第38話「風の中の「帰ってこい」」
市場が夜の闇に沈むと、急に風が冷たくなった。
昼間はあれほど人でにぎわっていたのに、店じまいした通りは静まり返り、つぎっぴーの足音だけが砂利を踏んだ。
……今日は、本当にダメだった。
金継ぎの線はところどころ曇り、そのうちの一本はひび割れたまま、修復されずに放置されていた。
つぎっぴーは、市場の裏手の小さな倉庫の影に座り込んだ。
◆誰も来ない夜
仲間の一人が店を閉めながら目を逸らした。
マルタも、つぎっぴーの姿からそっと目線を外した。
……怒ってる……よね……
いや、怒りではない。
もっと苦しい『沈黙』の目。
「信用できない」
「頼れない」
「壊しそう」
そんな言葉が目の奥に見えた気がした。
ぼく……やっぱり、壊れやすいんだ……
胸の奥がきしんだ。
◆自分の金線が、恥に変わる瞬間
つぎっぴーは、ひび割れた金線に指を当てた。
「……なんで、また……割れちゃうの……」
これまでの旅で増えてきた金継ぎの跡。
ゆのみんはそれを「味だよ」と言ってくれた。
つぼるんは「物語だ」と言ってくれた。
でも、今夜は、それが全部『傷の証拠』に見えた。
こんなに欠けてるぼくを……誰が好きになるんだろ……
誰が欲しがる? 誰の役に立てる?
夕暮れの光の中で誇らしく輝いていた金線が、今はただの『恥の跡』のように思えた。
つぎっぴーは顔を伏せた。
◆『とりあえずやってみよう』が言えない
胸に手を置いてみた。
そこにあるはずの『前向きな火』が、まったく熱を持たない。
……こわいよ。
また失敗するかもしれない。また怒られるかもしれない。また壊すかもしれない。
そんな状態で……『とりあえずやってみよう!』なんて……言えるわけ、ないじゃん……
つぎっぴーの声は震えて、金線から小さな土の欠片が落ちた。
◆深夜、倉庫の影で
夜風が強く吹き抜けた。
市場の灯りはほとんど消え、砂埃がつぎっぴーの体にまとわりついた。
「……ゆのみん……つぼるん……」
名前を呼んだ瞬間、胸のどこかがぐっと痛んだ。
ふたりなら、どうやってこの夜を越えたんだろう……
ゆのみんは、自分の湯気が出なくなるほど頑張っていた。
つぼるんは、自分の頭で考えて、前を向こうとしていた。
ぼくは……どうしようもない……弱い器なのかな……
そのときだった。
ひび割れた金線が、ほんの一瞬だけかすかに光った。
まるで「まだ終わっていない」と言ってくれているように。
◆風の中で聞こえた声
強い風が吹いて、市場の布がぱたんと揺れた。
その音が、つぎっぴーには『誰かが自分の名を呼ぶ声』のように聞こえた。
――つぎ。
「……だ、れ……?」
風の音は続いた。
――つぎ。
――かえっておいで。
……〈ひとがま〉……?
記憶の中の土の匂い、ゆのみんの湯気、つぼるんの静けさ、陶じいの火の音が胸にふっと戻ってきた。
ぼく……帰りたい……帰りたいよ……
つぎっぴーの金線から、涙のように土の欠片が落ちた。
◆その涙こそが、金継ぎの本当の始まりだった
欠けた瞬間は痛い。
隠れたくなるほど恥ずかしい。
自分のことが嫌になる。
でも――欠けたからこそ、そこに『物語』が生まれる。
つぎっぴーは、その夜、泣きながら気づいた。
ぼく……失敗して、欠けて、それを隠そうとするから苦しいんだ。
ぼくの金継ぎは……『強がりの証拠』じゃなくて、『生きた証拠』なんだ……
金線が、風の中で小さく震えた。
つぎっぴーは空を見上げた。
……ゆのみん、つぼるん……一度、ふたりのところに……帰りたい。
市場のどこか遠くで、朝の気配がかすかに動いた。
つぎっぴーが挫折した一夜は、こうして静かに、深く終わった。