第34話「自分のための火」
その日は、朝からいつもと違った。
カーテン越しの光はやさしいはずなのに、ゆのみんの陶肌には、どこか白く乾いた影が落ちていた。
「ゆのみん、おはよう~!」
子どもが元気に駆け寄ってきた。
「……お、おはよ~……」
声は出た。
でも、湯気が――出ない。
ゆのみんは一瞬、自分の中で何かが『カチリ』と外れたような音を聞いた気がした。
あれ……? どうして……?
湯気を出そうとしても、胸の奥に冷たい霧が張りついている。
◆午前中、ゆのみんは『笑顔の仮面』をつけた
子どもと遊びながら、ゆのみんは『笑顔の形』だけを保った。
「ここ、こうやるんだよ~!」
「うん、ありがとう~……」
言葉は出る。
しかしどれも少し遅れて出てくる。
なんだろ……体が重い……足が、ぽてぽて動かない……
子どもが首をかしげて言った。
「ゆのみん、なんか冷たい……?」
「えっ……そうかな……?」
ゆのみんは慌てて湯気を出そうとした。
……でも、出ない。
胸がぎゅっと縮んだ。
どうしよう……お茶の器なのに……わたし、湯気が出ないなんて……
焦りは、さらに冷えを広げるだけだった。
◆昼下がりのキッチンで、ゆのみんは座り込む
お昼を終え、家事をしているとき。
突然、足が止まった。
『ぽとん。』
小さな音とともに、ゆのみんの体が少しだけ沈んだ。
あ……もう……動けない……
台所の光の下で、ゆのみんはゆっくりと腰を下ろした。
陶肌が、どこか乾燥してひび割れそうだった。
なんで……なんでこんなに疲れてるんだろ……幸せなはずなのに……わたしが頑張れば……全部うまくいくはずなのに……
胸の中の冷えは、涙の代わりに広がっていった。
ゆのみんは、初めて『自分の温度』が怖くなった。
◆夜、つぎっぴーからのメッセージが届く
その夜、スマホが震えた。
『ねぇ、ゆのみん! また新しい仕事、決まったよ! すっごく嬉しい!』
ゆのみんは画面を見つめ、返事を打とうとした。
……よかったね。ほんとに、よかった……
そう思っているのに、指が動かない。
言葉が浮かばない。
湯気も、戻らない。
わたし……なんでこんなに……何も出てこないの……?
胸の奥で、コトリ、と何かが落ちる音がした。
◆つぼるんからの電話
そのとき、電話が鳴った。
「ゆのみん、大丈夫か……? なんか、いつもと違う気がして」
ゆのみんは必死で声を整えた。
「あ、ううん、大丈夫だよ~! 元気元気~!」
声は明るい。
けれど、その『軽さ』はいつもと違った。
つぼるんは静かに言った。
「……ゆのみん、本当に、湯気……出てるか?」
ゆのみんは一瞬言葉を失う。
……見抜かれた。
「……で、てない……」
その言葉と同時に、胸の奥に押し込めていた涙が、音もなくあふれた。
◆ゆのみん、『自分のために』泣く
電話口のつぼるんが言う。
「ゆのみん、無理せずに、弱音を吐いてもいいんだよ」
その一言で、ゆのみんの心に張りついていた『冷たい霧』がゆっくりと溶け始めた。
「……ごめん……わたし……全然大丈夫じゃ、なかった……」
「うん、知ってるよ。ずっと、力が入っていた」
「……うん……うん……」
ぽろ、ぽろ。
湯気ではなく、ゆのみんの『涙』が、初めてこぼれ落ちた。
わたし……本当は、しんどかったんだ……
自分で自分の『情』の枯渇に気づいた瞬間だった。
◆電話の最後、ゆのみんは決めた
つぼるんは優しく提案した。
「……休んだほうがいい。一度、〈ひとがま〉に帰っておいで。陶じいにも、会おう」
ゆのみんは、涙でにじむ声で言った。
「……うん。……帰りたい……」
心の奥で、小さな火がほのかに灯った気がした。
湯気はまだ出ない。
けれど――その火は確かに『再生のはじまり』だった。