第42話「「内側の意味」が揺らぎ始める」
夕暮れ。
〈ひとがま〉の土間に、柔らかな光が差し込んでいた。
窯の奥では、小さな火がゆらゆら揺れていた。
陶じいは火箸をゆっくり動かしながら、その音に耳を澄ませていた。
あの日以来、再び家庭に戻ることにしたゆのみんが、久しぶりに〈ひとがま〉に帰ってきた。
ぽて、ぽて、小さな足音。
「ただいま……」
湯気は出ているけれど、いつもよりずっと細かった。
陶じいはちらりと視線を向けた。
「おう。……湯気、弱いのう」
ゆのみんは苦笑いした。
「えへへ……ちょっと、ね。最近、家のほうが……少しだけ、騒がしくてさ」
言葉を濁した。
父と母の会話の温度、思春期の子どもの機嫌の揺れ、夜の静けさの『違和感』――ゆのみんには全部、体の温度で伝わっていた。
『ぽてん。』
次に戻ってきたのは、一時帰国したつぎっぴーだった。
「た、ただいま――! 久しぶりー!!」
元気に言ったつもりなのに、声はどこか空回りしていた。
陶じいは目を細めた。
「おや、金線、曇っとるぞ」
「えっ……あ、あはは……最近、若手の器たちとね……いろいろぶつかってて……」
少し笑ってみせるが、その『笑い方』が以前と違う。
……昔みたいに、『とりあえずやってみよう!』って言うのが……ちょっと重く感じるんだよね……
誰にも言えない迷いが、金線の奥に影を落としていた。
最後に現れたのは、つぼるんだった。
静かに、静かに歩いてきて、土間の真ん中で深い息をついた。
陶じいは言った。
「おまえ……土の匂い、よう冷えとる」
つぼるんは、黙ってうなずいた。
「……最近、『正しいこと』をするほど……誰も幸せになっていない気がして……」
つぎっぴーがつぶやいた。
「つぼるん……」
つぼるんは微笑んだ。
けれど、その陰影は以前よりも深かった。
三人が火の前に並んで座った。
ゆのみんは湯気が揺れ、つぎっぴーの金線は曇り、つぼるんは器の底がわずかに重く沈んでいた。
〈ひとがま〉は、いつになく静かだった。
外の世界の音が全部消えたような静けさ。
その沈黙を破ったのは陶じいの声だった。
「おまえら、ええ顔しとる」
三人は一斉に驚いて振り返った。
「え……どこが……?」
「湯気も少ないし……」
「金線、濁ってるんだけど……」
「ぼく、なんか沈んでますけど……」
陶じいは火を見たまま、静かに言った。
「四十の器はな、『完成』やない」
「四十の器は……『ゆらぎ始める』んじゃ」
ゆのみん、つぎっぴー、つぼるんは互いの顔を見合わせた。
一呼吸を置いて、陶じいは続けた。
「若いころは、形がどんどん変わる」
「三十までは、自分を見失わないように、形を『整える』時期じゃ」
「じゃが四十は……整ってきた形の内側で『意味』が揺らぎ始める」
火が『パチン』と跳ねた。
「焦らんでええ。揺らいだぶんだけ、器は深うなる」
三人は、胸の奥にゆっくり熱が灯っていくのを感じた。
ゆらぎは弱さではない。
揺らいでいるからこそ、変われる。
ゆらぎの中で、新しい意味が生まれる。
陶じいは最後にぽつりと言った。
「さて……四十の旅、焼き直しの始まりじゃ」
火の音が、まるで『出発の合図』のように響いた。
三人はそれぞれ静かに息を吸った。
ゆのみんの湯気が、少しだけふくらんだ。
つぎっぴーの金線が、ほんのわずか柔らかく光った。
つぼるんの陶肌に、温かさが戻り始めた。
こうして――三人の『中年の旅』が、静かに始まった。