「企業は社会の公器」に秘められた深い意味

総論

「企業は社会の公器である」

この言葉を、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。

松下電器(現パナソニック)の創業者・松下幸之助が用いた言葉として知られ、今日でも多くの経営者が座右の銘として挙げています。

ただ、少し立ち止まって考えてみると、「社会の公器」って具体的にどういう意味なのか、疑問に思いませんか?

「社会に貢献する」と言い換えた途端、どこか言葉の重みが薄れてしまう感じがしませんか?

そこで、今回の記事では、「社会の公器」という言葉を丁寧に紐解き、その真意を掘り起こします。


企業はそもそも「器」である

まず、「公器」という言葉を文字通りに読んでみると「公の器」となり、「器」という概念が埋め込まれています。

では、「器」とは何でしょうか。

以前の記事で考察したとおり、「器(うつわ)」とは、何かを受け取り、内部で変換し、外へ産出するシステムです。

コップは水を受け取り、口へ届ける。土鍋は食材を受け取り、料理として産出する。

器とは、単なる入れ物ではなく、何らかの変化が起きる「場所」と言えるでしょう。

企業も同じです。

社会から人・資本・知恵が集まり、内部で様々な相互作用が起こり、新たな価値を社会に返していく。

その意味で、企業は「器」と呼ぶにふさわしい存在です。

実は、この説明に松下幸之助が「社会の公器」に込めた思想の核心が、すでに含まれています。

  • 第一に、企業は社会からの預かりものでできているということ(インプット側面)
  • 第二に、企業が公のために存在し、価値を返していくということ(アウトプット側面)

この二つの側面に関して、具体的に見ていきましょう。


「社会の公器」に込められた二つの意味

「企業は社会の公器」という考え方には、二つの側面があります。

一つは「企業は社会からの預かりものでできている」という所属の認識、もう一つは「だからこそ企業は公のために存在する」という活動の意義です。

この二つはバラバラではなく、前者が後者を自然に導く、原因(インプット)と結果(アウトプット)の関係にあります。

① 企業は社会からの「預かりもの」でできている(インプット側面)

松下は「企業は特定の経営者や株主だけのものではない。その人たちをも含めた社会全体のものだ」と述べています。

つまり、「企業は誰のものか」という問いに対して、「本質的には社会から預かったものだ」と考えていたのです。

もちろん、法律上の所有者は株主や創業者です。

しかし松下は、根本的な観点から、「企業を動かす人・土地・資金・知恵は、もとをたどれば社会から預かり受けたものだ」という考え方を重視しました。


② 企業は「公のため」に存在する(アウトプット側面)

もう一つの意味は、企業がそもそも何のために存在するか、という意義に関わります。

松下は、「公のため」という視点で、以下のように語っています。

「いかなる企業であっても、その仕事を社会が必要とするからなりたっているわけです。(中略)その活動が人びとの役に立ち、社会生活を維持し潤いを持たせ、文化を発展させるものであって、はじめて企業は存在できるのです」

社会にとって必要としないものを作り続ける企業は、いずれ成り立たなくなります。

逆に言えば、社会の必要を満たし続ける企業だけが、生き続けることができます。

なお、松下が生きた時代は日本がまだ物が少なく貧しい時代だったため、「物資を水道の水のようにインフラとして潤沢に届ける」という水道哲学(松下が提唱した、製品を水道水のように安価・大量に届けることで人々の生活を豊かにするという経営理念)が重視されました。

一方、モノがあふれた現代における「社会の必要を満たす」とは、モノの量ではなく、環境問題・格差・孤立・生きがいの喪失といった新たな社会課題に応えることへと変わりつつあります。

