変容的学習の成果が人の生活の1つの文脈に限定されている場合、たとえその文脈においてどれほど影響力があっても、あまり変容的とはみなされない。
  • 相対的な安定性 (Relative Stability):変化が永続的であり、不可逆的であるかどうか。 一時的な変化は変容的とはみなされない。

変容的学習の効果を高めるには、実践的なコミュニティにおいて、他者の異なる視点に触れ、自身の考えを共有するという「対話学習」が必要であり、これによって、個人の変容的学習がより広い社会変革にまで発展していく可能性も示唆されます(Kitchenham, 2008; Singer-Brodowski, 2023)。


② 心的外傷後成長(Post-Traumatic Growth, PTG)

心的外傷後成長(PTG)とは、大きな逆境やつらい体験(トラウマ)と向き合い、それを乗り越えようと葛藤する中で生じる、ポジティブな心理変化のプロセスです(Jayawickreme & Blackie, 2014; Jayawickreme et al., 2021)。

PTGは、過去の苦痛を完全に打ち消すものではなく、またトラウマ以前のベースラインへの回帰でもなく、その経験から新たな意味を見出し、成長へと転化させる能動的な心のプロセスです(Jayawickreme & Blackie, 2014)。

研究によると、PTGは主に以下の5つの領域で現れるとされます(Jayawickreme et al., 2021)。

  • 他者との関係の改善: トラウマティックな経験の後、他者とのつながりがより深くなり、親密さが増すといった変化が起こりえます。困難な時期を乗り越える中で、周囲のサポートの重要性を再認識したり、同じような経験をした人との共感が生まれたりすることで、関係性の改善につながります。
  • 人生における新たな可能性の認識: トラウマを経験したことで、これまで考えもしなかったような新しい生き方や目標を見出すことがあります。以前の価値観や優先順位が変化し、人生に対する新たな視点を得ることで、進むべき道が開かれます。
  • 個人的な強さの認識の向上: 困難な状況に立ち向かい、それを乗り越えた経験を通して、自分自身の内なる力や回復力を強く認識します。想像以上の苦難を耐え抜いたという実感は、「自分は以前思っていたよりも強い」という感覚を育みます。
  • 精神的な成長: トラウマ体験をきっかけに、精神的な価値観や信仰が深まったり、人生の意味や目的について深く考えるようになります。危機的な状況に直面することで、自己超越的な視点や精神的な支えを求めるようになります。
  • 人生への大きな感謝: 以前は当たり前だと思っていた日常や、ささやかなことへの感謝の気持ちが強くなります。人生において失われたものや失われる可能性があったものを意識し、今あるもののかけがえのなさを痛感し、生きていること自体への感謝が増すと考えられます。

また、PTGを促進する要因として、Hensonら (2021) の研究レビューによると、以下の点が挙げられます。

  • 個人の持つ力(個人内要因): 楽観性、立ち直る力(レジリエンス)、希望、自己コントロール感、新しい経験への好奇心(経験への開放性)などがPTGと関連しています。特に、経験への開放性はPTGの強い予測因子であるという研究結果があります。逆に、不安を感じやすい傾向(神経症傾向)は、PTGを妨げる可能性があります。
  • 考え方・向き合い方(認知的プロセス・対処法): 出来事を前向きに捉え直す(ポジティブな再評価・リフレーミング)、現実を受け入れる、問題解決に取り組む、つらい経験の意味を考える(意図的な反芻)といった、積極的な対処法がPTGを促します。また、本人が「非常につらい経験だった」と感じる度合いが強いほど、PTGも大きなものになる傾向があります。なお、その経験が個人のアイデンティティの中心にあるほどPTGが大きくなる一方で、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のリスクを高めることも指摘されています。
  • 周りの支え(社会的・環境的要因): 精神的な支え、具体的なアドバイス、周囲からの手助けといったソーシャルサポートは、PTGを予測する非常に強力な要因です。つらい経験について信頼できる人に話すこと(体験の開示)や、安全なパートナーとの愛着関係、職業生活・仕事上での良好な人間関係、地域活動などへの参加(コミュニティへの関与)なども助けになります。


③ 心理社会的発達:生涯続く統合的な成長

「自分とは何者か(アイデンティティ)」を確立していくプロセスは、必ずしも固定的なものではなく、ある程度の連続性や一貫性も持ち合わせながらも、他者との関わりの中で常に変化し、再構築し続けるダイナミックなものとして捉えることができます(Lichtwarck-Aschoff et al., 2008))。

発達心理学の大家であるErikson(エリクソン)の心理社会的発達理論によれば、人生の各段階には乗り越えるべき固有の課題があり、最終段階の老年期においても「統合 vs 絶望」という課題を通じて成長が続くと考えられています(Hearn et al., 2012)。

Hearn et al.(2012)によれば、統合型タイプの人は、「新しい経験や視点を受け入れる開放性」「過去の価値観を維持しつつ変化に適応する対応力」「自分自身の価値観(アイデンティティ)の確立」「矛盾を受け入れ異なる視点を統合する弁証法的思考や相対主義的な思考」「主観的幸福感と健康という意識」が高い傾向が示されています。

したがって、この「統合」プロセスを促進するには、これまでの人生経験を振り返り、新しい価値観も柔軟に受け入れながら、それらを意味のある一つの人生の物語として受け入れていく姿勢が求められると言えます。

また、Wrzus & Roberts (2017) が提唱するTESSERAフレームワークは、私たちのパーソナリティ(性格や人となり)がどのように変化し、やがて安定していくかを説明します。

日々の出来事(Triggering situations)に対して、私たちがどう予期し(Expectancy)、どう感じ・どう行動し(State / State Expressions)、その結果にどう反応するか(Re-Actions)という小さなサイクルが、振り返りを伴いながら繰り返されることで、長期的な変化につながっていきます。

つまり、日々の小さな経験や学びの積み重ねが、長い時間をかけて私たち自身を形作っていくのです。

成長を促進する場面では、自己認識(Self-Awareness)―自分の特性、感情、行動、強みや弱みなどを客観的に理解すること―が不可欠で、より深い自己認識を促すプロセスには、フィードバックやコーチングを活用した経験学習と自己内省が必要です(London et al., 2023)。

したがって、自己認識を促進する外部資源としての社会的な関係構築が大切になります。

Feeney & (2015) では、親密で思いやりのある関係性を含めた繁栄(成長や発展を含む概念)のために、困難な状況を乗り越えるための「SOSサポート」と、日常の成長の機会を積極的に追求するための「RCサポート」という2つのサポート機能の重要性を提唱しています。

  • Source of Strength (SOS) サポート: 安心感と保護を提供する「安全基地」のサポートとともに、逆境に立ち向かう動機を与え、強みを活用してアイデンティティの再構築を促す要素も重要です。SOSサポートを受けた場合、不安の軽減、安心感と希望の増大、ストレスへの自律神経系の反応の低下、ポジティブな対処、逆境に立ち向かい再構築する意欲の向上、問題解決、信頼と親密さの増大などの直接的な結果が期待され、長期的なウェルビーイングの向上に寄与します。
  • Relational Catalyst (RC) サポート: 日常における探求・成長・発達を促し、より積極的な変化をもたらす役割が強調され、新しい才能の開発を促し、人生における目的や意味を見出して追求することを支援します。RCサポートを受けた場合、他者から価値と尊敬を受けている感覚、自己決定的な方法で目標を追求できる関係への満足感、新たな社会的なつながりの形成、親しい他者との交流による自己拡張、人生経験を共有しサポートを求めることの重要性への信念といった直接的な結果が期待され、長期的なウェルビーイングの向上にも寄与します。
  • 2つのサポートの適切な使い分け:例えば、困難な状況にある人に安易な励まし(例:「そんなに悲観しないで」「頑張って元気を出して」)を行っても、「私の気持ちを分かってくれていない」と感じさせ、かえって心理的な苦痛を増大させる可能性があります。また、過度なアドバイスは、「あなたは何もできない」というメッセージを送っているように感じさせ、自信を失わせたり自律性を阻害する可能性もあります。したがって、サポートを提供する側が受ける側のニーズを十分に理解し、SOSサポートとRCサポートを適切に使い分けて対応することが重要です。

以上、まとめると、成長のきっかけは、人生を揺るがすような大きな困難を伴う出来事だけではなく、日常の小さなチャレンジや偶然の出来事の中にもあります。

その経験から成長できるかどうかは、その後の意図的な関わり方(深く考える、意味を探る、新しい行動を試すなど)や、内省・気づき、動機をもたらしてくれる周囲のサポートの状況に大きく左右されると考えられます。


人としての成長を促す4つのヒント

では、私たちはどのようにして自らの「器の成長」を促すことができるのでしょうか?

これまでの研究から、いくつかの重要なヒントが見えてきます。

ヒント1:「方向喪失のジレンマ」や「小さな違和感」を成長の起点と捉える

  • 困難をチャンスと捉える: 自分の考え方・価値観が揺さぶられるようなジレンマ(変容的学習のきっかけ)や、困難な状況(PTGのきっかけ)に直面したとき、それを単なる脅威として避けずに、「ここから何を学べるだろう?」と成長の可能性を探ってみましょう。
  • 不快な感情と共にいる: 変容のプロセスは、しばしば混乱や不安、葛藤といった心地よくない感情を伴います。成長には、これらの感情から目を背けず、それに向き合う勇気が不可欠です。
  • 偶然の出会いや日常の違和感を大切にする: 変容は必ずしも大きな危機から始まるだけでなく、日常の小さな挑戦や偶然の出会いから始まることもあります。「なんでだろう?」という素朴な疑問や、何気ない違和感に対する好奇心も大切にしましょう。


ヒント2:批判的に内省し、自己認識を深める

  • 自己認識を高める: 自分の強みや弱み、感情のパターン、行動の傾向などを客観的に理解しようと努めることが大切です。TESSERAフレームワークに沿って、日常の出来事に対して、自分が何を予期し、何を感じて何を試してみて、その結果をどう受け止めたのかという自己パターンを内省的に振り返ってみましょう。
  • 批判的に振り返る: 特に挑戦的な経験の後には、何が起こり、自分がどう考え、感じ、行動したのか、そしてその背景にある自分の無意識の前提(思い込み)は何だったのかを振り返ることが重要です。「この経験は、自分のどんな思い込みや当たり前の考え方に疑問を投げかけているのだろう?」と深く考えてみましょう。
  • 意図的な反芻を行う: ただ苦しい経験を繰り返し思い出すだけでなく、その経験から何を学び、どう成長できるかを意図的に考えることが、トラウマからの成長につながります。
  • 誰しもに共通の経験と認識する: 苦しみや葛藤の最中では、「自分ばかりこんな目にあって…」と考えがちですが、自分の経験は決して孤立したものではなく、他者も同様の課題に直面していると理解することで、一歩前に進む勇気を得ることができます。


ヒント3:新しい視点や役割を「実践的に試す」

  • 新たな選択肢を探る:これまでの自分のやり方・癖の限界に気づいたら、それを超える新しい考え方、価値観、行動の選択肢を探してみましょう。
  • 個人内の資源を認識し活用する: 自らの新たな一歩を模索する際、PTG研究で示される個人内要因―楽観性、レジリエンス、希望、自己コントロール感、経験への開放性―や、心理社会的発達理論における「統合型」の特徴―変化対応力、アイデンティティの確立、矛盾を受け入れる弁証法的思考―といった観点から、自身が持つ強みや資源を認識し、意識的に活かすことが大切です。
  • 行動計画を立て、新しい役割を試す: 新しい視点を具体的な行動に落とし込む計画を立て、そのために必要なスキルを身につける一歩を踏み出しましょう。また新しい視点や行動様式を、まずは小さなステップで試してみたり、新しい関係を構築して、成長の可能性を広げていくことも大切です。


ヒント4:「関係性のサポート」を活用する

  • SOSサポートを求め活用する: SOSサポートは、困難な時に安心感と保護を提供するとともに、逆境に立ち向かう動機を与え、アイデンティティの再構築を促します。PTGの研究でも、人からの支え(ソーシャルサポート)は極めて重要な促進要因とされています。
  • RCサポートを大切にする: 困難な場面に限らず、RCサポートの観点から、日常における探求や成長、新しい才能の開発を促し、人生の目的や意味を追求に関わるような支援を受けられるような関係を構築しておくことが大切です。このような成長を促す人間関係を意識的に育みましょう。
  • 対話学習の機会を持つ: 自分の考えや人生の経験を他の人と共有し、対話する中で、新たな気づきや視点が得られます。異なる視点との出会いが、自分の前提を問い直すきっかけとなります。「正解のない問い」にじっくりと対等に向き合える対話学習の機会を積極的につくっていきましょう。


まとめ

人としての成長は、私たちが人生の様々な経験を通じて、自分自身の限界や前提に気づき、それを乗り越え、より広く、深く、しなやかな自己へと変わっていく、生涯にわたる学びのプロセスで起こります。

日々の小さな経験と反応の積み重ねを大切にしつつ、時に人生の困難やトラウマ体験を通じて、より深い成長に向かうことができます。

このプロセスにおいて、以下の観点が重要になります。

  • ジレンマや日常の違和感を「変容のきっかけ」として受け入れること
  • 自らの前提や思い込みを批判的に振り返る「意図的な内省」を深めること
  • 新たな視点や役割を「実践的に試してみる」勇気を持ち、その際、自分自身の内なる資源を活用すること
  • 困難な時のSOSサポートと、日常の成長を促すRCサポートの土台となる人間関係を築くこと

私たちのパーソナリティを形作るのは、日々の小さな経験と反応の積み重ねです。

しかし、「器の成長」の旅は決して平坦ではなく、時に偶然の出来事に直面したり、時にちょっとした挑戦や変化を生み出したり、時に壮絶な混乱や不安や葛藤を伴うこともあります。

それを通じて私たちはより深く自己理解し、他者とのつながりを育み、人生の意味や目的をより豊かに体験していくことになります。

生涯にわたる器の変容のプロセスでは、新たな他者とまだ見ぬ自分自身と出会いがあり、そうした出会いこそが私たちの人生の器に豊かさを与えてくれるでしょう。


参考文献

  • Feeney, B. C., & Collins, N. L. (2015). A New Look at Social Support: A Theoretical Perspective on Thriving Through Relationships. Personality and Social Psychology Review, 19(2), 113-147.
  • Hearn, S., Saulnier, G., Strayer, J., Glenham, M., Koopman, R., & Marcia, J. E. (2012). Between Integrity and Despair: Toward Construct Validation of Erikson’s Eighth Stage. Journal of Adult Development, 19, 1-20.
  • Henson, C., Truchot, D., & Canevello, A. (2021). What promotes post traumatic growth? A systematic review. European Journal of Trauma & Dissociation, 5(4), 100195.
  • Hoggan, C. D. (2016). Transformative learning as a metatheory: definition, criteria, and typology. Adult Education Quarterly, 66(1), 57-75.
  • Jayawickreme, E., & Blackie, L. E. R. (2014). Post–traumatic Growth as Positive Personality Change: Evidence, Controversies and Future Directions. European Journal of Personality, 28(4), 312-331.
  • Jayawickreme, E., Infurna, F. J., Alajak, K., Blackie, L. E. R., Chopik, W. J., Chung, J. M., Dorfman, A., Fleeson, W., Forgeard, M. J. C., Frazier, P., Furr, R. M., Grossmann, I., Heller, A. S., Laceulle, O. M., Lucas, R. E., Luhmann, M., Luong, G., Meijer, L., McLean, K. C., … Zonneveld, R. (2021). Post-traumatic growth as positive personality change: Challenges, opportunities, and recommendations. Journal of Personality, 89(1), 145-165.
  • Kitchenham, A. (2008). The Evolution of John Mezirow’s Transformative Learning Theory. Journal of Transformative Education, 6(2), 104-123.
  • Lichtwarck-Aschoff, A., van Geert, P., Bosma, H., & Kunnen, S. (2008). Time and identity: A framework for research and theory formation. Developmental Review, 28(3), 370-400.
  • London, M., Sessa, V. I., & Shelley, L. A. (2023). Developing Self-Awareness: Learning Processes for Self- and Interpersonal Growth. Annual Review of Organizational Psychology and Organizational Behavior, 10, 261-288.
  • Nohl, A. M. (2015). Typical Phases of Transformative Learning: A Practice-Based Model. Adult Education Quarterly, 65(1), 35-49.
  • Singer-Brodowski, M. (2023). The potential of transformative learning for sustainability transitions: An empirical analysis of learning factors in community garden projects. Environment, Development and Sustainability, 25, 8511-8535.
  • Wrzus, C., & Roberts, B. W. (2017). Processes of Personality Development in Adulthood: The TESSERA Framework. Personality and Social Psychology Review, 21(3), 253-277.

]]>
社会とつながるには? ―― 向社会性・畏敬・道徳/美徳の研究知見を踏まえて https://h-utsuwa.com/outline/sociality Sun, 20 Apr 2025 12:47:27 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2653 私たちは、一人では生きていけません。家族、友人、同僚、地域社会、そして時には見知らぬ人々との関わりの中で、日々を過ごしています。

この「社会」との関わりは、私たちの人生においてどのような意味を持つのでしょうか?

そして、より良く社会と関わり、社会に貢献していくためには、どのような意識を育む必要があるのでしょうか?

