第49話「沈むことは熟すこと」
つぼるんは、大きな公共施設の一角に置かれていた。
相談窓口の机の上。
市民の声と職員のため息が飛び交う場所。
……今日も、人が多いな……
つぼるんは、朝の光を受けて静かに佇んでいたが、その陶肌には、確かな疲れがにじんでいた。
◆市民と職員、そのすれ違い
午前中、職員と市民が、小さなことで揉めていた。
「どうしてこんなに時間がかかるんですか!」
「規定で決まっておりまして……」
「規定、規定って……!」
つぼるんはその会話を聞きながら、深く考え込んだ。
制度の正しさは……市民の正しさと、いつも重なるわけじゃない……
じゃあ……どちらの『正しさ』をぼくは支えるべきなんだろう……
陶肌がじんと冷えた。
両方の正しさが分かるからこそ、両方の正しさの間で苦しくなった。
それが、つぼるんの40代の終わりだった。
◆帰りのバスの中で、ふと沈む
その日の仕事を終え、つぼるんは公共施設からバスに揺られて、陶房へ帰る途中だった。
窓の外に流れる街の光。
若いころは……『正しいこと』を考えるのが楽しかった……
でも今は……考えるたびに、重くなる……
どうしてなんだろう……
深く考えるのは得意だった。
でも今は、深く考えるたびに沈んでいった。
陶肌の内側で、小さなヒビのような『違和感』が響いた。
◆夜、〈ひとがま〉へ戻る
バスを降り、つぼるんは山道を静かに歩いていった。
〈ひとがま〉の灯りが見えてきた。
土間に入ると、陶じいが火を見つめていた。
「……ほぉ。つぼるん、今日は……深う沈んどるの」
つぼるんは小さくうなずいた。
「……すえじい。ぼく……最近……考えるほど、重くなるんです」
陶じいは火箸を動かしながら言った。
「知はな……深くなるほど、重うなる」
「では……軽くするには……?」
陶じいはにやりと笑った。
「軽くせんでええ」
「え……?」
「四十の知は、今までの積み重ねがある。だから、『軽くならん』のが自然じゃ」
火がぱちりと跳ねた。
「若いころの知は、可能性に向かって深くなる」
「四十からの知は、『現実の厚みに沈んでいく』んじゃ」
「その沈みこそが……熟し始めた証拠じゃよ」
つぼるんの陶肌が、わずかに温かさを取り戻した。
沈むことが……悪いことじゃない……?
ゆっくりと深呼吸するように、つぼるんの縁がわずかに震えた。
◆火を見つめるつぼるんは、ひとつ気づく
火の前に座り、つぼるんは静かに目を閉じた。
ぼくは……軽やかさを求めて苦しんでたんだ……
若いころのように、簡単に答えが出せない自分が……間違っていると思っていた。
火の音が語りかけた。
――『カラ、カラ』
でも……正しさに沈むだけが、四十代の知じゃない……
沈んだからこそ、触れられる『本当に大事なこと』がある……
ぼくは……それを見つけたい……
陶肌の奥で、小さな光が生まれた。
◆最後に、陶じいのひと言が刺さる
陶じいは火を見たまま言った。
「つぼるん。おまえの知は細く深い。若いうちはそれでもよかった」
「じゃが四十からは……『深く沈んだ場所に、何を見出せるか』で知の器が決まるんじゃ」
つぼるんは、その言葉を胸に刻んだ。
……ぼくは沈む。深く深く、沈んでいく。
でも、沈むだけじゃない。
沈んだ先にある、大切な光を、ちゃんと持ち帰ろう。
闇の中に隠れている、確固たる強い光を。
そう思った瞬間、つぼるんの陶肌が静かに澄んだ色を取り戻し始めた。