ただ、時代が変わっても、「社会の公器」の本質として、社会からの預かりものを、社会の必要のために用いて、価値を返していくことの重要性は変わらないでしょう。


「社会」と「公」は、似て非なる概念

よくある疑問として、「『社会の公器』という言葉に、”社会”と”公”の両方が入っているけど、これって同じ意味じゃないの?」というものが挙げられます。

実は、この二つは似て非なる概念で、この違いを理解することが、「社会の公器」の本質をつかむ上で重要になります。

漢字の成り立ちと英語の語源、双方からたどると、その違いが浮かび上がります。

  • 社会(Society)——「仲間」のつながり

「社」という漢字は、もともと土地の神を祀る祭壇を意味し、そこに人が集まり共同体を形成するところから、「人が集まる場・仲間のつながり」を表すようになりました。

英語のSocietyの語源も同様に、ラテン語のsocietas(仲間・同盟) で、核心はsocius(仲間、友人)にあります。

「社会」とは、共通の目的や価値観で結びついた人々のつながりを指し、そこには温かさと結束があります。

企業で言えば、従業員・顧客・取引先・地域といった関係性の中で育まれた「情緒的なつながりを持つ仲間」に重心があります。

  • 公(Public)——「すべての人」への開放

「公」という漢字は、古代中国において「私」の対義語として生まれました。

「八」(分ける)と「ム」(私)を組み合わせ、「私を分け開く=私的なものを手放す」という意味を語源として持っています。

そこから「公平・公正」という意味に加え、個人の範囲を超えた「共同体やその代表(君主)」を指す言葉へと広がりました。

英語のPublicの語源も同様に、ラテン語のpublicus、さらに遡るとpopulus(人々・民衆)となります。

もともとは「国家・共同体に属する」という意味合いを持ち、そこから「すべての市民に開かれた」という意味へと発展しました。

Publicは境界線を持たず、特定の範囲における仲間かどうかに関係なく、すべての人に開かれた状態を意味します。

したがって、私欲を絶ち、透明性や公平性、誰にでも見えるオープンさを追求することがその本質にあります。


「社会性」と「公共性」の過剰偏重モード

社会性と公共性の二つの概念には、それぞれ「強まりすぎる」「弱まりすぎる」という方向に歪む危険があります。

  • 社会性が強まりすぎるとき——

「仲間との関係性」が優先されると、個を抑制して「社会的な空気」を読む集団に変わっていきます。

その結果、各人の説明責任が失われ、同調圧力の中で個人の意見や創意が消えていくことになります。

  • 社会性が弱まり、個へと向かいすぎるとき——

仲間としてのつながりが希薄になると、企業は人間関係の断絶したバラバラな個の集合体へと変わっていきます。

共通の目的や信頼が失われ、協働よりも各自の利害が優先される、まとまりのない組織になっていきます。

  • 公共性が強まりすぎるとき——

透明性や説明責任への要求が過剰になると、組織は形式的な手続きや紋切り型の対応に終始しがちになります。

「すべての人のことを公平に考慮して、十分に説明できるかどうか」が優先されるあまり、状況に応じた柔軟な判断や、個別の文脈への配慮が失われていきます。

その結果、一人ひとりの人間の顔や想いよりも、形式的な正しさだけが重視されるようになります。

  • 公共性が弱まり、私へと向かいすぎるとき——

透明性や開放性が失われると、企業は閉鎖的になり、意思決定や利益が特定の層だけに集中していきます。

隠し事が増え、癒着や既得権益が生まれ、社会から預かった資源が内部で独占され、主として私利私欲を満たすために活用されていきます。


「社会の公器」が過剰偏重の防波堤になる

「社会」と「公」のどちらか一方だけでは歪みが生まれますが、興味深いのは、この二つが互いの過剰偏重の防波堤になっているということです。

  • 社会性が公共性偏重を防ぐ

社会を意識し、人とのつながりが豊かになると、公平なルールや透明性、説明責任の要求の中にも、一人ひとりの状況や文脈が見えるようになります。

これにより、過度な公共性偏重を防ぎ、紋切り型の説明責任への対応が、人の顔の見える対話や温かみを持った判断へと変わっていきます。

  • 公共性が社会性偏重を防ぐ

公共の意識がしっかりしていると、「みんながそう言っているから」という空気だけで意思決定が進むことへの歯止めになります。

「なぜその決定をしたのか」を包み隠さずに説明できるか、という透明性と説明責任が、仲間内の同調圧力への対抗軸として機能します。

これにより、過度な社会性偏重を防ぎ、内輪の論理ではなく、社会に対して開かれた判断が促されることになります。

概念本質強まりすぎると弱まりすぎると防波堤
社会(Society)仲間のつながり・資源の預かり元集団主義・同調圧力人間関係の断絶・バラバラな個の集合体公共の意識
公(Public)透明性・すべての人への開放過剰な説明責任・紋切り型対応閉鎖性・不透明・特定層への利益集中人間的なつながり


「社会―個人」「公器―私器」の4象限で考える

「社会」と「公」の意味と、それぞれの過剰偏重モードを踏まえて、あらためて4象限で整理してみましょう。

縦軸に「資源の出どころ(経営者個人が所有する or 社会から受け取る)」、横軸に「何のために使うか(私・特定の経営者のために存在する or 公のために存在する)」を置きます。

自組織が、今どの象限にいるかを振り返りながら、それぞれを見ていただければ幸いです。

主語「企業は~」私器(特定の経営者のためだけに動く場)公器(みんなのために動く場)
経営者個人が所有する① 個人の私器③ 個人の公器
社会から預かり受ける② 社会の私器④ 社会の公器