心理学や関連分野の研究では、私たちが他者や社会とどのように関わっているかを明らかにしています。

その関わり方は、単なる外面的な行動(助け合い、協力など)を見るだけでなく、内面にある利他性、畏敬の念、そして道徳・美徳が複雑に絡み合った結果として捉えられます。

本記事では、これらの研究知見に基づき、私たちがより豊かに「社会」とつながり、関わっていくかについて探究します。


私たちはどのように「社会」と関わるか?

私たちが他者や社会と関わる時、そこには単なる利害関係を超えた、より深い次元が存在します。

そこで最近の研究を踏まえて、以下の3つの側面から「社会」との関わりを見ていきます。

① 向社会性(利他)

利他とは、他者を利する意図・動機・コスト・社会規範といった側面を強調する概念です。

心理学の研究では、利他に関して、より幅広い傾向として他者の福祉を促進する性質を「向社会性」という概念で表します。

向社会性には、他者の幸福を願う「向社会的動機」と、実際に他者を助けたり協力したりする「向社会的行動」があり(Pfattheicher et al., 2022)、後者は社会との関わりの具体的な現れと言えます。

向社会的動機については複雑な側面があり、Liao et al. (2022) では、自律性のレベル(裁量的 vs. 義務的)と一般性のレベル(グローバル vs. 文脈的 vs. 地位的)の2次元に基づく、6つのカテゴリーから説明しています。

  • 裁量的かつグローバルな動機:自身の意思に基づいて、広範な他者や社会全般の利益のために行う自発的な動機が挙げられます。ここでは、個人的な価値観やアイデンティティ、社会全体への貢献を喜びと感じる気持ちなどが根底にあります。
  • 裁量的かつ文脈的な動機:自身の意思に基づいて、特定の文脈的な領域(例えば、仕事、キャリア、職業)における特定の他者の利益のために行う自発的な動機が挙げられます。ここでは、仕事を通じて特定の顧客層や社会セクター(業界)に貢献したいという個人的な願望などが該当します。
  • 裁量的かつ地位的な動機:自身の意思に基づいて、自身の職務や役割における特定の他者(例えば、顧客、同僚)の利益のために行う自発的な動機が挙げられます。ここでは、同僚を助けることを個人的に楽しいと感じたり、顧客の満足を自分の仕事のやりがいと捉えたりする動機が含まれます。
  • 義務的かつグローバルな動機:役割や期待、あるいは強い道徳的信念によって、広範な他者や社会全般の利益のために、半ば義務的に生じる動機が挙げられます。ここでは、社会の一員としての責任感や、世界をより良くしなければならないという使命感などが考えられます。
  • 義務的かつ文脈的な動機:役割や期待、あるいは特定の職業倫理によって、特定の文脈的な領域における特定の他者の利益のために、半ば義務的に生じる動機が挙げられます。ここでは、例えば、医療従事者が患者の健康を守るという職業上の義務感などが考えられます。
  • 義務的かつ地位的な動機:職務上の期待によって、自身の職務や役割における特定の他者の利益のために、半ば義務的に生じる動機が挙げられます。ここでは、顧客対応は自分の仕事の一部であるという認識や、チームの目標達成のために同僚をサポートしなければならないという責任感などが考えられます。

さらに、Liao et al. (2022) のメタ分析からは、以下のことが明らかになっています。

  • “裁量的”な向社会的動機は、「幸福感」「職務パフォーマンス」に肯定的な影響を与えるが、”義務的”な動機はほぼ関連しない
  • “グローバル”な動機と”文脈的”な動機は、”地位的”な動機よりも「幸福感」に強く関連する
  • 一方、”地位的”な動機は、”文脈的”な動機や”グローバル”な動機より「職務パフォーマンス」に強く関連する

さらに、”義務的”な向社会的動機は、必ずしも望ましい結果をもたらすとは限らず、それが過度になるとストレスやバーンアウト、職務パフォーマンスの低下、時には非倫理的な行動といった「ダークサイド」を持つことも指摘されています(Bolino & Grant, 2016)。


② 畏敬(自己超越)

私たちは、個人の一時的なニーズや欲望を超越する形で『自己を超えた何か』に意識を向けることがあり、それに伴う感情は「自己超越感情」と呼ばれています。

自己超越感情の代表的なものには畏敬(Awe)、感謝(Gratitude)、慈悲(Compassion)などが挙げられ、これらは、日常的な自己の利益や関心事から離れ、より大きな視点や他者との繋がりをもたらす点で共通しています(Stellar et al., 2017)。

中でも「畏敬」は、私たちが普段持っている理解の枠組みや期待を超えるような「広大さ」を持つ対象に出会ったときに生じる感情で、これにより個人の重要性を相対的に低下させるとともに、社会的関係を優先させ、個人を結束力のある集団へと統合することに導きます。

ここで言う「広大さ」とは、自然の広大さ(例:雄大な山々、広大な宇宙)だけでなく、人の卓越した技芸や深い智慧や道徳的な高潔さ、科学や宗教や哲学などの複雑で深遠なアイデア(例:数学的真理、生命の神秘)などを含みます。

そして、圧倒的な広大さに触れたとき、私たちは既存の知識や世界観では捉えきれないと感じ、それでも、その対象を理解しようとして、自分の認知的な枠組みを「更新・調整する必要性」を感じることになります(Keltner & Haidt, 2003; Stellar et al., 2018)。

このように畏敬を経験することにより、自己への囚われ(自己中心性)を弱め、「小さな自己」の感覚(自分が広大な世界の中の小さな一部であるという感覚)や謙虚さを生み出すことに結び付きます(Stellar et al., 2018; Bai et al., 2017)。

その結果、他者やコミュニティ、自然、人類全体といったより大きな存在への関心を高め、向社会性(協力、寛容さ、援助なども含む)を促進し、集団への統合や他者との精神的なつながりを深めることになるのです(Stellar et al., 2017; Piff et al., 2015)。

ただし、畏敬には「肯定的な畏敬: 壮大な自然や芸術、人間の偉大な達成などに対する感動と驚き、賞賛の念を伴う感情」と「脅威ベースの畏敬: 自然災害や圧倒的な力を持つ存在(宗教的指導者)などに対する、畏れや恐ろしさを伴う感情」という二つの側面があります(Gordon et al., 2017)。

前者は主にポジティブな効果(例:向社会性の向上)と関連しますが、後者は恐怖感や無力感を引き起こし、必ずしもポジティブな結果に繋がらないことに注意が必要です(Gordon et al., 2017)。


③ 道徳/美徳

私たちの社会的な行動の根底には、「道徳的自己(Moral Self)」が存在します。

Jenningsら(2015)によれば、道徳的自己とは、自己を定義する道徳的属性(信念、志向性、気質、認知的判断、感情)から成る複雑なシステムです。

理論的には、道徳的判断(何が正しいかの認知的評価、例:結果主義 vs 形式主義)と道徳的アイデンティティ(道徳を行動に移す動機の一貫性)によって道徳的行動が導かれることになります(Reynolds & Ceranic, 2007)。

ただし、Reynolds & Ceranic (2007) の研究によれば、社会的コンセンサス(提案された行為が良いか悪いか、正しいか間違っているかについての社会的な合意)の程度によって、道徳的行動に向かう要因は異なることが示唆されています。

  • 社会的コンセンサスが高い状況(慈善活動など)では、道徳的アイデンティティ(特に象徴化の側面)が道徳的行動に直接的にプラスの影響を与えることが示されました。つまり、自分を道徳的な人間だと認識し、その特性を公に示そうと考えるほど、慈善活動に参加する傾向が強くなります。
    一方で、このような状況では、結果主義や形式主義といった道徳的判断は、道徳的行動に有意な影響を与えませんでした。これは、社会的に何が正しいかが明確な状況であるため、個人の道徳的判断の必要性が低下することが理由として考えられます。
  • 社会的コンセンサスが高くない状況(倫理的ジレンマなど)では、道徳的判断が道徳的行動に直接的な影響を与えることが示されました。例えば、結果主義的な傾向が強いほど利益を重視するため不正行為に走りやすく、反対に形式主義的な傾向が強いほど規則や義務を重視するため不正行為を避ける傾向がありました。
  • さらに重要な発見として、社会的コンセンサスが高くない状況では、道徳的アイデンティティ(特に内面化の側面)が道徳的判断と相互作用し、道徳的行動を形成することが明らかになりました。例えば、結果主義的な判断基準を持つ個人は、より(極端な)結果主義的な行動(例:不正行為を頻繁に行う)を取りやすくなり、一方で形式主義的な判断基準を持つ個人は、より(極端な)形式主義的な行動(例:不正行為を全く行わない)を取りやすくなる傾向にあるとされます。

まとめると、社会的コンセンサスが低い状況では、道徳的アイデンティティが、個人の道徳的判断を強化する動機付けの力として働くことが示唆されています。

言い換えれば、複雑化する現代社会のように何が道徳的であるかが曖昧な状況下では、強い道徳的アイデンティティを持つ個人は、自身の道徳的信念に基づいてより一貫した行動を取ろうとするのです。

しかし、極端に強い道徳意識を持つことは、義務感にもつながり精神的な負担を高めたり、不正行為者への制裁を強めたり、自身の価値観を硬直化させて不寛容に結びついたりする懸念もあります(Jennings et al., 2015)。

そこで、単なる道徳的規範への適合を超えて、個人の内面的な特質、意図、持続性、そして人間としての繁栄に深く関わっている「美徳(Virtue)」に関する理解を深める必要があります。

美徳は、道徳的行動が安定していて適切に動機づけられているための基盤となります(Fowers et al., 2021)。

Fowersら (2021) は、美徳をより深く理解するための枠組みとして『STRIVE-4モデル』を提唱しています。

  • ST: Scalar Traits (スカラー特性):美徳は、測定可能な特性として捉えられます。単純に「あるかないか」という二分法的なものではなく、連続的な尺度上で評価できます。
  • R: Role sensitive (役割感受性):美徳の発現は、個人的、職業的、市民的な役割といった様々な社会的役割によって変動します。
  • I: situation × trait Interactions (状況×特性の相互作用):美徳に関連する行動は、個人の美徳特性と状況要因との相互作用によって影響を受けます。
  • VE: Values(価値) / Eudaimonia(ユーダイモニア):美徳は、価値のある善を目指すもので、特にユーダイモニア(人間的繁栄、よく生きること)と関連し、それ自体が価値のある特性と言えます。

そして、美徳には、4つの主要な構成要素があります。

  • Knowledge (知識): 美徳に関連する認知や理解。
  • Behavior (行動): 美徳として発現する具体的な行動。
  • Emotion/Motivation (感情/動機): 美徳に一致した感情や行動への動機。
  • Disposition (性向): 状況に応じて美徳に沿った行動をとろうとする安定した傾向や性質。

つまり、美徳は生まれつき備わっているのではなく、学習や実践を通じて育てることができるものであり、状況や役割に応じて柔軟に発揮され、また価値のある善を目指すことで、私たち自身の人生や社会全体のより良いあり方(ユーダイモニア)につながっていくもの、と捉えることができます。


「社会性」を豊かに育むための4つのヒント

より良く社会と関わり、貢献していくための「社会性」を育むには、どうすればよいのでしょうか?

ここまでの研究知見から示唆される4つのヒントを紹介します。

ヒント1:向社会的動機のバランスを意識する

  • 動機の多様性を認識する: 自分の向社会的行動がどのような動機(裁量的か義務的か、どの程度の範囲か)に基づいているかを認識しましょう。特に裁量的な動機(自発的に他者を助けたい気持ち)を育むことで、行動の持続性と幸福感が高まります。
  • 義務感への依存に注意する: 研究によれば、義務的な向社会的動機は幸福感や職務パフォーマンスとほぼ関連がなく、過度になるとストレスやバーンアウトにつながる可能性があります。社会的責任を果たすことは重要ですが、純粋に「したい」という気持ちからの行動とのバランスを意識しましょう。
  • 状況に応じた動機の適用: 地位的動機(例:職場での同僚サポート)は職務パフォーマンスに強く関連し、グローバルな動機(社会全体への貢献)は幸福感に強く関連することを理解し、状況に応じて適切な動機を活かしましょう。
  • まずは小さな行動から始める: 日常の中で、困っている人に声をかける、足の弱い人に席を譲るなど、小さな向社会的行動から実践することで、向社会性を育みましょう。


ヒント2:畏敬体験を通じて自己中心性を和らげる

  • 自然との触れ合い: 雄大な山々、満天の星空など、自然の広大さを体験する機会を定期的に設けましょう。これらは畏敬を感じる最もポピュラーな機会です。
  • 芸術や文化体験: 優れた音楽、絵画、建築など、人間の創造性の卓越さに触れる時間を持ちましょう。
  • 知的探究の時間: 宇宙の神秘、生命の不思議、哲学的な問いなど、知的好奇心を刺激する深遠なテーマを探究する時間を設けましょう。
  • 「小さな自己」の感覚を意識的に味わう: 畏敬を感じる瞬間に、自分が広大な世界の中の小さな一部であることを意識し、その感覚をじっくりと味わいましょう。これが謙虚さを育み、他者やコミュニティとのつながりを深めます。
  • 肯定的畏敬と脅威ベースの畏敬を区別する: 畏敬には肯定的な側面(感動や賞賛を伴う)と脅威ベースの側面(恐れを伴う)があります。肯定的な畏敬体験を中心に求めていくことで、向社会性の向上といったポジティブな効果が期待できます。逆に、脅威ベースの畏敬に当てはまっていないか、内省的に振り返ってみましょう。
  • 日常の中の畏敬に気づく習慣を持つ: 特別なイベントだけでなく、日常生活の中にある小さな驚きや美しさ(夕暮れの美しさ、子どもの成長など)にも意識を向け、「日常の畏敬」を見出す習慣を育みましょう。


ヒント3:道徳的自己と美徳を体系的に育む

  • 道徳的自己を省察する: 自分がどのような道徳的価値観を大切にしているか、それが自己アイデンティティの中でどの程度中心的か(内面化)、また日常行動にどう表れているか(象徴化)を問いかけてみましょう。
  • 道徳的判断の硬直化を避ける: 強すぎる道徳的アイデンティティは時に極端な判断や不寛容につながる可能性があります。自分の信念や判断に絶対的な確信を持ちすぎず、多様な視点に開かれた姿勢を保ちましょう。
  • 社会的コンセンサスの程度を意識する: 社会的コンセンサスが高い状況(例:慈善活動など)では道徳的アイデンティティが、社会的コンセンサスが低い状況(例:倫理的ジレンマなど)では道徳的判断が行動に強く影響します。状況に応じた適切な道徳的規準を意識して育みましょう。
  • 美徳の構成要素をバランスよく育む:まずは自分が大切にしたい美徳(例:感謝、謙虚さ、思いやり)について学び、理解を深めましょう。そのうえで、学んだ美徳に関連する具体的な行動を日常生活に取り入れましょう。その際、行動の背後にある感情や動機に注意を払い、自らの純粋な動機を見出しましょう。そして、継続的な実践を通じて、自然な形で美徳に沿った行動を取ろうとする姿勢を育みましょう。


ヒント4:社会的文脈を理解し全体的な繁栄を目指す

  • 他者との相互作用を重視する: 他者に一方的に利益を供与するのではなく、互いの成長を促す相互作用として他者との関係を捉えましょう。助け合いの関係性を築くことで、持続可能な社会性が育まれます。
  • 状況と特性の相互作用に注目する: 美徳に関連する行動は、個人の特性と状況要因との相互作用によって影響を受けます。自分の強みや弱みを理解し、それを活かせる状況を選んだり創り出したりすることも大切です。
  • ユーダイモニア(人間的繁栄)を視野に入れる: 短期的な幸福感だけでなく、美徳が示すように、長期的な視点から人間的繁栄や「よく生きること」を視野に入れた社会との関わり方を模索しましょう。


まとめ

「社会」との関わりは、研究知見が示すように「向社会性(利他)」「畏敬(自己超越)」「道徳/美徳」という多層的な側面を持っています。

これらの要素は相互に影響し合い、私たちの社会性を形作っています。

まとめると、社会との豊かなつながりを育むためには、以下の点を意識することが重要です。

  • 向社会的動機の多様性を理解し、主に裁量的な動機を大切にする
  • 畏敬体験を通じて「小さな自己」の感覚を育み、自己中心性を緩和する
  • 道徳的自己と美徳を知識・行動・感情・性向の側面から体系的に社会性を育む
  • 社会的文脈を理解し、個人と社会の双方の繁栄(ユーダイモニア)を目指す

ただし、単に社会に迎合したり、絶対視することは、自己を見失い、ダークサイドに陥る危険性もあります。

大事なことは、自己と社会の緊張関係の中で、自分自身と深く潜っていった先に、社会性を見出していくことではないかと思います。

上述したアプローチを通じて、自分自身の器の範囲を広げ、他者や社会とより深く建設的につながり、共に繁栄していくための意識を育んでみてはいかがでしょうか。


参考文献

  • Bai, Y., Maruskin, L. A., Chen, S., Gordon, A. M., Stellar, J. E., McNeil, G. D., Peng, K., & Keltner, D. (2017). Awe, the diminished self, and collective engagement: Universals and cultural variations in the small self. Journal of Personality and Social Psychology, 113(2), 185–209.
  • Bolino, M. C., & Grant, A. M. (2016). The Bright Side of Being Prosocial at Work, and the Dark Side, Too: A Review and Agenda for Research on Other-Oriented Motives, Behavior, and Impact in Organizations. Academy of Management Annals, 10(1), 599–670.
  • Fowers, B. J., Carroll, J. S., Leonhardt, N. D., & Cokelet, B. (2021). The Emerging Science of Virtue. Perspectives on Psychological Science, 16(1), 118–147.
  • Gordon, A. M., Stellar, J. E., Anderson, C. L., McNeil, G. D., Loew, D., & Keltner, D. (2017). The dark side of the sublime: Distinguishing a threat-based variant of awe. Journal of Personality and Social Psychology, 113(2), 310–328.
  • Jennings, P. L., Mitchell, M. S., & Hannah, S. T. (2015). The moral self: A review and integration of the literature. Journal of Organizational Behavior, 36, S104–S168.
  • Keltner, D., & Haidt, J. (2003). Approaching awe, a moral, spiritual, and aesthetic emotion. Cognition and Emotion, 17(2), 297–314.
  • Liao, H., Su, R., Ptashnik, T., & Nielsen, J. (2022). Feeling Good, Doing Good, and Getting Ahead: A Meta-Analytic Investigation of the Outcomes of Prosocial Motivation at Work. Psychological Bulletin, 148(3-4), 158–198.
  • Pfattheicher, S., Nielsen, Y. A., & Thielmann, I. (2022). Prosocial behavior and altruism: A review of concepts and definitions. Current Opinion in Psychology, 44, 124–129.
  • Piff, P. K., Dietze, P., Feinberg, M., Stancato, D. M., & Keltner, D. (2015). Awe, the small self, and prosocial behavior. Journal of Personality and Social Psychology, 108(6), 883–899.
  • Reynolds, S. J., & Ceranic, T. L. (2007). The Effects of Moral Judgment and Moral Identity on Moral Behavior: An Empirical Examination of the Moral Individual. Journal of Applied Psychology, 92(6), 1610–1624.
  • Stellar, J. E., Gordon, A. M., Piff, P. K., Cordaro, D., Anderson, C. L., Bai, Y., Maruskin, L. A., & Keltner, D. (2017). Self-Transcendent Emotions and Their Social Functions: Compassion, Gratitude, and Awe Bind Us to Others Through Prosociality. Emotion Review, 9(3), 200–207.
  • Stellar, J. E., Gordon, A., Anderson, C. L., Piff, P. K., McNeil, G. D., & Keltner, D. (2018). Awe and humility. Journal of Personality and Social Psychology, 114(2), 258–269.

