第62話「火昇る最期の夜」
夜のひとがまは、いつになく静かだった。
三人が戻ってきて数日。
陶じいは、まるで安心したように少しずつ言葉を減らしていった。
窯の火だけが、弱く、細く、静かに呼吸を続けていた。
◆陶じいの、最後の仕事
その夜、陶じいは自分の寝床からゆっくり起き上がり、窯の前に座った。
「すえじい……今日は休んでいてください」
「いや……今夜くらい……最後に、火の前に、座りたかったんじゃ」
動きは弱く、でも表情は穏やかだった。
ゆのみんは、そっと横で湯気を落とした。
つぎっぴーは金線を震わせながら、寄り添った。
「三つの器よ……ようここまで育ったなぁ……」
火が、その言葉に応えるように揺れた。
「火は……な、人の命といっしょじゃ。消えるときは、上へ昇る。空に還るんじゃ」
その言葉を聞きながら、つぼるんの胸がしんと痛んだ。
つぎっぴーは、金線が涙のように光った。
ゆのみんの湯気が震えた。
陶じいは続けた。
「おまえらは……もう火を持っとる。外の世界でついた火……人と関わって得た火……自分の痛みで灯した火……そのぜんぶが……おまえらの中にある」
陶じいは、三人を一人ずつ見つめた。
「ゆのみん。傷ついた心を温める湯気は……おまえの中に」
「つぎっぴー。欠けを希望に変える金線は……おまえの中に」
「つぼるん。どんな闇をも照らす『深い知』は……おまえの中に」
陶じいは、手のひらを窯の火へそっと伸ばした。
「もう……わしはおらんでもよかろう……安心じゃ」
やわらかな笑み。
その直後、火がふっと静かに舞い上がった。
――炎が高く高く空に昇った。
まるで陶じいの命の最期の鼓動のように。
三人が駆け寄ると、陶じいは静かに目を閉じたまま、眠るように横たわっていた。
もう呼吸はなかった。
火はすっかり消えて、小さな余熱だけが残っていたた。
窯の影は、陶じいのいない形に変わった。
「……ありがとう……すえじい……」
三人はしばらく、灯りの消えた窯の前で泣いた。
泣き方は三人三様。
湯気、金線、深い静けさ。
どれも陶じいが育てたものだった。
◆ ◆ ◆
◆陶じいのいない朝
翌朝。
ひとがまの世界は、昨日とほとんど同じだった。
窯も道具も家も、何ひとつ変わっていない。
ただひとつだけ、大切なものが変わってしまった。
「……すえじいの声がしない」
ゆのみんは湯気をしぼめ、つぼるんは手で胸を押さえた。
……ぼくら……これから、どうなるんだろう……?
◆陶じいを失った後に残ったもの
陶じいの不在は、三人にぽっかりと穴をあけた。
それはまるで、今まで頼りにしていた『肩書き』や『役割』もまとめて無くなったような感覚だった。
ゆのみんは、家族の器としての役割を失い、帰る家庭を失った。
つぎっぴーは、金継ぎ職人としての肩書きを失い、金線を引けなくなった。
つぼるんは、学習センターと地域の知の役割を失い、生きがいが見えなくなった。
三人は、これまで『誰かとして』生きてきた。
しかし、いま、肩書きも役目も、師の力も、すべて失ってしまった。
残ったのは、たった一つ。
――『器としての自分』だけだった。
それが、どれほど心細いものか。
どれほど自由で、同時に、どれほど不自由なことか。
◆火の抜けたひとがまで、三人は立ち尽くす
ひとがまの前に三人が並んだ。
「……わたしたち、これから、どうなるのかな」
「ぼく……継げないし……なんにもできないよ……」
「……ぼくも同じだ。ここに戻ってきたけれど……何者でもない」
三人は同じ方向を向いていた。
『肩書きのない未来』という空白。
陶じいが最後に言った言葉がつぼるんの頭をよぎる。
『火は……上に昇る。人も器も、次へ進む』
「……すえじいは、『これから』をぼくらに託したんだと思う」
「これから……」
「ぼくらの……これからの人生……?」
「そう……すえじいが、やり残した想いを、ぼくらが継がないと……」
火のない窯の前で、三つの影が重なった。
不安もある。
迷いもある。
痛みもある。
でもその奥に――ほんのわずかだけ、新しい光が、生まれ気がした。