第59話「帰郷、師の影」
山あいの道を、つぼるんはとぼとぼと歩いていた。
足元の石ころが、ときどき陶肌にコツンと当たった。
だいぶ歩いたな……センターを出て、こんなに足が重く感じたのは初めてだ……
肩にのしかかるのは、閉鎖の知らせの重さだけではなかった。
自分の『知』の居場所を失った喪失感。
空っぽの胸の冷たさ。
その問いは、歩くたびに胸の奥で鈍い音を立てた。
◆ひとがまの光の前で息を呑む
森を抜けると、〈ひとがま〉の建物が見えた。
小さな登り窯の煙がかすかに空へ伸びていた。
帰ってきた……ただいま。
玄関の戸をそっと開けた。
『ギィ……』
室内は静かだった。
古くなった土の匂い。
柔らかい光。
少し散らかった道具。
足音を忍ばせて奥へ進むと、窯の前で丸く背中を丸めた人影が見えた。
陶じいだ。
「……すえじい……?」
その声に陶じいがゆっくり振り返った。
しかし、いつものような朗らかな動きではなかった。
灯りに照らされたその姿に、つぼるんは思わず息を呑んだ。
陶じいの背中は、前よりもずっと小さく見えた。
腕も細く、指がわずかに震えていた。
「……おお……つぼるんか……よう帰ってきたの……」
声は優しいままだが、その奥に疲れの影があった。
◆師の『弱った手』
つぼるんは近づき、陶じいの手を見た。
その手は、かつて土をこね、器を作り、三人をこの窯で『焼き上げた』手だった。
だが今は――土を支えるには頼りなく、骨が浮き出るほどに細くなっていた。
「……すえじい……その手……」
「はは……なんじゃ、気になるんか。おまえは、よう人を見とるなあ。人も器も……長う生きれば、ヒビも入るし、欠けも出る。そういうもんじゃ」
「でも……昔より……ずっと……」
「……ああ。おまえなら分かるか」
陶じいが窯の火を見つめた。
細い指がわずかに震えた。
「火に向かっとると、どうしてもな……身体に来るんじゃよ」
つぼるんは胸を掴まれたような気がした。
センターが閉じたのと同じ感情だ……。
もしかして、すえじいまで……いつかいなくなってしまうの……?
陶肌の奥で、冷たい痛みがじんじん広がった。
◆すえじいは、変わらず『気づいて』くれる
陶じいは、つぼるんの揺れる気配を感じ取ったのか、ゆっくりつぼるんの横に座った。
「つぼるん。おまえ……なんか、よう冷えとるな」
「……センターが……閉鎖になりました」
「……そうか」
「ぼく……あの場所に……知の根を張ってたつもりでした。でも……あっけなく、抜かれました」
陶じいは、静かにうなずいた。
「場所はな……守っとるようで、守られとったりするんじゃ」
「……?」
「おまえが守っとったのは、実は『人』じゃ。人と人の『関係』じゃ。そして、火を絶やさん気持ちじゃ。場所そのものでは、ない」
つぼるんの胸の中で、何かがかすかに溶けた。
◆窯の火が、ふっと揺れる
陶じいは立ち上がろうとして、少しよろけた。
「すえじい!」
支えながら、つぼるんはようやく気づいた。
この場所も……永遠じゃないんだ……
陶じいは、弱い笑顔を見せた。
「心配するな。わしの火は……まだ、生きとる」
「……でも、その火……すえじい、身体、つらいんじゃ……?」
「……そうじゃな」
その一言は、つぼるんの胸に深く深く沈んだ。
◆師の影の中で、つぼるんの『知』が揺れる
窯の火がゆらめいた。
その光の揺らぎが、陶じいの影を長く伸ばしていた。
どうにか、この火を……絶やさない方法はないだろうか……?
その問いは、怖くて、重かった。
陶じいは、つぼるんの迷いを見透かしたように言った。
「つぼるん。おまえはまだ……火を触っとらん。『深い火』にな」
「……深い火……?」
「人の痛みも、自分の喪失も、老いも……ぜんぶ抱えて……それでも火の前に座る。それが……深い火じゃ」
炉が『ぱち』と鳴った。
◆つぼるん、静かに決意へ
つぼるんは、陶じいの弱った背中を見つめた。
ぼくは……この窯を守りたい……
胸に灯った小さな火は、まだ頼りない。
でも確かに燃えていた。
「……すえじい。ぼく……そばにいます。まだ、決心はできないけど……火の前に、座ります」
「……それも、ええ。それでなくても、ええ。それも、それ以外も、おまえが決めたなら、すべてが、ええ答えじゃ」
二人の影が、窯の揺らめきの中でゆっくり重なった。