]]>
自分らしく生きるには?――セルフ・コンパッション、成長マインドセット、人生の意味と豊かさ https://h-utsuwa.com/outline/self Sun, 20 Apr 2025 11:57:07 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2650 「自分とは何か?」「自分はどう生きたいのか?」「どうすれば人として成長できるのか?」――私たちは人生の様々な場面で、『自己』というテーマと向き合います。

『自己』は、私たちの思考、感情、行動の中心にあり、人生の満足度や充実感や方向性を決める根源的な存在です。

この捉えどころのない『自己』について、心理学の研究では様々な角度から光を当ててきました。

この記事では、近年、注目されている「セルフ・コンパッション」「成長マインドセット」「人生の意味・豊かさ」といった概念を手がかりに、私たちが自分らしく生きるために『自己』とどう向き合っていけばよいのかを探っていきます。


「自己」とどのように向き合うか? – 心理学研究から見る自己の多面的理解

心理学的な視点から見ると、『自己』は単一の固定的な実体ではなく、多様な側面を持つ動的なプロセスとして捉えることができます。

そのプロセスでは、自分にとって大切な価値観を把握し、自分らしさを受け入れながら自己確立・自己実現を目指すことが大切であり、それが人生の意味や充実感に大きく関わります。

そこで近年の研究を踏まえて、以下の3つの観点から「自己との向き合い方」を見ていこうと思います。

① セルフ・コンパッション

セルフ・コンパッションとは、他者へのコンパッション(思いやり)を自分自身に向けたもので、「個人的な失敗や不完全さ、あるいは人生の困難によって苦しみを感じているときに、自分自身に対して優しく支援的な態度であること」と定義されます (Neff, 2023)。

Neff(2023)によれば、そこには主に3つの構成要素(と対極にあるもの)があります。

  • 自分への優しさ vs 自己批判: 困難な時に、自分を厳しく断罪するのではなく、温かく理解ある態度をとること。積極的に自分の苦痛に対して関心を寄せ、ケアすることが大切です。自己批判が精神的な健康を損なうのに対し、自分への優しさは回復力(レジリエンス)を高めます。
  • 共通の人間性 vs 孤独感: 自分の失敗や苦しみを、自分だけのものではなく、誰もが経験しうる人間らしい経験の一部として捉えること。これにより自分は独りではないと感じられ、孤独感が和らぎます。
  • マインドフルネス vs 過剰同一化: 苦痛を伴う思考や感情に気づきつつも、それに飲み込まれたり無視したりせず、バランスの取れた意識で向き合うこと。これにより、ネガティブな思考や感情に支配されにくくなります。

セルフ・コンパッションは弱さではなく強さをもたらし、モチベーションを損なうのではなく促進し、自己中心的になるのではなく他者への配慮も高める効果があります (Neff, 2023)。

研究によると、セルフ・コンパッションは、抑うつや不安といった精神的な問題の低減やウェルビーイング(幸福感)の向上と強く関連することが、一貫して示されています (Neff, 2023)。


② 成長マインドセット

マインドセット理論では、私たちの能力や知性についての信念が、その後の行動や達成に大きな影響を与えると考えられています。

ポイントは、あくまで”信念”としてのマインドセットであり、科学的な根拠の有無よりも、自分が信じられるかどうかに焦点を当てることが大切です。

特に注目されるのが「硬直マインドセット(Fixed Mindset)」と「成長マインドセット(Growth Mindset)」の対比です (Yeager & Dweck, 2020; Sigmundsson & Haga, 2024)。

  • 硬直マインドセット: 能力は生まれつき決まっており、永続的で変えられないという信念。困難に直面すると、自分の能力の限界の表れと捉え、失敗や批判を避けようとする傾向がある。
  • 成長マインドセット: 能力・属性・特性は変わりうるものであり、努力によって発達・形成可能であるという信念。困難に直面しても、それを学びの機会と捉え、努力し続けることで成長できると信じる。

研究では、成長マインドセットは特に困難な状況において、レジリエンス(立ち直る力)、学習意欲、そして最終的な達成にもつながることが示されています (Yeager & Dweck, 2020)。

したがって、自分の可能性を決めつけず、何歳になっても成長し続けるという自己信頼感が重要になります。


③ 人生の意味と豊かさ

人生の意味は、主に以下の3つの要素から構成されると考えられています (King & Hicks, 2021)。

  • 理解/一貫性(Comprehension/Coherence): 自分の人生や経験が「腑に落ちる」、一貫して筋が通っているという感覚。
  • 目的(Purpose): 人生に重要な目標や方向性があり、自己を超えたものに貢献しているという感覚。
  • 存在意義/重要性(Existential Mattering/Significance): 自分の人生に意義があり、重要で価値があるという感覚。

人生の意味を高める要因として、ポジティブな感情、社会的なつながり、宗教や世界観、自己理解、メンタルタイムトラベル(過去や未来について考えること)、死の意識などが指摘されています(King & Hicks, 2021)。

なお、日本の研究では、意味の保有(人生に意味があると現在感じている度合い)や意味の探求(人生の意味を探し求めている度合い)は年齢とともに高くなる傾向があり、それらは主観的幸福感とも正の相関を持つことが示されています (Shimai et al., 2019)。

さらに、従来の幸福(快楽的幸福:楽しい、心地よい)や意味(目的論的幸福:意義がある、価値がある)という「良い人生」の二元的な捉え方に加えて、Oishi & Westgate(2021) は「心理的に豊かな人生」という第三の側面を提案しています。

これは「多様で、興味深く、視点を変えるような経験」によって特徴づけられる人生を指し、時には強烈な感情(ポジティブなものもネガティブなものも含む)を伴う出来事も必要です。

例えば、必ずしも心地よいとは限らない芸術体験や、悲劇やトラウマといった困難な経験こそが重要であり、それらは個人の成長や、より深い自己理解を考える上で新たな枠組みを提供します。

そのため、ときに幸福や人生の意味と相反することもあるかもしれませんが、それも含めて豊かな人生の一要素であり、自分らしい生き方を深める上で重要な出来事として捉えられることが大切になります。


『自己』を育むための4つのヒント

『自己』とより良く向き合い、健やかに成長していくためには、どのようなことを心がければよいのでしょうか?

上述の研究を踏まえて、4つのヒントをご紹介します。

ヒント1:困難な時に「自分に優しく」する

  • 自分を大切な親友のように接する: 自分が苦しんでいる時、「もし大切な親友が同じ状況だったら、どんな言葉をかけるだろう?」と考えてみましょう。そして、その言葉を自分自身にかけてあげてください。
  • 「人間だもの」と受け入れる: 失敗や欠点、苦しみは、自分だけが経験する特別なことではなく、誰もが経験する人類共通の自然なことだと認識しましょう。これにより、孤独感も和らぎます。
  • 感情に気づき、距離をとる(マインドフルネス): 辛い感情や自己批判的な思考に気づいても、それに飲み込まれたり、無視したりせず、「今、こんな風に感じているな」と、少し距離をとって客観的に観察してみましょう。
  • 自分をケアする行動をとる: 自分を労わる時間を作ったり、休息をとったり、必要な助けを求めたりすることも、セルフ・コンパッションを促進する重要な行動です。


ヒント2:「成長できる自分」を信じる

  • いつまでも「能力は伸びる」と意識する: 能力は固定的なものではなく、努力や工夫、他者の助けによって向上するものだと意識的に考えてみましょう。
  • 挑戦を「学びの機会」と捉える: 難しい課題や新しい挑戦を、自分の能力の優劣を測るテストではなく、新しいことを学び成長するための機会と捉えてみましょう。
  • 失敗から学ぶ: 失敗や間違いを、能力不足と捉えるのではなく、やり方や努力の仕方を見直すための貴重なフィードバックの機会と考えましょう 。
  • 「プロセス」を褒める: 自分や他者を評価する際、結果だけでなく、そこに至るまでの努力、工夫、粘り強さといったプロセスに注目し、それを認め、褒めるようにしましょう。


ヒント3:人生の「意味」を見出し、深める

  • 自分にとっての「意味」を探る: 何をしている時に「充実している」と感じるか、人生で何を大切にしてきたか(価値観)、どのような目標に向かっている時に「生きがい」を感じるかなどを自問自答してみましょう。
  • 日々の経験と「意味」を結びつける: 仕事、趣味、人間関係、あるいは日常のささやかな出来事の中に、自分の価値観や人生の目的との繋がりを見出すことで、意味の感覚は深めましょう。
  • 社会とのつながりを意識する: 他者との良好な関係や、誰かの役に立っているという感覚も、人生の意味にとって重要です。そうしたつながりを意識してみましょう。
  • 意味の「探求」も大切にする: 人生の意味はすぐに見つかるものではなく、探求し続けるプロセスそのものに価値があります。日本の研究では、年齢を重ねても意味を探求し続ける傾向が見られるため、焦らずに、自分なりの意味を探し続けることが大切です。


ヒント4:「変化に富んだ経験」を求める(心理的に豊かな人生)

  • 好奇心を大切にする: 未知のこと、新しいことに対する好奇心を持ち、様々な可能性を探究してみましょう。
  • 快適ゾーンから一歩踏み出す: いつもと違う場所へ旅行する、新しいスキルを学ぶ、異なる背景を持つ人々と交流するなど、快適ゾーンから一歩踏み出して、日常に変化を取り入れてみましょう。
  • 困難な経験の意味を味わう: 楽しい経験だけでなく、困難や予想外な経験も、自分の視点をどのように変え、豊かにしてくれたかを振り返ってみましょう。必ずしも心地よい経験でなくても、人生に深みや面白さをもたらすことがあるでしょう。
  • 「豊かさ」の多様性を受け入れる: 「良い人生」の形は一つではありません。幸福、意味、そして心理的な豊かさは人それぞれであり、何を大切にするかは、人生の時期によっても変化しうることを受け入れましょう。


まとめ

『自己』とは、私たちが人生を通じて向き合い、探究し、育んでいくものです。

自分自身に対して批判的になるのではなく、思いやりを持って関わることで、困難な時にも自分を優しく支え、同時に成長へと導くことにつながります。

その際、『自己』は固定的なものではなく、努力や経験を通じて常に発達し、変化する可能性を秘めていて、挑戦や失敗を恐れるのではなく、それらを学びの機会として捉えるマインドセットが大切になります。

そして、人生に一貫性、目的、価値を見出し(人生の意味)、同時に多様で視点を変えるような経験を通じて人生における豊かさを深めていく姿勢を心がけましょう。

これにより、現状の器に満足して器を固定化させるのではなく、より豊かで意味のある「自分らしい」生き方を追求し、無限の可能性を持った自己と向き合い続けられるようになるのではないでしょうか。


参考文献

  • King, L. A., & Hicks, J. A. (2021). The Science of Meaning in Life. Annual Review of Psychology, 72, 561-584.
  • Neff, K. D. (2023). Self-Compassion: Theory, Method, Research, and Intervention. Annual Review of Psychology, 74, 193-218.
  • Oishi, S., & Westgate, E. C. (2021). A Psychologically Rich Life: Beyond Happiness and Meaning. Psychological Review, 128(4), 789-813
  • Shimai, S., Arimitsu, K., & Steger, M. F. (2019). Meaning in life across developmental stages among Japanese adults: Scores and correlates. Journal of Health Psychology Research, 32(1), 1-11.
  • Sigmundsson, H., & Haga, M. (2024). Growth Mindset Scale: Aspects of reliability and validity of a new 8-item scale assessing growth mindset. New Ideas in Psychology, 75, 101111.
  • Yeager, D. S., & Dweck, C. S. (2020). What Can Be Learned From Growth Mindset Controversies? American Psychologist, 75(9), 1269-1284.

]]>
達観の境地に至るには?――メタ認知/認識論的認知・知的謙虚さ・実践的智慧の観点から https://h-utsuwa.com/outline/phronesis Sun, 20 Apr 2025 10:46:20 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2646 情報が溢れ、価値観が多様化し、何が真実か見極めるのが難しい現代社会。

私たちは、意見の対立に心を乱されたり、自分の考えの狭さに気づいて落ち込んだりしがちです。

そのような中で、言葉巧みに美徳や社会貢献をアピールし、自社のビジネスに熱狂的な聴衆を巻き込んでいる人もいます。

そこに個人的な利益や満足を得ようとする意図が巧妙に隠されているとしたら、それを見極められる我々のリテラシーが試されるでしょう。

何が真実で、何を信じればいいのかわからない時代だからこそ求められるのが、物事を広く大きな視点から捉え、冷静に、そして賢明に向き合うための心の状態——「達観」です。

「達観」とは、「広い視野と大きな見通しを持つこと」(デジタル大辞泉)と定義されます。

達観は叡智と似ているようで異なり、物事を深く複雑に捉えようとする叡智に対して、むしろ「それがすべてではない」と手放していく境地が達観と言えるでしょう。

さらに近年の心理学研究は、達観が単なる静観や諦めではなく、高度な知的・精神的な働きに支えられていることを明らかにしています。

具体的には、自己を客観視する力(メタ認知)、知識の本質を見極める力(認識論的認知)、自己の限界を知る力(知的謙虚さ)、そしてそれらを現実の複雑な状況の中で、倫理観を持って賢明に判断する力(実践的智慧)などが挙げられます。

この記事では、これらの心理学的な知見に基づき、「達観」とはどのような心の状態なのか、そして私たちがより「達観」した視点を育むために何ができるのかを探っていきます。


「達観」を支える3つの視点

「達観」は、一朝一夕に身につくものではありません。
以下、達観に関連する3つの視点を掘り下げて考察します。

①メタ認知・認識論的認知

達観に至る上では、私たちがどのように「知識」や「知る」こと自体と向き合うかが極めて重要です。

これには、自身の思考プロセスを客観視する力と、知識そのものの性質を理解する力の両方が関わり、Kitchener (1983) はこれらを階層的に捉える「三層構造モデル」を提唱しています。

  • 認知レベル: 知識を用いて課題に取り組んだり、問題を解決したりする基本的な認知活動。
  • メタ認知レベル: 認知レベルの思考プロセスを監視し、計画し、評価・修正する、一つ上の階層からの反省的な思考。
  • 認識論的認知レベル: 知識とは何か、その限界はどこにあるのか、確実性はどの程度かといった、知識自体の性質や正当性に関する信念や考察。

このモデルでは、より高次のレベルに位置付けられる知識の本質を理解する力(認識論的認知)によって、自分の考え方を客観的に見る力(メタ認知)が規定される可能性を示唆しています。

