第99話「ゆのみんの旅立ち」
翌朝の『ひとがま』は、薄い朝霧に包まれていた。
光は白くやわらかく、まるで世界じゅうの音が一度だけ静かになるような時間だった。
そんな中――ゆのみんは、ひとり静かに目を開けた。
湯気は、ほとんど上がっていなかった。
でも、表情は驚くほど穏やかだった。
(……ああ、ありがたいことに、最後に1日だけご褒美をもらえたよ)
その『確信』をゆのみんはゆっくり受け入れた。
◆最後に、話したいことがある
ゆのみんは、ぽて、ぽて、とゆっくり歩き湯気のひろばへ向かった。
そこにはすでに、小さな器たちが集まりはじめていた。
「ゆのみんさん、今日はお休みじゃないんですか?」
花柄のお皿が心配そうに駆け寄る。
ゆのみんは微笑んだ。
「ううん。今日は……みんなに話したいことがあるんだ」
「たぶん、これが最後のお話になると思う」
一瞬、ひろばの空気が止まった。
器たちはゆっくりと円になり、ゆのみんのまわりに集まってきた。
◆『器物語』の終章
ゆのみんは、ひと呼吸だけ深く吸い込んだ。
湯気は細く、弱い。
でも、そのひとすじにゆのみんの生命力が宿っていた。
「わたしはね……ずっと、『あったかい器でありたい』って思ってきた」
「子どもの頃はね、ただ人の役に立ちたかった」
「10代では……はじめて友だちとぶつかったり、すれ違ったりしながら……『あったかさって何だろう』ってわからなくなったこともあった」
ゆのみんは少し笑った。
「でも、あの時のすれ違いは、わたしの器を大きくしてくれたんだよ」
器たちは目に涙を浮かべていた。
ゆのみんは続ける。
「人とぶつかるって、『嫌いになる』ってことじゃない。本当は……『もっと知りたい』の裏返しだったりする」
そこには、10代の三人が向き合い、泣き、謝り、歩み寄ったあの頃の景色が再び浮かんでいた。
◆進路が分かれた夜
ゆのみんの声が、少しだけ震えた。
「進路がばらばらになった夜……わたしたち、ひとがまの裏で星を見たんだ」
「つぼるんは深く考えて、つぎっぴーはわくわくして、わたしは……みんなと離れ離れになっていくのが怖くて怖くて」
「でも、つぎっぴーが言ってくれたんだよ」
つぎっぴーの声が風に蘇る。
――とりあえずやってみようよ!
――だいじょうぶ、離れても『仲間』だから!
「その言葉があったから、わたしは家庭に入る勇気をもらえたんだ」
そして、つぼるんの穏やかな声で言ってくれた
――それって、本当に自分の言葉かな?
――ゆのみん……君は君の道を行くべきだ。
「二人がくれた言葉は、ずっとわたしの中で生きてた」
「だからね……進路が分かれた夜も、寂しさではなく、『つながり』を感じられた夜だったんだ」
器たちは、その言葉を噛みしめるように静かに揺れた。
◆「あったかさ」の正体
「若い頃、自分が何者なのかわからなくて、迷って、落ち込んで、ぐちゃぐちゃになる時期だったけど……」
「でもね、その中で聞こえた声は全部、わたしの成長につながっていたんだ。ずっと忘れずに、今でも、ずっと残っていた」
「つぼるんの考え抜かれた深い穏やかな声も。つぎっぴーの前向きな金色の声も。陶じいの大地みたいな優しい声も」
ひと呼吸置く。
「それが全部集まって……わたしの『あったかさ』になった」
「だから……わたしは一人であたたかかったわけじゃない」
「みんなの声が、わたしの器の内側にずっと残っていてくれたから……わたしはここまで来ることができた」
ひとがまの風が、やさしく流れた。
◆聞き手(参加者)からの最後の質問
若い器がそっと手をあげた。
「ゆのみんさん……こわく、ないんですか?……その、『これから』のこと」
ゆのみんは、ふっと微笑んだ。
「こわくないって言ったら嘘になるよ」
「でもね、『ひとりで行く』わけじゃないから」
「……?」
「わたしの中には、つぼるんの声も、つぎっぴーの声も、陶じいの声もある」
「それに……」
そっと、自分の縁に触れる。
「わたしの話を聞いてくれたみんなの想いも……ちゃんと残ってる」
「だからね。わたしは、ひとりじゃない。みんなに支えられながら、空への旅に出られるんだ」
その瞬間、器たちの目に大粒の涙があふれた。
◆最後に美しく
ゆのみんは、最後の力を振り絞るようにして深く深く息を吸った。
そして……静かに、ゆっくりと湯気を吐き出した。
その湯気は、細く、白く、朝の光に溶けてゆく。
けれどその形は誰が見ても、はっきりと――『ありがとう』と語っていた。
ひろばの誰も、その場から動けなかった。
ゆのみんの湯気が光に混じっていく姿をただ、息を殺して見つめていた。
そしてゆのみんは、やわらかな声で締めくくった。
「……わたしの器物語は、これでおしまい」
「最後まで聞いてくれて、本当にありがとう」
その言葉は、ゆっくり、ゆっくり、消えていった。
――けれど、湯気のひろばには、優しいあたたかさがいつまでも残されていた。