第95話「器物語・前編」
『湯気のひろば』は、朝の光に照らされて、ゆらゆらと揺れていた。
その真ん中に座ったゆのみんは、いつもよりゆっくりと湯気を吐き出しながら、ぽつりとつぶやいた。
「今日は……『昔のわたし』の話をしてみたいんだ」
聴きに来た器たちは、息を呑むように静かになった。
ゆのみんは、しばらく、息を整えながら、黙っていた。
湯気がとても静かで、深い。
そして、胸の奥をひとつひとつ確かめるように話しはじめた。
◆『かたちになる前、わたしはただの『やわらかさ』だった』
「思い返すとね……わたしは最初、何の形も持ってなかったんだ。本当に、ただの土でね……押されればへこんで、引っ張られたら伸びて……そういう存在だったの」
その言葉に、土器がそっと手をあげた。
「押されるのって……こわくなかったんですか?」
ゆのみんは、半分笑いながら、半分しみじみと頷いた。
「こわかったよ。でも……押し返す力なんて、あの頃のわたしにはなかったからね。ただ、受け入れるしかなかった」
ゆっくり湯気がふくらむ。
「でも今思うと……触れてもらって、その想いを『受けていた時間』が、わたしの器の最初の形をつくったのかもしれない」
――受けることも、形になる。
ひろばにいた器たちは、その言葉をそっと胸に落とした。
◆三人で焼かれた夜
「窯の中でね……あのとき、わたし、『ひとりじゃない』って初めて思ったの」
つぎっぴーの幼い声が蘇る。
『ねぇ、熱いよね!? でも、生きてる感じするね!!』
つぼるんの声も、静かに揺れた。
『……きっと熱の先に、それぞれの『かたち』があるはずだ……』
「火はこわかったよ。でも……こわい中で『みんなと一緒なら大丈夫』って言ってくれる声が、本当にあたたかかったんだ」
花柄のお皿がそっと尋ねた。
「そのとき……ゆのみんさんは、泣かなかったんですか?」
ゆのみんは、ふっと視線を落とした。
「泣いたらね……『自分だけ怖い』って思っちゃう気がして。でも、二人の声があったから……泣くよりも先に、『この二人と一緒に焼かれたい』って思ったの」
ひろばの空気が、ほのかな熱で包まれた。
◆すれ違いの痛みは、今も忘れない
「でもね……子供のころ、三人で過ごしてても、痛いことはたくさんあったんだ」
あの日の記憶が、ゆっくり湯気の奥から立ちのぼる。
つぎっぴーがつぼるんの縁にぶつかり、つぼるんは怒り、わたしもどうしていいか分からなかった。
「わたし……『まぁまぁ……』って言ったの」
ゆのみんは、胸に手を当てた。
「でも、それがね……二人には『逃げてる』ように見えたんだ」
つぼるんの、あの言葉が落ちた。
『それって……ほんとうに自分の言葉かな?』
「胸の奥が、きゅうって痛かった」
しばらく沈黙。
ゆのみんの湯気が、かすかに揺れる。
「でも……あの痛みがあったから、『もっと相手をわかりたい』って思えて、心の器が広がったんだよ」
土器が涙をこぼした。
「痛みって……消えるわけじゃないんですね……」
「うん……消えないよ。でも、消えないだけで……いつか『やわらかさ』にもなるんだ」
◆進路が分かれたとき
「つぎっぴーは海外へ、つぼるんは学習センターへ……わたしは家庭へ向かうって決めたとき……」
湯気がひときわ細くなる。
「『置いていかれる』って、こんなにさびしいんだって思った」
マグカップが、ゆっくり尋ねた。
「そのとき……どうやって乗り越えたんですか?」
ゆのみんは、少し微笑んだ。
「つぎっぴーがね……『欠けてもつながれば、もっと強くなる!』って笑いながら言ってくれたんだ」
「その瞬間、『寂しさを抱えたまま進む力』がわたしの器のどこかに生まれたんだと思う」
それは、自分でも気づかない成長だった。
◆3人での約束
「『ひとがま』の縁側で三人ならんだ夜……あの夜だけは……わたし、ほんとうに泣きそうだった」
月が三つの器を照らし、未来がそれぞれ違う方向を指していたあの夜。
わたしが『帰ってきてもいい?』と聞くと、
つぼるんは、『もちろんだ。ひとは迷うからこそ、帰る場所が必要なんだ』と言い、
つぎっぴーは、『約束だよ!ぜったい!また帰ってこよう!』と言ってくれた。
ゆのみんの湯気が、胸の奥でふわっと震えた。
「その約束がね……70年近くたった今でも、わたしの中でいちばんあたたかい場所になってるの」
ゆのみんは、湯気をそっと手で覆うようにして言った。
「器の成長って……『大事な人と向き合った瞬間』に広がるものなんだよ」
ひろばの器たちは、静かに目を閉じて聞き入った。
その場の空気が、あの日の縁側と同じ温度になっていた気がした。