両者の定義を詳しく見ていきましょう。

  • メタ認知 (Metacognition):
    まず自分自身の思考プロセスそのものに目を向ける力、すなわちメタ認知が重要です。ここでは、自分が「何を知っていて、何を知らないか」を把握する(メタ認知的知識)だけでなく、自分の思考や学習を「計画・監視・評価・修正する」(メタ認知的制御)能力が求められます (Stanton et al., 2021; Fleur et al., 2021)。メタ認知によって、自分の思考の癖や偏り(バイアス)を自覚し 、客観的に評価・調整することが可能になります。そのため、メタ認知は、後述する知的謙虚さを持ち、多角的な視点を得るための前提と言えるでしょう。
  • 認識論的認知 (Epistemic Cognition):
    さらに、知識そのものに対する理解としての認識論的認知も欠かせません。これは、「知識とは何か」「それはどのようにして得られ、どの程度確かなものなのか」といった、知識の本質に関する個人の信念や理解を指します (Sandoval et al., 2016; Greene & Yu, 2014)。
    多くの場合、知識観は、単純な二元論(知識は絶対的で正解は一つ)から、より洗練された考え方へと発達します。つまり、知識の複雑さ、文脈による依存性、不確実性を認め、単純な答えを求めるのではなく、証拠に基づいて吟味・評価したり、時には判断を保留したりすることも大切です (Greene & Yu, 2014)。知識は絶対不変ではなく、常に改訂される可能性のあるものだと理解することで、多様な意見や不確実性を柔軟に受け入れられるようになります (Sandoval et al., 2016)。

なお、認識論的認知に関しては、前回の記事で触れたWest (2004)の発達段階モデルが参考になります。

現代社会では、シンプルで魅力的で安価なフィクションが蔓延する一方、真実とは、複雑で、吟味・評価にコストがかかり、時に矛盾に満ちていて、ダイナミックに変わり続けるものと言えるかもしれません。


②知的謙虚さ

達観に至る上で、自分自身の限界を適切に認識することが基本となります。
このときに重要な概念が「知的謙虚さ (Intellectual Humility)」です。

知的謙虚さには多様な定義が存在しますが、その核心は「自身の知識には限界があり、現在の信念が誤っている可能性があると認識すること」です (Porter et al., 2022)。

ここには、「自分の知識には限界がある」こと、そして「自分の信念は間違っているかもしれない」という二つの側面があり、ソクラテスの言う「無知の知」にも通じる態度です (Porter et al., 2022; Bąk et al., 2021)。

また、知的謙虚さは、単なる自信のなさや自己卑下とは明確に区別されています。

むしろ、自分の知的能力を過信する「知的傲慢」と、過小評価しすぎる「知的卑屈」との間のバランスの取れた中庸を大切にします (Porter et al., 2022; Bąk et al., 2021)。

傲慢にも卑屈にもならず、自分の考えや信念が絶対ではないという認識のもと、好奇心を持って積極的に新たな情報を求め、異なる視点に対してオープンであることが知的謙虚さを育むうえでの鍵となります。


③実践的智慧

達観は、個人の認識論的な態度にとどまらず、それを現実世界の複雑な状況の中で活かそうとする実践的智慧へと繋がっていきます。

  • 統合的知恵モデル :
    Glück & Weststrate (2022)が提唱する統合的知恵モデルは、「非認知的要素(探索的志向、他者への配慮、感情制御)」と「認知的要素(知識、メタ認知、自己内省)」が賢明な行動にどのように影響を与えるかを示しています。このモデルでは、知恵の非認知的要素が、認知的要素と行動の関係に及ぼす調整効果に着目しています。すなわち、賢明な個人は、非認知的要素に関係する「知恵の心の状態(wisdom state of mind)」を持っており、それによって困難な状況においても知恵の認知的要素(知識、メタ認知、自己内省)を十分に活用することができます。
  • 知恵を促進する「自己脱中心化」
    Grossmann et al. (2020) は「道徳に根ざしたメタ認知の応用による推論と問題解決」という知恵モデルを提唱し、中でもメタ認知(認識論的認知、知的謙虚さ、多様な視点の考慮を含む)が重要であることを指摘しています。ただし、知恵は個人の特性的な性格よりも、経験的文脈や状況によって大きく変動すると考えられ、特に自身の問題に直接関わるような自己関与が強い状況においては、賢明な思考が抑制される傾向があることがわかりました(Grossmann, 2017)。
    これを防ぐために、自己中心的な思考を抑制する「自己脱中心化(Ego-Decentering)」という認知的マインドセットの重要性が提唱されています。具体的には、意識的に自己から距離を置く工夫や、自分が置かれている文化や社会といったマクロな文脈の影響を認識することが、状況に応じた適切な知恵の発揮において重要になります。
  • 文脈的統合思考としての実践的智慧:
    アリストテレスが重視した実践的智慧(フローネシス)は、道徳的な問題に関して、包括的・統合的で、状況に応じた、実践的な熟慮と判断の卓越性(メタ的徳性)と考えられています (Darnell et al., 2022; Kristjánsson et al., 2021)。Kristjánsson et al (2021)は文脈的統合思考としての実践的智慧モデルを提唱し、そこには以下の4つの主要な機能を挙げています。
    構成的機能(道徳的感受性): 置かれた状況から倫理的に重要な要素を認識し、最善の対応を理解する機能です。
    統合的機能: 複数の倫理的に重要な考慮事項が存在する場合に、それらのバランスを取り、最善の行動を選択する機能です。
    青写真機能: 人々がどのように行動すれば繁栄した人生を送れるかという全体論的なビジョンの理解です。これには個人の道徳的アイデンティティが含まれます。
    感情調整機能: 感情経験に理性を組み入れて、感情反応を適切に対処する機能です。ここでは、単に感情を抑圧するのではなく、理性に基づいて感情を調和させることが重要になります。

本記事では認知面の達観に焦点を当てていますが、上述のとおり、実践的智慧では、認知だけでなく、感情、目的、行動を構成要素とした体系的なモデルが想定されています。

すなわち、達観を実践するうえでは、「感情調整機能(感情)」や善い目的を重視する「青写真機能(自我統合)」も重要であり、これを通じて自己中心的な思考を避けられるとともに、どんな文脈でもメタ認知をベースとした道徳的推論(達観した判断)を行えるようになり、賢明な行動につながっていくということが示唆されます。


「達観」した視点を育むための3つのヒント

達観した視点――すなわち「自身の客観視」「知識との向き合い方」「謙虚な自己認識」「統合的な智慧の実践」を、私たちはどのように育んでいけばよいのでしょうか。

以下に、そのための具体的な3つのヒントを紹介します。

ヒント1:メタ認知を高める – 自分の思考プロセスを客観視する

  • 思考のメタ的監視: メタ認知的制御の概念に基づき、自分の思考や学習を「計画・監視・評価・修正する」習慣をつけましょう。思考の過程で「今、どのような推論をしているか」「どのような前提に基づいているか」を意識的に問いかけることが重要です。
  • 思考のパターンや偏りを認識する: 自分特有の思考の癖やバイアスを自覚し、それらがどのように判断に影響しているかを把握しましょう。「なぜ私はこの結論に至ったのか?」と思考プロセスを遡る練習が有効です。
  • 「知らないこと」を明確にする: あるテーマについて「自分は何を知らないか」を明確にする習慣をつけましょう。これは知的謙虚さにも重なりますが、無知を認めることは弱さではなく、むしろ知的成長の第一歩です。


ヒント2:認識論的認知を深める – 知識と「知る」ことの本質を理解する

  • 情報の評価基準を持つ: 情報源の信頼性、証拠の質、論理的一貫性などを吟味する習慣をつけることで、認識論的認知の「証拠に基づいて評価する」という側面が強化されます。
  • 知識の文脈依存性を理解する: 同じ知識でも、文化的・歴史的・社会的文脈によって解釈が変わりうることを認識し、知識を絶対視せず相対的に捉える視点を養いましょう。
  • 知的好奇心を持ち続ける: 新しい視点に対してオープンになり、好奇心を持って学び続ける姿勢が大切になります。
  • 思考の複雑さを受け入れる: 複雑な問題に対して、単純化された結論を急ぐのではなく、矛盾や不確実性を一時的に保留する能力を養いましょう。
  • 知識の複雑性と不確実性を認識する: 分野によって知識の確実性の度合いは異なります。そのことを理解し、絶対的な正解や真実を求める単純な二元論から脱却しましょう。査読論文に掲載された科学的知識でさえ常に改訂される可能性があるという認識によって、知識そのものへの洞察が深まります。


ヒント3:知的謙虚さを育み、実践的智慧を養う

  • バランスの取れた自己評価: 知的傲慢さと知的卑屈さの間の「中庸」を目指しましょう。自分の能力を過信せず、かといって過小評価もせず、適切に自己を評価する姿勢が大切です。
  • 自己脱中心化の実践: 「自己脱中心化」を意識的に行いましょう。自分が直面している問題を、あたかも他者の問題であるかのように考えることで、感情的に巻き込まれるのを防ぎ、より客観的な視点を得られます。
  • マインドフルネスと感情調整: 感情を無理に抑圧するのではなく、感情を認識しつつも理性と調和させる実践を心がけることは、自己を客観視する上で重要な要素です。
  • 時間的・空間的距離を取る: 現在の問題を未来(例:10年後、この問題はどう見えるだろうか?)や異なる場所(例:他の文化圏の人はどう考えるだろうか?)から見る想像力を働かせることで、自己中心的な視点からの解放を促します。
  • 文脈的統合思考を養う:文脈を統合的に捉えるためにも、倫理的に難しい問題と向き合い、道徳的な感受性を高めたり、自分も含めて人々がどのように行動すれば中長期的に繁栄した人生を送れるかという人生観を深めることが大切です。これによって、自己中心的な思考を避けて、達観した賢明な判断を行えるようになります。


まとめ

「達観」とは、一部の特別な人が到達する境地ではなく、誰もが日々の意識と実践を通じて育むことのできる、成熟した精神のあり方です。

本記事で見てきたように、達観は、以下の理論的な視点によって支えられています。

まず、「メタ認知・認識論的認知」によって自己の思考プロセスを客観視し、知識の本質を理解します。

次に、「知的謙虚さ」によって自己と知識の限界を適切に認識します。

そして、「統合的な智慧の実践」によって、自身の認識を現実の複雑な文脈の中で捉え直し、倫理的かつ道徳的な観点も含めて現実に適用する方法を模索します。

これらの視点は互いに関連し合い、達観という動的なプロセスを形成していきます。

それは単なる諦観ではなく、深い理解と自己省察に基づき、現実的でバランスの取れた視点によって導かれる賢明な関与を意味します。

その際、自己中心的な視点から距離を置き、広い文脈を考慮することが求められます。

何が真実で、何を信じればいいのかわからない時代において、より穏やかに、より賢明に、そしてより豊かに生きるために、「達観」した視点を育むことは、私たち一人ひとりにとって大きな助けとなるでしょう。


参考文献

  • Bąk, W., Wójtowicz, B., & Kutnik, J. (2021). Intellectual humility: an old problem in a new psychological perspective. Current Issues in Personality Psychology, 10(2), 85–97.
  • Darnell, C., Gulliford, L., Kristjánsson, K., & Paris, P. (2022). A multifunction approach to assessing Aristotelian phronesis (practical wisdom). Personality and Individual Differences, 196, 111684.
  • Fleur, D. S., Bredeweg, B., & van den Bos, W. (2021). Metacognition: ideas and insights from neuro- and educational sciences. npj Science of Learning, 6, 13.
  • Glück, J., & Weststrate, N. M. (2022). The Wisdom Researchers and the Elephant: An Integrative Model of Wise Behavior. Personality and Social Psychology Review, 26(4), 342-374.
  • Greene, J. A., & Yu, S. B. (2014). Modeling and measuring epistemic cognition: A qualitative re-investigation. Contemporary Educational Psychology, 39(1), 12-28.
  • Grossmann, I. (2017). Wisdom in Context. Perspectives on Psychological Science, 12(2), 233-257.
  • Grossmann, I., Dorfman, A., & Oakes, H. (2020). The Science of Wisdom in a Polarized World: Knowns and Unknowns. Psychological Inquiry, 31(2), 103-133.
  • Kitchener, K. S. (1983). Cognition, Metacognition, and Epistemic Cognition. Human Development, 26(4), 222-232.
  • Kristjánsson, K., Gulliford, L., & Morgan, B. (2021). Phronesis (Practical Wisdom) as a Type of Contextual Integrative Thinking. Review of General Psychology, 25(3), 239-257.
  • Porter, T., Schumann, K., Selmeczy, D., & Trzesniewski, K. H. (2022). Predictors and consequences of intellectual humility. Nature Reviews Psychology, 1(10), 524-536.
  • Sandoval, W. A., Greene, J. A., & Bråten, I. (2016). Understanding and Promoting Thinking About Knowledge: Epistemic Cognition Research in Education. Review of Research in Education, 40(1), 457-496.
  • Stanton, J. D., Neider, X. N., Ghahremani, D. G., & Tadayonnejad, R. (2021). Fostering Metacognition to Support Student Learning and Performance. CBE—Life Sciences Education, 20(2), fe2.

]]>
叡智を鍛えるには?――認知発達理論、システム思考、弁証法思考を用いて https://h-utsuwa.com/outline/sophia Wed, 16 Apr 2025 10:06:59 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2644 変化が激しく、不確実で、複雑な現代社会において、私たちは日々、様々な問題やジレンマに直面します。

そのような状況下で、物事の本質を見抜き、より良い判断を下すための力、すなわち「叡智(えいち)」が求められます。

叡智は、単に多くの知識を持つこと(博識)とは異なり、物事を多角的かつ深く捉え、複雑な関係性や矛盾を理解し、本質を見抜く思考の「質」に関わります。

また、単なる知性の高さとも一線を画し、より成熟した認知能力の統合体として理解すべきです。

この記事では、認知発達理論、システム思考、弁証法思考の研究知見を手がかりに、「叡智とは何か」、そして私たちが「叡智を鍛える」ために何ができるのかを探究していきます。


叡智を捉える3つの柱

叡智を立体的に捉えるために、以下、先行研究で提唱された3つの概念の統合的に検討します。

①認知発達理論:思考の階層的な複雑性

人間の思考は、質的に異なる段階を経て発達すると考えられます。
この発達段階を示す代表的なモデルをいくつか見ていきましょう。

  • ダイナミックスキル理論(Dynamic Skill Theory)
    認知とは、単に知識や理解だけでなく、環境との相互作用の中で行動を制御・適応させる能動的なプロセスとして捉えられています(Fischer, 1980)。ダイナミックスキル理論によれば、認知発達は、①感覚運動スキル(目に見える具体的行動)、②表象スキル(心的イメージや言語による表現)、③抽象スキル(抽象的概念や原理)という3つ階層に分けられ、さらに各階層内で「単一スキル」→「マッピング(複数のスキルの関連づけ)」→「システム(複数のマッピングの調整)」→「メタシステム(複数のシステムの統合)」という4つの段階を経て認知スキルが洗練されていくと考えられます。
  • 階層的複雑性モデル(MHC: Model of Hierarchical Complexity)
    階層的複雑性モデルは、ダイナミックスキル理論を基礎としたうえで、タスクの複雑性に着目して認知発達を数学的に記述したものです。このモデルでは、思考の複雑性を0から16まで段階で示しています(Commons & Jiang, 2014; Commons & Kjorlien, 2016)。その中でも、成人の認知発達においては、以下の4段階が重要になります(Commons, 2007)。
    抽象的段階(9段階目)では、複数の具体的事例から共通の抽象的特徴を抽出します。例えば、抽象概念や量的変数を用いて、事象の範囲や量を抽象的に捉えることができます。
    形式的段階(10段階目)では、抽象的概念間の関係性を扱えるようになります。この段階では仮説を立てて、それを経験的・論理的な証拠に基づいて検証するなど、科学的な思考の基礎がつくられます。ただし、その思考は一次元的で、主に線形の因果関係を捉えるにとどまります。
    システム段階(11段階目)では、複数の変数が相互に影響し合う複雑なシステムを理解し、分析します。このとき、単一の線形関係だけでなく、文脈全体の中で要素間の関係性を捉えられます。例えば、社会システムや経済システムなど、多くの要素が複雑に絡み合っている現象を理解しようとします。
    メタシステム段階(12段階目)では、複数の異なるシステムを比較、分析し、それらを統合するより高次のシステム(メタシステム)を構築するします。ここでは、それぞれのシステムの特性や限界を理解した上で、それらを包括する新たな視点や枠組みを生み出そうとします。例えば、異なる理論や学問分野を比較検討し、それらを統合するような思考を行います。
  • 認識論的発達段階
    West (2004)は、これまで提唱された認知発達理論を踏まえて、特に高等教育における知的・倫理的成長を念頭に置いた、包括的な4段階の認識論的発達段階モデルを提唱しました(West, 2004)。なお、以下の記述は、上述した階層的複雑性モデルの4段階と重なります。
    段階1 絶対的な知識(Absolute Knowledge): この段階では、知識は確実で絶対的なものであると捉えます。あらゆる問題には一つの正しい答えが存在し、その中での曖昧さは許容されません。専門知識を有する教師・先生は絶対的な権威として認識されるため、あらためて知識の正当性を問い直す必要はありません。
    段階2 個人的な知識(Personal Knowledge):この段階では、知識の正当性が揺らぐため、以前は権威ある者だけが持っていた知識の正当性の吟味を開始し、自身なりの意見を高めていきます。ただし、それでも知識は個人的な信念に基づくため自己中心的であり、その知識に基づく自分なりの意見は権威者の意見と同じくらい正しいと盲目的に捉えがちです。
    段階3 規則に基づいた知識(Rules-based Knowledge): この段階では、個人的な意見から一歩進み、客観的な規則に基づいて知識を評価するようになります。しかし、その適用範囲は一つの分野(システム)に限定され、分野を跨ぐ問題や新しい状況への対応には限界が見られます。また、科学的手続きを重視するがゆえに、個人的な判断や関与を一種の偏見と見なして否定する傾向があります。
    ・段階4 評価的な知識(Evaluative Knowledge): 現実世界の多くの新しい問題を解決するためには、特定領域の閉じたシステムだけでなく、その状況が様々な立場から見てどのように考えるかを俯瞰して問い直す必要があります。この段階では、単に外部から与えられた知識・規則に従うのではなく、自らが積極的に知識を吟味し、評価し、解釈し、判断を下そうとします。ここでは個人的な主体性と責任が強調され、より複雑な現実世界の問題に自ら対処するようになります。


