第19話「声にならないありがとう」
夕方の〈ひとがま〉。
見慣れた山の影が、今日はいつもと少し違って見えた。
三人は、昨日と同じように散歩へ出ていた。
ただし、昨日よりも、歩く位置が少しだけ近い。
ゆのみんがぽてぽて歩く前で、つぼるんとつぎっぴーは、軽いすきまを残しながらついていく。
風はほとんど吹いていなかった。
空気は静かで、三人の息づかいだけがほんの少し響いていた。
道の途中に、丸い石がひとつ転がっていた。
つぎっぴーが足を引っかけそうになり、思わず声をあげた。
「わっ!」
つぼるんが反射的に手を伸ばした。
昨日より、ほんの一瞬だけ早い。
「だ、大丈夫か?」
つぎっぴーは驚いた顔で、つぼるんの手を見た。
その手は、すぐに引っ込んでしまったけれど――つぎっぴーは、胸の奥で、小さな『あたたかさ』が灯るのを感じた。
いま……守ろうとしてくれたんだ。
でも、言葉にはならなかった。
「……うん、大丈夫」
それだけを言うのが精いっぱいだった。
少し歩くと、今度は、つぼるんが道端の根につまずいた。
普段は足元に気を配るタイプだから、自分でも驚いたようだった。
「っと……!」
つぎっぴーは反射的に前へ出た。
でも、手は届かない。
代わりに、口が先に動いた。
「あぶないよ……!」
その声には、昨日までの刺々しさがなかった。
つぼるんは一瞬だけその声に引き寄せられ、胸の奥に何かが落ちるのを感じた。
……気にしてくれていたんだ。
でも、言葉にはならなかった。
「気をつけるよ」
それだけを、静かに返した。
丘の上に出たとき、太陽はゆっくり山の向こうに沈みかけていた。
ゆのみんが足を止めた。
湯気がふわっと、ひと息ぶん大きくなった。
「……きれいだね」
つぎっぴーもつぼるんも、声を出さずに頷いた。
その頷きは、三人の胸の奥で同じリズムを刻んだ。
――ありがとう。
ゆのみんは思っていた。
昨日、ふたりが言葉をくれたこと。
歩く距離を合わせてくれたこと。
ここにいてくれること。
――ありがとう。
つぎっぴーも思っていた。
つぼるんが手を伸ばしてくれたこと。
ゆのみんが焦らず歩いてくれたこと。
ちゃんと見ててくれること。
――ありがとう。
つぼるんもまた思っていた。
昨日、自分の言葉を受け止めてくれたこと。
つぎっぴーが声をかけてくれたこと。
ふたりと歩けること。
三人とも、胸の奥で『ありがとう』を抱えながら、結局、誰ひとりとして言葉にしなかった。
でも、夕陽が三人の影を重ねた。
その影は、声にしなくても届く『気持ちの形』だった。
ゆのみんが、ぽつりと言った。
「いつか……ちゃんと伝えられたらいいな」
つぎっぴーも、つぼるんも、それが誰に向けた言葉か、すぐにわかった。
三人は夕陽を見つめながら、同じ願いを胸に刻んだ。
――声にならないありがとうを、いつか声で伝えられる日が来ますように。
その願いが、静かに三人を包み込んでいた。