  • ① 個人の私器

創業者や経営者が強い支配権を持ち、その企業を自分の利益や意向のためだけに動かしている状態で、「社会(Society)」の感覚も「公(Public)」の感覚も、どちらも薄い象限です。

企業を動かす人・資本・知恵が社会から預かったものだという認識が乏しく、その活動が誰のためにあるかという問いも、自分自身に向かっています。

利益は企業内部に集中し、従業員や取引先は目的のための「道具」として扱われがちです。

ただ、この状態であっても悪意があるとは限りません。

「自分が一から作り上げた会社だ」という自負は自然なものです。

しかし、その感覚に気づかないままでいれば、企業はいつまでも①の象限にとどまることになります。


  • ② 社会の私器

広く社会から資源(人・資本・信頼)を集めているという認識を持ちがら、その果実を内部だけで独占している状態です。

社会の一員としてのつながりを大事にする姿勢はありますが、「公(Public)」の感覚、すなわち「すべての人に開かれた、透明な活動」が欠けています。

前半で見た「公共性が弱まりすぎるとき」の歪み、すなわち閉鎖性・不透明・特定層への利益集中が生じている可能性があります。

「社会のために」という耳ざわりの良い言葉を掲げながらも、意思決定は一部の権力者に集中し、利益は特定の層にだけ流れる。

社会から預かったという認識を持ちつつも、公への責任を放棄しているがために、②が最も危険な象限として位置づけられます。


  • ③ 個人の公器

創業者や経営者が強いビジョンと影響力を持ちながら、その成果を公のために向けている状態です。

しかし、ここでは「公(Public)」の感覚は備わっている一方で、企業を動かす資源は社会から預かったものだという「社会(Society)」の感覚が薄い状態です。

社会性が弱まりすぎるとき、仲間との共通目的や信頼関係が失われ、まとまりのない組織になるリスクが潜んでいます。

強いビジョンを持つ経営者が、自分の意見ばかりを押し通し、仲間や周囲の声を聞かず、社会からの預かり物であるという謙虚さを失ったとき、③は①へと引き戻されていきます。

④に近づくには、「自分が所有している」という感覚を「社会から預かっている」という認識へと書き換えることが必要です。

その認識があって初めて、経営者は自分の判断を唯一の正解とせず、社会の声に耳を傾け、仲間とともに企業を動かす姿勢へと変わっていきます。


  • ④ 社会の公器

「社会の公器」は、社会から広く資源を預かり(社会性)、それを公のために使い続けている(公共性)状態です。

ここでは「社会(Society)」と「公(Public)」の両方が、互いの過剰偏重を防ぐ防波堤として機能し合います。

仲間とのつながりが透明な意思決定に温かみをもたらし、公への開かれた責任感が内輪の論理への歯止めになります。

ただし、④は一度たどり着けば安心な場所というわけではありません。

社会は常に変化し続けており、放っておけば自然と②や③へと引き寄せられていくことになります。

「社会から預かっているという謙虚さを持っているか」「公のために価値あるものを提供できているか」を常に振り返り、社会から受け取った利益を再び公へと還元するサイクルを意識的に回し続けること――その継続的な営みこそが、「社会の公器」であり続けることの証明と言えます。


まとめ

「社会の公器」とは、社会から預かった資源を、社会のために使い続けるという、終わりなき活動プロセスです。

上記の4象限は、いずれも「完全に悪い組織」の話ではなく、普段良かれと思って取っていた習慣を通じて、気づかぬうちに別の象限へ滑り込むくらいにありふれたものです。

だからこそ、「社会の公器」は、一度たどり着けば終わりの状態ではなく、常に問い直すことで成立する動的なプロセスであるという認識が大切になります。

その際、「社会」と「公」の二つを同時に手放さないことで、初めてその均衡は保たれます。

そして、この均衡を保つためには、特別な制度や仕組みよりも先に、社会における公のための「器」であるという意識を持ち続けることが必要です。

あなたが関わる企業や組織は、今「社会の公器」となりえているでしょうか。

松下幸之助がこの概念を語ったのは、1932年のことでした。

それから約100年が経とうとしている今も、この言葉の意味は多くの企業によって問い直されています。

社会の変化に応じて柔軟に変わり続けること――そのプロセスこそが、器づくりであり、社会の公器であることの証明と言えます。

本記事を通して、あらためて「社会の公器」というあり方に、目を向けてみてはいかがでしょうか。


<参考文献>
『企業は社会の公器 ―これからの社会をつくる企業経営とは―』政策シンクタンクPHP総研(2018年8月発行)


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