②システム思考

叡智の2つ目の柱は、物事を個別の要素としてではなく、相互に関連し合う要素の集合体(システム)として捉えるシステム思考です(Hossain et al., 2020)。

現在、システム思考は第4波と呼ばれるタイミングにあり、その根底には4つの普遍的なパターン(DSRP理論)があると考えられています(Cabrera et al., 2023)。

  • 区別(Distinctions):システムの範囲において、あるアイデンティティ(i)をそれ以外のもの(o)と区別することが重要です。何かが「ある」ためには、それが「ない」ものとの間に境界線が必要になります。 区別は、焦点を当てる対象を明確にし、それ以外のものを背景として認識する、システム思考の最初のステップです。
  • システム(Systems): システムは、相互に関連し合う複数の要素から階層的に構成されており、個々の要素だけでは理解できない特性を持つ全体を指します。 全体は部分の集合体であるだけでなく、部分間の相互作用によって生まれる新たな性質(創発性)を持ちます。
  • 関係(Relationships):システムにおいては、二つ以上の要素間の相互作用や影響があります。そこでは原因と結果、依存関係、相関関係など、様々な形の関係性が存在します。システム内の要素間の関係性を理解することは、システムの振る舞いを予測する上で重要です。
  • 視点(Perspectives):同じシステムや現象でも、観察する人の立場や視点によって、捉え方や解釈が異なります。異なる視点を認識し、考慮することで、より包括的で多角的な理解が可能になります。

なお、複雑な問題の階層構造やプロセスのダイナミクスを見抜くために、因果ループ図をはじめとする様々な思考ツールが開発されています(※参考:文部科学省「イノベーション対話ツールの開発」について」)。

部分と全体の複雑な関係性を理解し、「木も見て森も見る」能力は、叡智を鍛えるうえで不可欠となるでしょう。


③弁証法思考:矛盾を乗り越える

現実世界は、しばしば矛盾や対立(パラドックス)に満ちています。
叡智の3つ目の柱は、こうした矛盾に対処するための高度な思考能力です。

  • 弁証法:
    二元的な論理(善悪や正誤)を超えて、思慮深くアイデアを検討し、異なる見方を組み合わせ、統合する方法としての「弁証法思考」は多くの学問領域で応用されています(Johnson, 2017)。それは、矛盾や対立、絶え間ない変化を世界の常態と捉え、単純にどちらか一方を選ぶのではなく、それらの対立を乗り越えて統合しようとする思考形態です。一般的には、正(テーゼ)→反(アンチテーゼ)→合(ジンテーゼ)といった三段階で説明されます。
  • 弁証法の思考形態
    Laske(2015)は、具体的なフレームとしてDTF(Dialectical Thought Form)を提案し、以下の4つの弁証法思考の形態を挙げています。
    Context(文脈)思考: 現象を広範な文脈の中に位置づける。
    Process(プロセス)思考: 現象を静的なものではなく、動的な変化の過程として捉える。
    Relationship(関係性)思考: 様々な要素間の複雑な相互関係を理解する。
    Transformation(変容)思考: システム全体の根本的な変容の可能性を探る。

なお、研究によれば、思考形態と文化背景の関連が指摘されており、東アジア文化圏では、西洋文化圏と比較して、全体論的な思考や矛盾の受容がより顕著に見られる傾向があるようです(Nisbett et al., 2001)。

弁証法思考とは、複数の異なる視点や考え方を丁寧に理解し、対話し、その緊張関係から新たな理解や統合を生み出すための動的なプロセスとして捉えられます。

それを通じて、単純な二元論を超え、複雑な状況における、より深く本質的な理解をもたらします。


叡智は生涯を通じて発達する

叡智の発達に関する重要な科学的発見の一つは、認知能力の質的な発達が成人期以降も継続するという点です。これは、「成人期に入ると認知能力は固定化される」という従来の考え方を覆すものです。

Dawson-Tunikら(2005)の研究によれば、高次の認知段階は、多くの場合20代後半以降に出現し始めるとされます。ただし、年齢そのものよりも、教育歴や継続的な学習経験が、成人期の認知発達を予測する重要な要因であることも示されています。

さらに注目すべきは、発達の「形状」です。思考の発達は直線的・連続的に進むのではなく、ある段階で安定(プラトー)した後、次の段階へと飛躍(急成長)するという、「波」のような非連続的なパターンを描くことが示唆されています(Dawson-Tunik et al., 2005)。

したがって、叡智の発達は、決して一部の天才だけが成しえるものではなく、誰しも生涯を通じて意識的に探求すべきものであり、ときには停滞を繰り返しながらも、絶えず学習を重ねることで発達させることが可能と言えます。


叡智を育むための実践的アプローチ

叡智は、意識的な努力と学習を通じて育むことができるものです。
そこで、上述した研究知見に基づいた具体的な実践アプローチを紹介します。

アプローチ1:思考の「階層的複雑性」を高める

思考が段階的に発達することを意識し、自身の認知を高次の段階へと引き上げることを目指します。

  • 知的な挑戦を継続する: 自身の現在の理解レベルを少し超えるような難易度の本を読む、複雑な問題に取り組む、多様な視点に触れる対話機会を積極的に設ける。特に、高等教育での学び直しは成人期の認知発達に重要な役割を果たします。
  • 抽象化と統合を訓練する: 具体的な事例群から抽象的な原理を見出す、逆に抽象的な概念を具体例に適用するといった思考練習を行う。また、異なる分野の概念を結びつけ、より高次の視点から統合する思考訓練も有効です。
  • 認識論的前提を問う: 「なぜ自分(または他者)はそう考えるのか?」という問いを通じて、思考の背景にある知識観や世界観(認識論的前提)を探ります。単に外部から与えられた規則に従うのではなく、自らが積極的に論拠を吟味し、評価し、解釈し、判断を下します。これにより、知識を絶対的な正誤ではなく、文脈依存的で相対的なものとして捉える視点を養います。


アプローチ2:「システム思考」を実践する

部分だけでなく、全体の関係性や構造、時間的な変化に目を向けるシステム思考を意識的に活用します。

  • システムの構造を記述する: あるシステムはどのような目的を持っていて、その目的に照らしたとき各要素はどのような階層構造になっているか。また、どのような機能があり、機能はどのようなフローで進んでいくかを、具体的に記述しながらシステムの構造を明らかにする訓練が効果的です。
  • 相互連関性をマッピングする: ある出来事や問題が、他のどのような要素と関連し、影響し合っているかを図式化してみましょう。その際、直接的な因果関係だけでなく、間接的な連鎖(例:風が吹けば桶屋が儲かる)にも注意を払います。
  • フィードバックループを特定する: 自身の行動や決定がどのような結果を生み、その結果がどのように自身や状況にフィードバックされるかを考えてみます。実際に因果ループ図を書き、「強化ループ」(好循環・悪循環)と「均衡ループ」(安定化させる仕組み)を検討してみましょう。これにより、頭の中だけでは捉えきれない複雑な関係性が見えやすくなります。
  • 効果的な介入点(レバレッジポイント)を探す: システム全体の振る舞いを効果的に変えることができるであろう介入点はどこかを探ります。表面的な対症療法ではなく、根本的な構造や前提に働きかける可能性を検討してみましょう。
  • 時間軸を拡げて考える: 即時的な影響だけでなく、中長期的(数ヶ月、数年、数十年単位)にどのような変化が起こりうるかを想像してみましょう。その際、短期的に有効に見える解決策が、長期的には問題を悪化させる可能性も考慮します。

アプローチ3:「弁証法・パラドックス思考」を訓練する

矛盾や対立から目を背けるのではなく、それらを思考を発展させる糧とする弁証法的な態度を養います。

  • 対立する視点を積極的に探求する: 自身の意見や立場と対立する視点を意識的に探し、その視点の妥当性や価値を深く理解しようと努めることが大切です。その際、「相手の視点にも一理ある部分は何か?」と自問します。
  • CPRT思考形態を意識する: 問題が生じたとき、CPRT思考形態(文脈、プロセス、関係性、変容)を意識し、現象を多角的に捉える訓練を行います。その現象にはどのような文脈があるか、どのようなプロセスがあるか、見えていない関係性はないか、どのように発展的に変容する可能性があるかを検討します。
  • 対話(Dialogue)を実践する: 互いの視点から学び合い、共に新しい理解を創造することを目指す「対話」を実践しましょう。その際、自分の前提を一旦保留し、相手の意見に真摯に耳を傾ける姿勢が求められます。


まとめ:生涯発達する統合的な「叡智」の探究

「叡智」とは、単なる知識の量ではなく、継続的な学習を通じて発達する高度な認知能力の統合体です。

物事の相互連関性や動的なパターンを捉え、多視点から複雑なシステム全体を理解し、矛盾を弁証法的に統合する視点を持つことで、複雑な現実をより深く、多角的に捉えられるようになり、そして本質的に理解することができるようになります。

それは一朝一夕に成しえるものではありませんが、継続的な叡智の探究によって、複雑化する世界をより深く理解し、より豊かに生きていくことにつながるでしょう。


参考文献

  • Commons, M. L., & Jiang, T. R. (2014). Introducing a new stage for the model of hierarchical complexity: A new stage for refining and differentiating the information. Behavioral Development Bulletin, 19(3), 37-43.
  • Commons, M. L., & Kjorlien, O. A. (2016). The Meta-Cross-Paradigmatic Order and Stage 16. Behavioral Development Bulletin, 21(2), 154-164.
  • Commons, M. L. (2007). Introduction to the model of hierarchical complexity. Behavioral Development Bulletin, 13(1), 1–6.
  • Dawson-Tunik, T. L., Commons, M., Wilson, M., & Fischer, K. W. (2005). The shape of development. European Journal of Developmental Psychology, 2(2), 163-195.
  • Fischer, K. W. (1980). A theory of cognitive development: The control and construction of hierarchies of skills. Psychological Review, 87(6), 477–531.
  • West, E. J. (2004). Perry’s Legacy: Models of Epistemological Development. Journal of Adult Development, 11(2), 61-70.
  • Cabrera, D., Cabrera, L., & Midgley, G. (2023) The Four Waves of Systems Thinking. Journal of Systems Thinking. 3, 1-51.
  • Hossain, N. U. I., Dayarathna, V. L., Nagahi, M., & Jaradat, R. (2020). Systems Thinking: A Review and Bibliometric Analysis. Systems, 8(3), 24.
  • Johnson, R. B. (2017). Dialectical Pluralism: A Metaparadigm Whose Time Has Come. Journal of Mixed Methods Research, 11(2), 156-173.
  • Laske, O. (2015). Laske’s Dialectical Thought Form Framework (DTF) as a Tool for Creating Integral Collaborations: Applying a Developmental Approach to Organization and Social Change. Integral Review, 11(1), 178-192.
  • Nisbett, R. E., Peng, K., Choi, I., & Norenzayan, A. (2001). Culture and systems of thought: Holistic versus analytic cognition. Psychological Review, 108(2), 291-310.

]]>
創発を日常に活かすには?――エンパワーメント・リーダーシップ・対話の理論を踏まえて https://h-utsuwa.com/outline/emergence Wed, 16 Apr 2025 07:48:57 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2635 環境が複雑化し、変化のスピードが加速する今日、注目されているのが「創発(Emergence)」という概念です。

イノベーションの種は、しばしば予期せぬ形のぶつかり合いから生まれます。

それは、個々のアイデアや能力の単純な足し算を超えた、非連続的な価値の創出を意味します。

この記事では、他者への態度における「創発」という現象を理解し、それを日常の人間関係の中で意図的に促進するための実践的アプローチを探ります。


創発とは何か — 鍵となる3つの概念

創発とは「要素間の相互作用を通じて、予測不能な新しい秩序や性質が全体として現れる現象」です。

日常では、多様な個性を持つ他者との創造的な相互作用から、予期しなかった革新的なアイデアや解決策、新たな関係性が生まれることがあります。

最新の研究を踏まえ、創発を促進する上で特に重要な3つの理論的視点を整理します。

① エンパワーメントによって主体性を引き出す

創発は、個人間の相互作用によって生まれるものですが、その原点は一人ひとりの主体的な関与にあります。

この主体性を引き出すには、日常の関わりの中で心理的エンパワーメントを育むことが重要です。

心理的エンパワーメントとは、「仕事に対するコントロールの感覚と、自分の役割に対する能動的な志向性を反映する内発的動機づけ」と定義され、以下の4つの要素で構成されます(Seibert et al., 2011)。

  • 意味(Meaning): 行動の目的や価値への共感や整合性
  • 有能感(Competence): やり遂げられるという能力に対する信念
  • 自己決定感(Self-determination): 行動における自律性や自己決定の実感
  • 影響力(Impact): 自分の行動が成果に影響を与えるという確信

これらの感覚が満たされると、人は主体的に関与し、創造的なアイデアを生み出して貢献しようとする意欲が高まります (Seibert et al., 2011; Lee et al., 2018)。


② 多様なリーダーシップスタイル

エンパワーメントを高めるための働きかけは、本人のストレスの状況や期待、リーダーとの関係性など様々な要因が影響する可能性があります(Cheong et al., 2019)。

ただし、標準的な方法で一概にエンパワーメントを促進できるわけではありません。

そこで既存のリーダーシップ理論の視点から、主体性を高めて創発の可能性を生じさせるポイントを見ていきます。

  • 変革型リーダーシップ: 変革型リーダーシップの様々な側面のうち、特に「理想化された影響」「知的な刺激」「インスピレーションを与える動機づけ」が創造性を促進する上で重要であることが示されています (Shafi et al., 2020)。魅力的なビジョンで人々を共通の方向へ導き、「なぜ?」「他に可能性は?」といった知的刺激を高めるような前提を問いかけ、個々の関心に応じて動機づける働きかけが大切です。
  • インクルーシブリーダーシップ: インクルーシブ・リーダーは、まず「相手を個人として支援」することで独自性発揮の土台を築き、次に「エンパワーメント」によって多様なメンバーに奨励感を与え、さらに「学習と能力開発への貢献」を通じて相手のユニークな特性を強化します (Korkmaz et al., 2022)。こうした独自性を育むプロセスが、創発的な協働を進める際の土壌となります。
  • エンパワーメント・リーダーシップ: エンパワーメント・リーダーシップとは、メンバーに権限委譲したうえで自己主導的かつ自律的な意思決定を促進する働きかけで、コーチングを行い、情報を共有し、意見を求めるリーダーの行動と定義されます(Lee et al., 2018)。メンバーの有能感や自律性を尊重し、それを通じて内発的動機づけを引き出すことで創造性を促進します(Kim et al., 2018)。

上記をまとめると、①個々の独自性を認め、それを強みとして活かし、②自己決定を奨励して、挑戦を後押しし、③前提を問い直したり、新しい視点を含めた知的刺激を与え、④主体的に動こうとする内発的な動機を引き出すことが、創発を生む態度として重要と考えられます。


③ 創発を生むための「対話」の設計

さらに、創発を生むためには、個人の主体性や内発的な動機だけでなく、個人間の交流としての「相互作用の質」に目を向けることも重要です。

その際に重要な概念が「対話(Dialogue)」です。

  • 対話の定義: 社交性を目的とした会話や、既存の立場を主張し合う議論とは異なり、対話は「共に学ぶ相互作用のプロセス」です(Ballantyne, 2004)。対話の目的は個人の理解を超え、普段は隠れている洞察を表面化させることにあります。対話の中では、参加者は自らの前提を一旦保留し、相互理解を通じて集合的に新しい意味や理解を生み出そうとします 。
  • 解放的な対話: 固定的な役割や先入観から一時的に解放され、対等な立場で、自由かつ批判的に思考を交換できる場では、個人の知見を超えた洞察やアイデアが創発しやすくなります (Raelin, 2012)。解放的な対話を促進する基盤として、「安心・信頼」「自由な意見」「平等な機会」「誠実さ」「新しい発見」という5原則を意識することが大切です。
  • 対話型フィードバック:解釈や意味が共有され、期待が明確化されるインタラクティブなやり取り――フィードバックが必要です。対象者がフィードバックを理解し、内省し、学習を深めていくには、「(a)感情や関係性のサポート」「(b)対話の継続」「(c)対象者が自身を表現する機会」「(d)対象者の成長に対する貢献」という4つの観点が重要です(Steen-Utheim & Wittek, 2017)。

