第58話「閉鎖の告知」
朝の学習センター。
春の光が大きな窓から差し込み、静かな読書室の中には、紙の匂いと木のぬくもりが漂っていた。
つぼるんは、その空気が好きだった。
この感じ……毎朝、ぼくの『知』が息をする場所だったな。
つぼるんは丸い影を机に落としながら、棚の本をそっと撫でた。
――30年近く、この場所を守ってきた。
子どもたちの宿題の相談。
高齢者のタブレット講習。
若者の就職支援。
地域の人たちの小さな不安や悩み。
つぼるんにとって、ここは『知が人と出会う場所』だった。
今日もいつものように相談窓口に座ろうとしたとき――センター長が、重い足取りで近づいてきた。
◆センター長の呼び出し
「つぼるんさん……ちょっと、来てもらえますか」
声の温度に、つぼるんは違和感を覚えた。
……何かあったのかな?
会議室に入ると、厚い封筒が一つ置かれていた。
センター長は深く息を吸い、ゆっくりと告げた。
「……学習センターは、今年度で閉鎖です」
「……………………」
言葉が認識に届くまで数秒かかった。
閉鎖?
この場所が?
30年の積み重ねが?
「……なぜ……ですか?」
「区の予算の大幅削減で……維持が難しくなりました。今後は民間のオンラインサービスを活用する方針に……」
説明は続いていたが、つぼるんの耳にはもう届いていなかった。
◆『知の根』が抜かれる痛み
机の上の天井灯の光がにじんだ。
陶肌がじんわり冷えていった。
ここは……ぼくの知の……根を張った場所だったのに……
センターの壁。
子どもたちの笑顔。
高齢者の元気な声。
若者の相談。
つぼるんがつないできた関係。
それらが、突然『終わる』という現実。
「……すみません」
「……いえ」
つぼるんはただ、静かに頭を下げた。
ぼく……ここで何を学んで……何を残したんだろう……
◆館内のざわめきと、取り残される影
廊下に戻ると、すでに若手職員たちが噂をしていた。
「閉鎖の知らせ、聞いた?」
「来年度から転属らしいよ……」
「みんなの仕事どうなるんだろ……」
つぼるんが通ると、若手たちは一瞬言葉を止めた。
「あ……つぼるんさん……」
「……すみません。僕ら、どう声をかけていいか……」
「大丈夫。みんなも、不安だよね」
声はやさしかったが、胸の奥には『あいた穴』が広がっていった。
……ぼくは……どこに行けばいいんだろう……
◆夕方、センターの灯りをひとりで消す
仕事が終わり、誰もいなくなった館内。
天井の明かりが静かに光り、机や椅子が規則正しく並んでいた。
つぼるんはゆっくり歩きながらひとつひとつの部屋を見て回った。
あの日、泣いていた高校生。
タブレットに苦戦していたおばあちゃん。
就活で悩んでいた若者。
あの初老の女性を救えなかったのは、今も心残りだ……
すべてが蘇った。
そして同時に、それらが『消えていく未来』も浮かんだ。
最後のスイッチに手をかけた。
『パチッ』
灯りが落ちた。
真っ暗な中、つぼるんの陶肌だけがわずかに静かに光っていた。
……ありがとう。ぼくの大切な居場所だった……
その声は、室内に響いたが、自分にしか聞こえなかった。
◆〈ひとがま〉へ帰る決意の種
外に出ると、冷たい夜風が吹いた。
……帰ろう。
その瞬間、ひとつの景色が浮かんだ。
――〈ひとがま〉の窯の赤い光。
――陶じいのゆったりとした声。
――ゆのみんの湯気。
――つぎっぴーの明るい金線。
「……そうか」
夜風の中に、わずかにやさしい温度が宿った。
ぼくが帰る場所は……まだ……残ってる。
つぼるんの足が、静かに、山のほうへ向かった。