第76話「遠い海からの便り」
その日のひとがまは、いつになく静かだった。
春の風も止まり、ただ窯の奥の灰が、ひそひそと語り合うように音を立てている。
つぎっぴーは縁に腰かけ、外の空をぼんやり見ていた。
「……あの海、遠かったなぁ」
金線が、少し弱く光った。
つぼるんが隣に来て静かに聞いた。
「海が恋しいのかい?」
「うん。でもね……日本に帰ってくるとき、なんかあの海が『さよなら』って言ってきた気がして」
「つぎっぴー……」
その時――ひとがまの入口に、ひとつの影が差した。
◆1.ひとりの若者が、海のにおいを運んできた
「……あの、この場所で……つぎっぴーさんに会えるって……聞いて」
声の主は、二十代半ばの若い男性だった。
潮風にさらされたような髪。背負ったバッグは、つぎっぴーが働いていた海外の店のロゴ。
つぎっぴーは、思わず跳ねるように立ち上がった。
「えっ……! そのロゴ……もしかして……マルタさんの……?」
若者は深く一礼した。
「僕、マルタさんの店で働いていて、あなたの……後輩です」
つぎっぴーの金線が一瞬、強く輝いた。
「なんで……ぼくを……?」
若者は、胸元から一枚の封筒を取り出した。
「実は、マルタさんが……亡くなる直前に書いた手紙を預かっています。『必ず、つぎっぴーさんに渡してほしい』って」
ひとがまの空気が、一瞬止まったように感じられた。
ゆのみんがそっと手を口に当て、つぼるんは静かに目を閉じた。
◆2.マルタの最後の言葉を読む
若者は封筒を差し出す前に、小さく言った。
「読む前に……伝えたいことがあります」
「……うん」
若者は深呼吸してから言葉を続けた。
「マルタさんは……あなたをずっと誇りに思っていました。『金継ぎを世界に広めた子』だって」
つぎっぴーの金線が揺れた。
「そんな……ぼく、ただ必死で……欠けた分だけ……精いっぱい、つないでただけなのに……」
「ええ。でも……それが世界を変えたんです。ぼく……あなたに憧れて店に入りました」
つぎっぴーの金線が震え、自分でも抑えきれないほど、光がにじんだ。
若者は封筒をそっと渡した。
「どうか……読んでください」
つぎっぴーは震える手で封を開けた。
◆3.マルタの最後の手紙
マルタの筆跡は、昔と変わらぬ勢いのある、しかし少し弱々しい文字だった。
Dear Tsugi,
あなたの金線が初めて光った日を覚えていますか?
あのとき私は、その欠け目のひとつひとつが美しくて、愛しくて、世界に必要だと感じました。
あなたは自分を責めたけれど、私は、あなたの欠けた場所に光が宿るのを見て、自分の人生も『つながる』と感じたのです。
私は、あなたとつながれて幸せでした。
あなたは、私を救いました。
どうか、そのことを忘れないで。
私はもう長くありません。
でも、これからは永遠にあなたとつながることができます。
なぜなら、私はあなたの金線の中で生き続けるからです。
だから、どうか、私の分まで、思う存分に、生きてください。
海の向こうから、あなたの幸せを祈っています。— Malta
つぎっぴーの金線からぽたり、と光が落ちた。
それは涙のように見えた。
「……ぼく……そんなふうに思われてたなんて……知らなかった……」
ゆのみんがそっと寄り添った。
「つぎっぴー……つぎっぴーの『つないだ線』は、本当に誰かの人生を変えてたんだよ」
「つぎっぴーは、世界に『希望の跡』を残したんだ」
つぎっぴーは、何度も何度も手紙を胸に抱きしめた。
◆4.マルタの『遺した光』が、ひとがまに満ちる
若者は静かに言った。
「マルタさん、最後にこう言ったんです。『ツギは、光を怖がるけど……光そのものなんだよ』って」
つぎっぴーの金線が、ふわりと、ひとがま全体に淡い光を投げかけた。
「ぼく……見た目よりずっと弱いし、欠けやすいし……大事なとき、転んでばっかりで……」
つぎっぴーはゆっくり顔を上げた。
「でも、『欠けてもつながれば強くなる』って……マルタさんが一番信じてくれてたんだね」
「おっしゃるとおりです。だから……僕もずっと信じてます」
つぎっぴーの金線が、まるで『ありがとう』と震えるように輝いた。
ゆのみんも涙を浮かべ、つぼるんは深い優しさでつぎっぴーを見守った。
その瞬間――名のない器が、静かに、しかし確かにコトンと鳴いた。
まるで、海の向こうから届いた光が、ひとがまに吸い込まれてゆくようだった。