「相互作用の質」を高める対話のプロセスを整えることによって、意図的に創発を育むことができます。

支援的な姿勢でお互いをエンパワーし、質の高い対話を促進することが、日常生活における創発力を高める鍵となります。


創発を日常にする3つの実践

上記の理論を踏まえ、創発を促すための具体的な実践アプローチを3つの観点から紹介します。

実践1:エンパワーメントを通じた創発の土壌づくり

心理的エンパワーメントの4要素を日常の関係性に組み込むことで、創発の土壌をつくります。

  • 意味の創出:「なぜこれが重要か」という目的や価値観を共有し、個々の貢献がどのように全体の意義に繋がるかを明確にします。相手の価値観や関心に耳を傾け、その人自身が意味を見出せる接点を一緒に探ります。
  • 有能感を育む:相手の強みを認識し、それを活かせる機会を意識的に創出します。適切な挑戦レベルの課題を提供し、必要なサポートとフィードバックを行いながら成長を促します。
  • 自己決定感の尊重:「何を目指すか(目標)」「なぜそれが大切か(目的)」を共有しながらも、「どうやるか(方法)」に関する自律性・自己決定は相手を尊重します。意思決定においては、選択肢と必要な情報を提供し、相手自身による判断を支援します。
  • 影響力の可視化:相手の行動が他者や全体にどのような影響を与えたのかを具体的に伝え、貢献実感を高めます。意思決定や問題解決において、相手のアイデアや意見がどのように取り入れられたかを明示します。


実践2:多様なリーダーシップアプローチによる創発の触媒

状況や相手に応じて、創発を促進する多様なリーダーシップ行動を柔軟に活用します。

  • 変革型リーダーシップの実践:魅力的なビジョンを描き、共有し、「今とは異なる可能性」への想像力を刺激します。「もし〜だったら?」「なぜそうなのか?」といった問いで、前提を問い直す知的刺激を提供します。
  • インクルーシブリーダーシップの展開:個々の独自性を認め、多様な視点や能力を積極的に引き出す関わりを心がけます。発言の少ない人や少数派の意見にも耳を傾け、全員が安心して参加できる環境を整えます。異なる分野や視点からの学びを意識的に取り入れ、新たな発想を促します。
  • エンパワーメント・リーダーシップの実行:情報やリソースへのアクセスを確保し、相手(当人)による効果的な意思決定を支援します。成長の機会となる挑戦的な役割を提供し、必要に応じてコーチングを行います。その際、「ただの放任」ではなく、明確な期待と支援のバランスを取りながら自律性を促進します。


実践3:創発を生む質の高い対話の設計

単なる情報交換や議論を超えた、創発的な対話の機会をつくります。

  • 対話の場づくりと基盤形成:対話の機会(場)と心理的な空間をデザインします。そこでは、「批判より理解を優先する」「結論を急がない」「相手の発言を深く聴く」といった対話の原則を共有します。心理的安全性を確保し、誰もが自由に意見や疑問を表明できるような関係性を育みます。
  • 解放的な対話の促進:階層や役割、専門性に基づく先入観を一時的に保留し、対等な立場での探究を奨励します。「安心・信頼」「自由な意見」「平等な機会」「誠実さ」「新しい発見」という5原則を意識した対話を実践し、対立する意見を否定せず、異なる視点が交わることで生まれる新たな可能性に注目します。
  • 対話型フィードバックの活用:フィードバックの場面では、一方的な評価ではなく、相互理解と成長を目的とした対話を心がけます。そこでは、「感情や関係性のサポート」「対話の継続」「自己表現の機会」「成長への貢献」を意識し、相手の内省と学びを促す問いかけを通じて、自己理解の促進と主体的な改善を支援します。
  • 実践・文化への橋渡し:対話で生まれた洞察やアイデアを、具体的な行動や実践に変換するプロセスを設計します。対話の内容だけでなく、対話のプロセス自体も振り返り、より質の高い相互作用へと進化させます。小さな実践と振り返りのサイクルを継続的に繰り返し、組織全体としての創発的な学びの文化づくりにつなげていきます。


まとめ:創発的関係性が生み出す持続的な価値

創発は一過性のイベントではなく、日常的な関わり方として育むべき継続的なプロセスです。

本記事で紹介した理論的視点(エンパワーメント、リーダーシップ、対話)を通じて、相互に作用し合い、予期せぬ価値を生み出す創発的な関係づくりの重要性をご理解いただけたかと思います。

相手の主体性を尊重し引き出すエンパワーメント、状況に応じた多様なリーダーシップの発揮、そして創発を生む質の高い対話――これらを意識的に実践することで、日常の関係性の中に「創発」を根付かせることができるでしょう。

複雑性と変化が加速する時代において、予測不能な未来に向かって革新を生み出し続ける創発的な関係性は、個人にとっても組織にとっても、とても大切な資産になるでしょう。


参考文献

  • Ballantyne, D. (2004). Dialogue and its role in the development of relationship specific knowledge. Journal of Business & Industrial Marketing, 19(2), 114-123.
  • Cheong, M., Yammarino, F. J., Dionne, S. D., Spain, S. M., & Tsai, C. Y. (2019). A review of the effectiveness of empowering leadership. The Leadership Quarterly, 30(1), 34-58.
  • Kim, M., Beehr, T. A., & Prewett, M. S. (2018). Employee Responses to Empowering Leadership: A Meta-Analysis. Journal of Leadership & Organizational Studies, 25(3), 257-276.
  • Korkmaz, A. V., van Engen, M. L., Knappert, L., & Schalk, R. (2022). About and beyond leading uniqueness and belongingness: A systematic review of inclusive leadership research. Human Resource Management Review, 32(4), 100894.
  • Lee, A., Willis, S., & Tian, A. W. (2018). Empowering leadership: A meta-analytic examination of incremental contribution, mediation, and moderation. Journal of Organizational Behavior, 39(3), 306-325.
  • Raelin, J. A. (2012). The manager as facilitator of dialogue. Organization, 20(6), 818-839.
  • Seibert, S. E., Wang, G., & Courtright, S. H. (2011). Antecedents and consequences of psychological and team empowerment in organizations: A meta-analytic review. Journal of Applied Psychology, 96(5), 981–1003.
  • Shafi, M., Zoya, Lei, Z., Song, X., & Sarker, M. N. I. (2020). The effects of transformational leadership on employee creativity: Moderating role of intrinsic motivation. Asia Pacific Management Review, 25(3), 166-176.
  • Steen-Utheim, A., & Wittek, A. L. (2017). Dialogic feedback and potentialities for student learning. Learning, Culture and Social Interaction, 15, 18-30.

]]>
受容力を育むには?――寛容さ/曖昧さ耐性・視点取得・思いやり/慈愛の観点から https://h-utsuwa.com/outline/acceptance Wed, 16 Apr 2025 05:36:40 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2628 価値観が多様化し、変化のスピードが速い現代社会――私たちは、異なる背景を持つ人と協力したり、予期せぬ出来事や曖昧な状況に対処したりする場面に数多く遭遇します。

このような時代において、「受け入れる力」、すなわち受容力がますます重要になっています。

「受容」と聞くと、単に相手の言い分を聞き入れたり、現状を諦めたりするような、消極的なイメージを持つ方もいるかもしれません。

しかし、心理学をはじめとする様々な分野の研究を踏まえると、「受容」がより積極的で多面的な能力であり、私たちの精神的な健康や社会的なつながりを豊かにするために不可欠な要素であると示唆されます。

この記事では、学術研究で注目されている「寛容さ/曖昧さ耐性」「視点取得」「思いやり/慈愛」という3つの概念を手がかりに、「受容力とは何か、どうすればそれを育むことができるのか」を探っていきます。


受容力の多面性

近年の研究では、受容力を構成する重要な要素として、以下の三つの概念が注目されます。

1.寛容さ/曖昧さ耐性(Tolerance / Tolerance for Ambiguity)

受容力の根幹には、自分にとって好ましくない、あるいは不快に感じる要素を受け入れる姿勢があります。

  • 寛容さ(Tolerance): 寛容さは、単に相手を「好きになる」ことや他者の意見に「賛成する」こととは異なります。むしろ、意見の対立や価値観の違いが存在することを前提として、それでもなお相手の存在や権利を認める姿勢こそが、寛容さの本質です (van Doorn, 2014)。
    van Doorn (2014) は、寛容さを「不完全さを含む美徳(flawed virtue)」と表現しました。なぜなら、寛容さは自明な美徳ではなく、私たちが本来なら変えたい、無視したい、あるいは克服したいと感じるような「違い」を受け入れるというパラドックスを内包するからです。しかし、この「不完全さを含む美徳」こそが、対立を解消し、平和的な共存を可能にする鍵となる場合も少なくありません。
  • 曖昧さ耐性(Tolerance for Ambiguity / Uncertainty: TA/TU): 曖昧さや不確かさに対する耐性も重要です。これは、私たちが本能的に避けたいと感じる不確実な状況を受け入れる能力を指します。寛容さも、曖昧さ耐性も、短期的な心地よさよりも、心地悪さを伴うような長期的な成長や共存を優先する姿勢の表れと言えるでしょう。

曖昧さや不確かさは、様々な形で現れます。Hillenら(2017)は、「特定の事柄についての無知(自分が知らないこと)を意識する状況」を不確実性の本質と捉え、それには情報の矛盾、多様性、予測不可能性、不可解さといった側面が含まれるとしています。

このような曖昧・不確実な状況に対して、人々は様々な反応を示します。この反応に対する個人差を捉える概念が曖昧さ耐性です。

これを単なる「耐える力」ではなく、Hillenら(2017)は、不確実性に対する認知的・感情的・行動的な反応(ネガティブなものもポジティブなものも含む)の総体と捉える統合的モデルを提案しています。

つまり、不確かさに対して不安を感じて回避する(低い耐性)だけでなく、好奇心を持って探求したり、創造的な解決策を見出したりする(高い耐性)ことも含め、個人の反応パターン全体が曖昧さ耐性のレベルとして表されます。


2.視点取得(Perspective-Taking)

他者を受け入れるためには、相手を理解しようと努めることが不可欠です。

そのための実践的なスキルが視点取得です。

これは、「他の視点から世界を捉える認知能力であり、他者の行動や反応を予測することを可能にするもの」と定義されます (Galinsky et al., 2008)。

視点取得は、感情的に「相手のように感じる」共感(Empathy)とは区別される、いわば「頭で理解しようとする」認知的な働きの現れです。

研究によれば、視点取得は他者への好意を高め、心理的な距離を縮め、偏見やステレオタイプを減少させる効果があります (Ku et al., 2015)。

また、相手の意図や動機、隠れた関心や優先順位を理解することで、協力的な行動を促したり、交渉場面で双方にとって利益のある解決策(Win-Win)を見つけ出したりする助けとなります (Galinsky et al., 2008)。

ただし、視点取得は万能ではありません。

例えば、競争的な状況下における視点取得の高さは、自分たちの利益のために別のグループを出し抜いたり、不誠実な行動をとったりするために利用される可能性(アドバンテージ・テイキング)が指摘されています (Ku et al., 2015)。

視点取得はあくまで受容を深める実践的なスキルの一つであり、それによって得られた「理解」を、どのように活かすかという動機を前提として、真の他者受容に繋がっていくと考えられます。


3.思いやりと慈愛(Compassion / Compassionate Love)

受容をさらに深いレベルに進める概念が、コンパッション(思いやり)コンパッショネート・ラブ(慈愛)です。

これらは、特に他者が苦しんでいたり、助けを必要としていたりする状況において発揮される感情や動機であり、それは一時的ではなく永続的なものとして、他者(親しい他者、見知らぬ他者、あるいは人類全体)に対する包摂的な態度と定義づけられます (Sprecher & Fehr, 2005)。

Straussら(2016)のレビューによれば、思いやりには共通して以下の5つの要素が含まれると考えられています。

  • 苦しみに気づくこと
  • 苦しみは人間にとって普遍的なものであると理解すること
  • 苦しむ人に共感し、その感情に寄り添うこと(感情的共鳴)
  • その際に生じる不快な感情(自身の苦痛、嫌悪感、無力感など)に耐えること
  • 相手の苦しみを和らげたい、防ぎたいと願い、実際に行動する、あるいは行動する意志を持つこと

さらに、van Dierendonck & Patterson (2015)は、慈愛の特徴として、以下の点が挙げています。

  • 他者を根本的なレベルで価値ある存在と見なすこと
  • 他者に自由な選択肢を与えること
  • 他者のニーズや感情を認知的かつ正確に理解すること
  • 感情的に関与すること
  • オープンで受容的な態度であること

上記を踏まえれば、思いやり/慈愛は、単なる感情移入(Empathy)とは区別されます。

感情移入も思いやり/慈愛の重要な一部ですが、思いやり/慈愛では、それに加えて、他者の幸福を願い、苦しみを取り除こうとする他者中心的な動機とコミットメントを含みます (Strauss et al., 2016)。

たとえ相手に欠点があったり、相手に好ましくないと感じる側面があったりしても、その人の苦しみに寄り添い、幸福を願う思いやり/慈愛こそが他者受容を進める根源的な基盤と言えます。


「受容力」を育むには?

では、他者を受け入れ、不確実な状況を受け入れる「受容力」は、どのように育むことができるのでしょうか?

これまでの研究から、以下のヒントが考えられます。

  • 多様な価値観や曖昧な状況に触れる経験を積む:
    未知の状況や異文化に触れる体験は、曖昧さへの耐性を高める可能性があります。すぐに白黒つけられない問題にあえて取り組んでみたり、多様な意見が存在する議論に参加したりすることも、不確かさに対する柔軟性を養う上で有効かもしれません。
    その際、自分がどのような状況で不寛容になったり、曖昧さを避けようとしたりするのか。あるいは、どのような時に他者の視点を無視しがちか。自身の認知・感情・行動のパターンや癖に気づくことが、変化への第一歩となるでしょう。
  • 意識的に「視点取得」を練習する:
    相手の立場や考えを積極的に理解しようと努めることが、他者受容の第一歩です。その際、自分と意見が異なる相手の話に真摯に耳を傾けたり、異なる文化や価値観について学んだりする機会が重要です。相手の優先順位や関心を理解することで、対立を乗り越え、建設的な解決策を見出す力も養われるでしょう。
    ただし、相手を理解することと、相手の言いなりになることは違います。自分の意見を持ちつつ、相手の視点を尊重するバランスが大切です。
  • 「コンパッション(思いやり・慈愛)」を育む:
    先に挙げた思いやりの5つの要素(苦しみに気づく、普遍性の理解、感情に寄り添う、不快感への耐性、行動や意志)や慈愛の5つの要素(存在価値認識、自由提供、共感理解、感情関与、開放的姿勢)を意識して育むことが、深いレベルでの他者受容に繋がります。例えば、苦しんでいる人に関心を向け、その苦しみを「自分や大切な人にも起こりうること」として捉え、相手の感情を想像してみる。その際に生じる自分自身の不快な感情から目を背けず、相手のために何ができるかを考える、そして、オープンな態度で実際に関与してみる、といった練習が有効です。


まとめ

「受容力」とは、単に何かを受け身で受け入れることではありません。

それは、他者の多様性を尊重し(寛容さ、視点取得)、不確実で曖昧な状況にも柔軟に対処し(曖昧さ耐性)、他者を包括的に受け入れていくための、積極的で多面的な力です。

具体的には、以下の要素から成り立ちます。

  • 違いを認め、意見が合わなくても、それでも相手を尊重する心(寛容さ)
  • 曖昧さや不確かさを脅威ではなく、可能性として捉える柔軟性(曖昧さ耐性)
  • 相手の立場に立って理解しようとする姿勢(視点取得)
  • 他者の幸福を願い、苦しみに寄り添う温かい気持ち(思いやり/慈愛)

これらの力を意識的に育むことは、変化の激しい現代社会において、多様な他者と仲良く協働し、予期せぬ困難にもしなやかに対応し、より豊かで意味のある人生を送るための重要な基盤となるでしょう。


参考文献

  • Galinsky, A. D., Maddux, W. W., Gilin, D., & White, J. B. (2008). Why It Pays to Get Inside the Head of Your Opponent: The Differential Effects of Perspective Taking and Empathy in Negotiations. Psychological Science, 19(6), 378-384.
  • Hillen, M. A., Gutheil, C. M., Strout, T. D., Smets, E. M. A., & Han, P. K. J. (2017). Tolerance of uncertainty: Conceptual analysis, integrative model, and implications for healthcare. Social Science & Medicine, 180, 62-75.
  • Ku, G., Wang, C. S., & Galinsky, A. D. (2015). The promise and perversity of perspective-taking in organizations. Research in Organizational Behavior, 35, 79-102.
  • Sprecher, S., & Fehr, B. (2005). Compassionate love for close others and humanity. Journal of Social and Personal Relationships, 22(5), 629-651.
  • Strauss, C., Taylor, B. L., Gu, J., Kuyken, W., Baer, R., Jones, F., & Cavanagh, K. (2016). What is compassion and how can we measure it? A review of definitions and measures. Clinical Psychology Review, 47, 15-27.
  • van Dierendonck, D., & Patterson, K. (2015). Compassionate Love as a Cornerstone of Servant Leadership: An Integration of Previous Theorizing and Research. Journal of Business Ethics, 128, 119-131.
  • van Doorn, M. (2014). The nature of tolerance and the social circumstances in which it emerges. Current Sociology Review, 62(6), 905-927.

]]>
感性を豊かにするには? ――美的感情・共感・主観的幸福感の研究知見から https://h-utsuwa.com/outline/sense Tue, 08 Apr 2025 01:51:25 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2595 美しい景色に息をのんだり、素敵な音楽に涙したり、誰かの気持ちに深く寄り添ったり――私たちは日常の中で、心が動かされる瞬間に出会い、「感性」を働かせます。

感性とは、辞書的には「物事を心に深く感じ取る働き。感受性」と説明されますが、それは単に外部からの刺激に敏感であることだけを意味するわけではありません。

近年の心理学分野の研究では、「感性」が私たちの幸福感(ウェルビーイング)、他者とのつながり(共感)、そして世界の美しさや意味を深く味わう能力(美的感情)と深く関わっていることを示唆しています。

感性は、人生を彩り豊かに生きるための大切な要素です。

この記事では、最新の心理学的知見に基づき、「感性とは何か」、そして「どうすれば日々の生活の中で感性を育み、豊かにしていくことができるのか」について紹介します。


感性とは? – 多面的な心のアンテナ

感性は、私たちの心の奥深くにある、世界や他者、そして自分自身とつながるためのアンテナのようなものです。

近年の心理学分野の研究レビューによって特定された、豊かな感性を磨くうえでの3つの重要な側面を紹介します。

① 美的感情(Aesthetic Emotions)

美的感情とは、「対象の美的魅力や美徳を知覚し評価する際に生じうる感情」(Schindler et al., 2017)です。

感性豊かな人は芸術、自然、デザインなど多様な対象に対して、単なる「きれい」という感想を超えた、複雑で豊かな美的感情を抱きます。

  • 多様な美的感情のスペクトル: Schindler et al.(2017)は、24種類の美的感情を同定しました。これらは、美しさの感覚、感動、魅了、畏敬の念などの「典型的な美的感情」、喜びやユーモアなどの「楽しい感情」、興味や洞察などの「知的情動」、そして醜さや退屈などの「ネガティブな美的感情」まで多岐にわたります。
  • 複雑さと混合性: 美的感情の特徴的な点は、そのしばしば矛盾した複雑な性質にあります。Menninghaus et al.(2019)によれば、美的感情は本質的に「内在的な快さ」を含みますが、同時に不快な要素(例:悲しい音楽から生じる感動)を統合することもあります。この複雑性や混合性こそが、美的体験をより豊かで深いものにします。


②共感(Empathy)

共感は、他者の心に寄り添い理解する能力で、感性を働かせる重要な側面です。

共感には様々な定義が提案されていますが、Håkansson Eklund & Summer Meranius(2021)の包括的レビューによれば、4つの中心的要素があります。

  • 理解(Understanding): 他者の感情状態や視点を知的に把握すること
  • 感情(Feeling): 他者の感情状態に応じた感情的反応を持つこと
  • 共有(Sharing): 他者と類似した感情を経験し共有すること
  • 自己-他者分離(Self-other differentiation): 共有された感情が自分の感情なのか他者の感情なのかを区別すること

これら4つの要素に基づき、共感とは「自他を分離したうえで、他者が感じていることを理解し、感じ、共有すること」と定義されます。

そのうえで、同論文では、(1)共感は親密さと距離の両方である、(2)共感は感情と認知の両方である、(3)共感は身体と心の両方であることを指摘しています。

本記事では、感性という観点から、あくまで感情(Feeling)面の共感に焦点を当てますが、現実的には、認知的共感と切り離して考えることはできません。

この点に関して、Cuff et al.(2016)による共感の概念レビューの中でも、以下のポイントが指摘されています。

  • 共感と同情の区別: 共感(Empathy: “相手と同じように感じる”)と同情(Sympathy: “相手のために感じる”)は明確に区別される必要があります。共感では相手と類似した感情を共有するのに対し、同情では「可哀そう」「気の毒」といった、相手の感情とは異なる反応が生じます。この区別は、対等な関係性を保つ上で重要です。
  • 認知的共感と感情的共感の統合: 両者は別々の能力ではなく、相互に影響し合う関連した側面です。例えば、相手の気持ちを考えることで感情が動き、感情が動くことで理解が深まるという循環的関係があります。
  • 自己と他者の区別: 共感は、感情の共有がありながらも「自己-他者分離」を維持します。この区別が感情伝染(他者の感情に巻き込まれて自他の区別が失われる状態)と共感を分ける重要な境界線と言えます。適切な距離感を保ちながら他者の感情を理解し共有することで、健全な共感が可能になります。

上記のとおり、共感は、親密さ(共有)と距離感(分離)、感情と認知、身体と精神の両側面を持つ統合的概念と言えるでしょう。

(※本記事では、「感性」に着目した共感に焦点を当てますが、これは前回の記事で触れた「自制」と矛盾しがちであり、実際には両者を統合して考える必要があります。また、感情は認知とも密接に関連します。このように共感を多面的に統合して捉えることは非常に重要ですが、議論が複雑になるため、あらためて別の記事で触れたいと思います。)


③主観的幸福感(ポジティブ感情)

感性は、日常生活における豊かなポジティブ感情の体験と深く関わっています。

Diener et al.(2018)によれば、主観的幸福感(Subjective Well-being: SWB)は「本人の視点からの人生の質に対する総合的な評価」と定義され、認知的要素(人生満足度)と感情的要素(ポジティブ・ネガティブ感情の体験)の両方を含みます。

感性豊かな人は、より多様で豊かなポジティブ感情を体験する傾向があります。

  • 感情の精緻化: ポジティブ感情をより細かく区別し、その複雑さを理解することを感情の精緻化と呼びます。感情の精緻化により、単に「嬉しい」と感じるだけでなく、「満足」「興奮」「穏やかな喜び」「達成感」などの微妙な違いを認識できるようになります。研究によれば、ポジティブ感情の精緻化と心理的レジリエンスは関連が高いことが示唆されています(Tugade et al., 2004)。
  • 文化的に形作られる感情体験: 文化によってポジティブ感情の体験や価値づけは異なります。例えば、Hitokoto & Uchida(2015)が提案する「協調的幸福感」の研究では、東アジアの文化圏では「他者との関係志向的な喜び」「興奮よりも平穏な満足感」「集団内の調和に基づく安心感」などを重視する特徴が示されています。

さらに、感性豊かな人は、ポジティブな経験を単に体験するだけでなく、それを「セイバリング(味わう)」する能力に優れています。

Bryant, Chadwick, & Kluwe (2011)によれば、セイバリングは「ポジティブな経験に注意を向け、それを評価し、維持し、高める過程」と定義されます。

Quoidbach et al. (2010)は、ポジティブ感情を高める4つのセイバリング戦略を提示しました。

  • 行動的表現 (Behavioral Display): 笑顔、声を上げる、跳ね回るなど、ポジティブな感情を身体的に表現する
  • 現在への注意の焦点化 (Being Present): 今この瞬間に集中し、マインドフルな状態で体験する
  • 祝福 (Capitalizing): ポジティブな出来事を他者と共有する
  • ポジティブなメンタルタイムトラベル (Positive Mental Time Travel): 過去または未来のポジティブな出来事について考える

この研究からは、多様なセイバリング戦略の採用が全体的な幸福感と強く関連していることが示唆されています。

つまり、一つの戦略に頼るよりも、個々人の状況に応じて様々な味わい戦略を柔軟に使い分けられることが大切になります。


感性を豊かにする3つのヒント

感性は、生まれ持った才能でなく、意識的な取り組みによって育むことができます。
どうすれば感性を育むことができるか――研究から示唆される3つのヒントをご紹介します。

1:美や感動に積極的に触れる【美的体験の活用】

美しいものや心を動かすものに触れることは、感性を養うための最も直接的な方法の一つです。

実践のポイント:

  • 多様な美的体験: 美術館、コンサートホール、映画館、自然の中など、様々な場所に足を運び、五感を刺激する体験を意識的に増やします。
  • 感情に名前をつける: 美的体験をした際に感じた感情を具体的に言語化してみましょう。「畏敬」「魅了」「懐かしさ」「安らぎ」など、美的感情の研究で使われる言葉を参考に、自分の感情のニュアンスを捉える練習をします。
  • 美的評価を深める: なぜそれに心を動かされたのか、どこに美しさや価値を感じたのかを考えてみることで、美的感情の能力が磨かれます。
  • 複雑な感情を味わう: 喜びだけでなく、時に悲しみや畏怖を含む複雑な美的体験も、感性を豊かにする重要な要素です。


2:他者の心に寄り添う練習をする【共感力の育成】

共感は、他者との間に温かい心のつながりを生み出し、感性を育む重要な側面です。

共感力を高めるための意識的な練習機会をつくることが重要になります。

実践のポイント:

  • 共感と同情を区別する: 相手と同じような感情を共有する(共感)ことと、相手を可哀そうに思う(同情)ことの違いを理解します。真の共感では相手の視点に立ち、対等な関係性が保たれます。
  • 非言語コミュニケーションに注意を払う: 言葉だけでなく、表情、声のトーン、身振りなどからも感情を読み取る練習をします。
  • 認知的共感を育てる: 相手がなぜそう感じているのか、その人の立場や状況に立って、見えないナラティブ(物語)を想像してみることも大切です。背景の物語を知るという認知的共感を通じて、感情的共感も磨かれていきます。
  • 自己と他者の距離感のバランスを学ぶ: 相手の感情を共有しながらも、自己と他者を区別する「自己-他者分離」も意識します。これにより、過度に相手の感情に巻き込まれすぎず、より健全な共感が可能になります。


3:日常のポジティブな瞬間を意識的に「味わう」【幸福感の増幅】

感性は、特別な体験だけでなく、日常の中のささやかな喜びや美しさを感じ取る力でもあります。

ポジティブな感情や経験を意識的に「味わう」ことで、幸福感を高め、感性を磨くことができます。

実践のポイント:

  • 感覚を味わう: ポジティブな経験をしているとき、その瞬間の身体感覚や思考に注意を向け、味わい尽くします(セイバリング)。例えば、美味しい食事をするとき、その香り、味、食感などを意識的に感じ取ります。また行動的表現として、笑顔、声を上げる、跳ね回るなど、身体的に表現することも大切です。
  • 過去と未来を語り合う:過去または未来のポジティブな出来事について考えることで感性も磨かれます。過去にどんなポジティブな経験をしたのか、ワクワクする未来に向けた何がしたいのかを、じっくりと語り合う機会を設けましょう。
  • 文化的な幸福のあり方を尊重する: 文化によって幸福の捉え方は異なります。集団との関係を重視する東洋文化の場合、日々の感謝の実践(感謝日記や感謝の手紙)や、良い出来事を他者と積極的に共有することで、ポジティブ感情が増幅されます。


まとめ:感性は器の彩り

感性は、特別な能力ではなく、意識的な心がけと実践によって、誰もが育むことができます。

美的感情、共感、主観的幸福感(ポジティブ感情)といった要素は互いに関連し合い、感性の質を高める基盤となります。

  • 美しいものや心を動かすものに触れ、多様な美的感情を体験する
  • 他者の気持ちに寄り添い、共感と自己-他者分離のバランスを保つ
  • 日常のポジティブな瞬間を意識的に味わい、特に日本文化の場合、他者とともに感性を育む

これらのヒントを参考に、ぜひあなたの「感性」を豊かにする一歩を踏み出してみてください。

心が深く動くような経験が、私たちの器に豊かな彩りをもたらし、当たり前の日常をより輝かせてくれるでしょう。


参考文献

  • Bryant, F. B., Chadwick, E. D., & Kluwe, K. (2011). Understanding the processes that regulate positive emotional experience: Unsolved problems and future directions for theory and research on savoring. International Journal of Wellbeing, 1(1), 107-126.
  • Cuff, B. M. P., et al. (2016). Empathy: A Review of the Concept. Emotion Review, 8(2), 144–153.
  • Diener, E., Lucas, R. E., & Oishi, S. (2018). Advances and Open Questions in the Science of Subjective Well-Being. Collabra: Psychology, 4(1): 15.
  • Håkansson Eklund, J., & Summer Meranius, M. (2021). Toward a consensus on the nature of empathy: A review of reviews. Patient Education and Counseling, 104(2), 300–307.
  • Hitokoto, H., & Uchida, Y. (2015). Interdependent Happiness: Theoretical Importance and Measurement Validity. Journal of Happiness Studies, 16, 211–239.
  • Menninghaus, W., et al. (2019). What Are Aesthetic Emotions? Psychological Review, 126(2), 171–195.
  • Quoidbach, J., Berry, E. V., Hansenne, M., & Mikolajczak, M. (2010). Positive emotion regulation and well-being: Comparing the impact of eight savoring and dampening strategies. Personality and Individual Differences, 49(5), 368–373.
  • Schindler, I., et al. (2017). Measuring aesthetic emotions: A review of the literature and a new assessment tool. PLoS ONE, 12(6): e0178899.
  • Tugade, M. M., Fredrickson, B. L., & Barrett, L. F. (2004). Psychological resilience and positive emotional granularity: Examining the benefits of positive emotions on coping and health. Journal of Personality, 72, 1161–1190.

]]>
感情をコントロールするには? ――感情調整・マインドフルネス・レジリエンスの活用法 https://h-utsuwa.com/outline/self-regulation Tue, 08 Apr 2025 01:32:05 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2592 「つい感情的になってしまう」「不安に苛まれて何も手がつかない」「衝動的な行動を抑えたい」——私たちは日常生活で、自分の感情をコントロールしたいと感じる場面に数多く出会います。

この「感情をコントロールする力」、すなわち自制心は、良好な人間関係や心の健康にとって非常に重要です。

自制心というと、単に「我慢する力」と考えがちですが、心理学では「自分をうまく扱う能力」として捉えられています。

怒りや不安、苛立ちといった荒波にただ耐えるのではなく、それに気づき、賢く対処し、乗りこなしていく方法を学ぶことが、自制心を育む鍵となります。


自制:三つの重要概念

自制とは、辞書的には「自分の感情や行動を自分で制すること。克己」と定義されます。

近年の研究では、自制心を理解し育むために重要な三つの概念が注目されています。

①感情調整(Emotion Regulation)

感情調整は「どの感情を、いつ、どのように経験し表現するかについて影響を与える試み」と定義されます(Gross, 2015)。

感情調整の「プロセスモデル」では、感情が生起する過程の異なる時点で介入する5つの戦略を分類しています(Gross, 2015):

  • 状況選択:感情的反応を引き起こす状況を選択・回避する
  • 状況修正:状況に働きかけて感情的影響を調整する
  • 注意配分:注意の向け方を変え、ときに注意をそらして対処する
  • 認知変化:出来事の意味づけを変える(認知的再評価)
  • 反応調整:感情反応が生じた後の表出を調整する

感情調整には、単一の「最良の」戦略を用いるよりも、状況に応じて適切な戦略を組み合わせたり、柔軟に使い分けたりすることが効果的です。


②マインドフルネス(Mindfulness)

マインドフルネスとは、「現在、この瞬間の経験に対する、判断や説明を伴わない、意図的で持続的な注意」を指します(Chambers et al., 2009)。

Five Facet Mindfulness Questionnaire (FFMQ) の観点で整理されたマインドフルネスの主要な5つの特徴は以下の通りです(Carpenter et al., 2019):

  • 観察:内的・外的経験に注意を向ける
  • 描写:経験を言葉で表現する
  • 気づき:今この瞬間の行動に注意を向ける
  • 非判断:経験に対して「良い・悪い」という評価を加えない
  • 非反応:内的経験に対して即座に反応しない

マインドフルネスは、従来の感情調整アプローチと異なり、思考や感情を「変えようとする」のではなく「ありのままに受け入れる」ことを重視します。

この過程では「認知的脱フュージョン(思考をだたの思考として捉えること)」といったプロセスが起こります。


③レジリエンス(Resilience)

レジリエンスはストレスや逆境に適応する能力と定義されます(Liu et al., 2017)。

レジリエンスは「多層的なシステム」であり、個人内要因、対人関係や経験で獲得される個人間要因、社会生態学的な外部要因の相互作用で形成されます(Liu et al., 2017)

つまり、個人のしなやかさや自己効力感といった個人の内的特性、対人関係でのやり取り、社会とのつながりといった外的要因を含む、複雑な概念です。

また、レジリエンスとは、「時間の経過とともに進化するダイナミックなプロセス」であり、個人が逆境に直面しても生き残り、あるいは成長するプロセスとも定義されます。

これを踏まえて、Sisto et al.(2019)では、レジリエンスの主要な特徴を以下の5つにまとめています。

  • 回復力: 逆境やトラウマから回復する能力。個人特性や社会的資源に支えられた動的な適応プロセスを通じて回復する。
  • 個人の特性的機能: 困難な状況下でのしなやかさなどの個人特性がレジリエンスの要因となり、ストレス後も心理的健康を維持できる。
  • 立ち直る能力: 困難に直面しながらも自己資源を発展的に変容させる能力。逆境から立ち直り、個人の成長を促進する効果的な対処戦略を採る姿勢。
  • 進化する動的プロセス: 個人特性と環境要因の相互作用による適応プロセス。内的・外的要因の相互作用を通じて逆境に対応する。
  • 積極的適応: ストレス状況への適応能力。認知的評価プロセスを通じて、困難な状況に適応するための意思決定と行動を生み出す。

つまり、レジリエンスとは、単に逆境から「跳ね返って回復する」だけでなく、困難な状況に積極的に適応し、時には肯定的な変化や成長を遂げる複雑な能力と考えられます。


感情をコントロールするにはどうしたらいいか?

それでは、具体的にどうすれば「自分をうまく扱う力」である自制心を育むことができるのでしょうか?

上述した概念を参考に、効果が期待されるアプローチを見ていきましょう。

1.自分の「心の動き」に気づく練習をする【マインドフルネスの活用】

第一歩としては、自分がどのような感情、思考、衝動に動かされやすいのかに気づくことが重要です。

だれしも気づかないうちに感情的な反応や自動的な行動パターンに陥ってしまうことが多くあります。そこで、まずは「今、ここ」の自分の状態を客観的に観察する練習が有効です。

  • 短時間の瞑想: 毎日数分でも良いので、静かな場所で座り、自分の呼吸や体の感覚に意識を向けてみましょう。ふいに思考や感情が浮かんできても、「良い・悪い」と判断せず、「そういう考えが浮かんでいるな」「こんな感覚があるな」と、ただ観察します(非判断)。
  • 日常の中での意識: 食事をしている時、歩いている時、人の話を聞いている時など、日常の活動中に、自分の感覚や心の動きに意識的に注意を向ける瞬間を作りましょう。例えば、お茶を一口飲む時も、その味わい、温かさ、香りに全身全霊で注意を向けてみるだけで「今、ここ」に戻る貴重な瞬間となります。
  • 内受容感覚への注意: 体の内側からの感覚(心拍、呼吸、筋肉の緊張など)に注意を向ける練習をします。研究によれば、この「内受容感覚への注意(interoceptive attention)」を高めることが、認知の範囲を広げ、逆境への対処能力を向上させ一助となります。例えば、緊張を感じたとき、まず「肩が上がっている」「呼吸が浅くなっている」といった体の感覚に注目することから始めてみましょう。

こうした練習は、感情や衝動が起こり始める初期段階でそれに気づき、自動的な反応に飲み込まれる前に一歩立ち止まるための「心のスペース」を作るのに役立ちます(認知的脱フュージョン)。

自分の感情を悪いものとして否定せず、ただ「今、ここにある」ものとして受け入れる態度が、心の静けさをもたらします。


2.感情や思考との「距離のとり方」を学ぶ【マインドフルネスと感情調整】

不快な感情やネガティブな思考に直面したとき、私たちはしばしばそれらを無理に抑え込もうとしたり、戦おうとしたりして、かえって苦しくなってしまいます。

自制心を養う上では、これらの内的な経験と健全な距離をとる方法を学ぶことが重要です。

  • 思考や感情を「現象」として捉える: 湧き上がってきた思考や感情を、「自分自身」と同一視するのではなく、「一時的に心に現れた現象」として観察します(認知的脱フュージョン)。例えば、「私はダメな人間だ」という思考が浮かんだとき、「『私はダメな人間だ』という思考が浮かんでいるな」と言い換えてみるだけで、その思考と自分との間に小さな空間が生まれます。
  • 受容の練習: 不快な感情や思考が存在することを認め、無理に変えようとせず、一時的にそれと共にいる練習をします(非判断)。例えば、不安を感じたとき、「不安なんか感じるべきではない」と抑え込むのではなく、「今、不安を感じているんだな。それも自然なことだ」と認めてみましょう。抵抗をやめると、かえって感情の波が穏やかになっていくことに気づくかもしれません。
  • 反応を保留する: 強い感情や衝動を感じても、すぐに行動に移さず、一呼吸置いて観察する時間を作ります(非反応)。例えば、怒りを感じてすぐにメールを送るのではなく、「今夜眠ってから考えよう」と決めてみる。あるいは、甘いものを食べたい衝動に駆られたとき、「10分だけ待ってみよう、その後で本当に必要なら食べよう」と自分と約束してみる。この小さな「間」が、衝動的な行動を減らし、より意識的な選択をする余地を作ります。

これらの実践は、感情的な波にすぐに飲み込まれず、より冷静で建設的な対応を選択する能力を高めます。感情に振り回されることが減り、衝動的な行動の抑制にも繋がります。

考えてみれば不思議なことですが、感情を抑え込もうとすればするほど、かえってその力は強くなりがちです。一方、感情を「ただそこにあるもの」として受け入れると、その強さは自然と和らいでいくことが多いのです。


3.状況や考え方を「調整する」技術を身につける【感情調整】

感情は、状況の捉え方や注意の向け方によって大きく変化します。

  • 状況の選択・修正: ストレスを感じやすい状況を事前に避ける、あるいは環境を調整するなどの状況への働きかけが重要です。例えば、人混みが苦手なら時間をずらす、集中したい時はスマホを別の部屋に置くなど、感情が生じる前の先制的な戦略を採ります。「自分がどのような状況で感情的になりやすいか?」を理解したうえで、小さな工夫によって感情的な失敗を防ぐ習慣をつくりましょう。
  • 注意のコントロール: ネガティブなことから注意をそらし、別のこと(気分転換になる活動や、ニュートラルな対象)に意図的に注意を向ける――これは感情生成プロセスの早い段階での介入になります。例えば、心配事で頭がいっぱいのとき、「今日は30分だけ散歩に集中しよう」と決めて、道端の花や空の色など、周囲の美しさに意識的に注意を向けてみましょう。
  • 認知的再評価: 出来事の捉え方を変えてみることは、非常に強力な感情調整スキルです。例えば、「難しい課題」を「成長のチャンス」と捉え直したり、「他者の批判」を「別の視点を与えてくれる機会」と考えたりすることで、同じ状況でも生じる感情が大きく変わります。計画が狂ったとき、「すべてが台無しだ」と考えるか「予想外の展開から新たな発見があるかもしれない」と考えるか――こうした視点の転換は、単なるポジティブシンキングではなく、困難の中にも意味を見出す深い心の働きと言えます。
  • 反応の調整: 感情が湧き上がった後で、その表出(表情、行動)や生理的な反応を調整する技術も大切です。例えば、怒りを感じた時に深呼吸をする、衝動的な発言を抑えるなど。ただし、単に無理に感情を抑圧する「表出抑制」は、短期的には有効でも長期的には心身に負担をかける可能性があります。重要なのは、状況に応じて適切な方法を柔軟に選べることです。

感情は敵ではなく、人生を豊かにする重要な側面です。その際、自分に合った戦略を見つけ、状況に応じて使い分けることが、感情との健全な関係を築く鍵となるでしょう。

感情を過度に「制御する」のではなく、「上手に付き合い、時に導かれ、時に方向を調整する」――そんな関係を育むことが大切かもしれません。


4.長期的な視点を持つ – レジリエンスを育む

私たちの人生は、穏やかな晴れの日ばかりではありません。うまくいく日もあれば、感情の波に飲み込まれる日もあります。

そんな不確かな状況の中でこそ、レジリエンス(回復力・適応力)を獲得していくことが大切です。

先述したとおり、レジリエンスは個人内要因、対人関係や経験で獲得される個人間要因、社会生態学的外部要因の相互作用で形成されます。

  • 個人内要因:まずは、自らの内なる土壌を耕すことが大切です。これには心の安定のみならず、体を動かし、十分な睡眠をとり、栄養バランスの良い食事を心がけることも関連します。
  • 個人間要因:人とのつながりを深めることも大切です。心から理解し得る関係や、助けを求められる関係を構築しておくことで、レジリエンスは高まります。
  • 外部要因:環境との調和を見つけることも大切です。様々なコミュニティに属したり、自然の中で過ごすことで、自分と社会との確かなつながりを感じられるようになります。

感情の波に飲み込まれてしまった日があっても、翌日また新たに始める力がレジリエンスです。

感情調整の練習を繰り返すことで、レジリエンスは強化され、より強いレジリエンスがあれば、感情調整もより効果的になります。

人生は予測不可能なことの連続です。完璧な自制を目指すのではなく、どんな状態でもしなやかに乗り切れる術を身につけること――それが本当の意味での「自制心」なのかもしれません。

その際、他の人と自分を比べるのではなく、昨日の自分と今日の自分を比べてみてください。レジリエンスの形は十人十色で、あなただけの歩み方で大丈夫です。

そして、常に「強くあらねば」「乗り越えなければ」という考えは、かえって私たちを消耗させます。

疲れたときには休息を取り、自分を労わることも大切なレジリエンス・スキルです。

心と体のサインに耳を傾け、時には立ち止まる勇気も持ちましょう。


まとめ

私たちの心は器であり、自制心を育むということは、その器を丁寧に磨いて活用していくことを意味します。

感情という水を受け止め、その重さに耐え、その流れを適切に対処していくための器の状態を整えていくこと。

感情調整、マインドフルネス、レジリエンス──これら三つの知恵は、器を美しく手入れして、ときにヒビを補い、器の輪郭そのものを広げるための実践です。

完璧である必要はありません。どんな器にも傷があり、ゆがみがあります。

けれど、その器に真摯に向き合い、日々磨き続けることができれば、やがてそれは、自分だけのしなやかな器へと育っていきます。

自らの器にそっと手を当てて、磨き上げるような時間をつくることが、感情のコントロールそのものと言えるのです。


参考文献

  • Carpenter, J. K., Conroy, K., Gomez, A. F., Curren, L. C., & Hofmann, S. G. (2019). The relationship between trait mindfulness and affective symptoms: A meta-analysis of the Five Facet Mindfulness Questionnaire (FFMQ). Clinical Psychology Review, 74, 101785.
  • Chambers, R., Gullone, E., & Allen, N. B. (2009). Mindful emotion regulation: An integrative review. Clinical Psychology Review, 29, 560–572.
  • Gross, J. J. (2015). Emotion Regulation: Current Status and Future Prospects. Psychological Inquiry, 26, 1–26.
  • Liu, J. J. W., Reed, M., & Girard, T. A. (2017). Advancing resilience: An integrative, multi-system model of resilience. Personality and Individual Differences, 111, 111–118.
  • Sisto, A., Vicinanza, F., Campanozzi, L. L., Ricci, G., Tartaglini, D., & Tambone, V. (2019). Towards a Transversal Definition of Psychological Resilience: A Literature Review. Medicina, 55(11), 745.
  • Southwick, S. M., Bonanno, G. A., Masten, A. S., Panter-Brick, C., & Yehuda, R. (2016). Resilience definitions, theory, and challenges: Interdisciplinary perspectives. European Journal of Psychotraumatology, 5, 25338.
]]>
なぜ組織で対話が生まれないのか?──効率至上主義の落とし穴 https://h-utsuwa.com/outline/dialogue-2 Tue, 01 Apr 2025 02:25:28 +0000 https://h-utsuwa.com/?p=2571 「無駄を省け!」「最短距離で成果を出せ!」「スピードアップ!」──働く現場では、日々、効率化の号令が響いています。

時間、体力、資金といったリソースが限られている以上、それらをどう効率的に活用するかという視点が重要であることに、疑いの余地はありません。

しかし、効率至上主義を推し進めたことで、私たちはまるで、ベルトコンベアに乗せられた機械の部品のように、感情を押し殺し、ただ前進することを求められる状況に陥ってはいないでしょうか。

VUCAと呼ばれる不確実な時代。生成AIの普及により、「人間らしさ」とは何かが改めて問われている今、効率化という単一のモノサシだけで、人の可能性を測ることはできません。

そこで今回の記事では、効率至上主義の落とし穴を見つめ直し、組織における「対話」の価値を問い直していきます。


対話とは何か?──単なる会話ではない「関係構築の営み」

まず立ち止まって考えたいのは、「そもそも対話とは何か?」という問いです。

対話とは、ただ話すことではありません。また意見をぶつけ合う議論でも、事実の伝達や状況報告でもありません。

対話とは、互いに耳を傾け、理解し合おうとする“関係構築の営み”を指します。

つまり、「私はこう思う」だけでなく、「あなたはどう感じる?」「私はそれをどう受け止める(内省)」といった相互作用を通じて、新たな意味を共につくっていくプロセスなのです。

したがって、組織における対話は、単なる情報把握の手段ではなく、人と人とのあいだに“温度”や“感情”を生み出す営みです。

それによって、信頼関係が構築され、新たな未来を創造する兆しが開かれていきます。


効率至上主義の落とし穴──創造性と関係性の喪失

効率化そのものは「悪」ではありません。

しかし、それを絶対視したとき、組織は次第に人間性を失い、本来の力を発揮できなくなっていきます。

経営学者ピーター・ドラッカーは「企業の目的は顧客の”創造”である」と述べました。

ところが、「売上や利益を上げること」を最大の目的として設定した瞬間、効率至上主義に陥っていきます。

ある方が「今は業務効率を優先するあまり、創造のゆとりがない」と嘆いていました。

本来、創造性は“遊び”や“余白”といった、一見「無駄」に思える時間の中に宿るものです。

効率化を進めて余白を切り捨てていけば、結果として創造性が生まれなくなり、かえって余裕がなくなる──そんな逆説的な状況に陥ってはいないでしょうか。


人間性を失った組織は崩れていく

人間は機械ではありません。日々の体調も感情も揺れ動く、生きた存在です。

それにもかかわらず、成果とスピードだけを重視する組織では、人が機械のように扱われ、関係性そのものへの関心が弱くなっていきます。

その結果、以下のようなリスクが生じます。

①柔軟性の欠如

不透明な時代、私たちはコロナや震災などの危機を経て、マニュアルでは想定できない事態には、柔軟な話し合いによってしか対応できないということを学びました。
にもかかわらず、人間を「目的に沿って効率的に動かす対象」と見なす発想では、こうした柔軟性は失われてしまいます。

②倫理観の崩壊

短期的な成果ばかりを追い求めると、社会的責任や倫理的視点が軽視されていきます。
自己都合だけを優先すれば、格差は拡大し、多様性──特に弱者の視点──が排除されていきます。
その結果、組織や社会全体のバランスが崩れ、負のスパイラルに陥っていきます。

③関係性の希薄化と閉塞感の蔓延

現代社会のメンタルヘルス問題は、本来大切にすべき「人間関係」が軽視されてきた結果かもしれません。
飲み会や雑談などが“非効率”とされ、関係づくりの機会が減る中で、私たちは「つながりたいのに、つながれない。それならいっそ、つながらないほうが楽でいい」という矛盾を抱えがちです。


なぜ組織で対話ができないのか?

対話とは、信頼関係を結び直し、新たな未来を共に創るための行為です。

しかし、働く現場ではよくこう言われます。「対話の大切さはわかるけれど、その時間が取れない」。

その結果、忙しくなればなるほど、業務中心の表面的な関係になりがちです。

けれども、豊かな対話の時間こそが、信頼関係を深め、持続的なパフォーマンスや創造性を支える基盤になります。

「対話による関係構築は、効率化と同じくらい重要である」
「社会的つながりは、精神的健康の礎である」
「孤独は、身体的健康リスクと同程度に危険である」

こうした認識が広まらなければ、組織の中で静かに疲弊が増幅していくことを止められません。

対話のない組織では、人々が孤立し、やがて「声」を失っていきます。

毎日タスクをこなすだけ。質問しても『とにかくやれ』と言われる。まるでロボットになった気分のままで、果たして生産性の高い仕事を続けられるでしょうか。

対話がなければ、小さな不調や悩みは見過ごされ、やがて大きな問題へとつながっていきます。
あるいは、声をあげる前に諦めが生まれ、当該社員は静かにその場を去っていくことになります。


あえて非効率な対話をする意義

ここまで、効率至上主義が進む→対話の時間が取れない→信頼関係が築かれない→創造性が発揮されない→さらに効率至上主義が進む・・・という負のループを述べてきました。

では、“あえて非効率な対話の場”をつくることが、なぜ負のループを断ち切るのでしょうか?

その理由は、大きく3つあります。

①感情と信頼が回復するから

対話には、ただの情報交換ではなく「人と人との温もり」を取り戻す力があります。
最近の出来事や悩みといった他愛ないやりとりの中で、眠っていた感情が動き、関係性が深まっていきます。
信頼が生まれると、人は安心して本音を語れるようになり、意見交換の質も高まります。

②問題の兆しや違和感に気づけるから

「わざわざ話すまでもない、ちょっとしたことなんだけど・・・」といった中身のない雑談や、無目的に思える対話の中には、言語化されていない違和感や小さな変化のサインが隠れています。
効率重視の会議や報告ラインでは拾いきれない微細な「揺らぎ」は、こうした対話の中でこそ気づくものです。
それにより、課題を早期に把握し、柔軟に対応できる土壌が育まれます。

③創造的なアイデアが生まれるから

創造性は、余白とゆらぎの中からしか生まれません。
何気ない会話や、ふと思いついたアイデアを受け止め合える場で、既存の枠組みに縛られない自由な発想がひらめます。
そこから、組織に新しい風を吹き込むような、価値ある変化やコラボレーションが生まれるのです。

“対話”は負のループを断ち切り、「信頼 → 安心 → 本音 → 創造性 → 協働」へと、血の通った組織の流れを再構築してくれます。

その最初の一歩は、“あえて”非効率な時間をつくる勇気に他なりません。


まとめ

実際の対話では、「価値ある発言をしなければ」「結論を出さねば」と焦る気持ちが働きがちです。

でも、対話の本質は“答えのない問いに、モヤモヤしたまま向き合う”プロセスにこそあります。

それゆえに、対話は一見「非効率」で「無駄」に見えますが、その“無駄”の中にこそ、信頼や創造性の種が眠っています。

組織とは、人と人が織りなす関係性の集合体です。

その組織において、私たちは、一緒に働く仲間のことを、どれだけ深く知っているでしょうか?

仲間の夢やビジョン、嬉しくてたまらない瞬間、過去の傷や、誰にも言えない悩み──もしそれらを何も知らないとしたら、そこにはまだ“つながる余地”が残されています。

その関係性が豊かになってこそ、人や組織に眠っていた無限の可能性を解き放たれるのかもしれません。

]]>