「最近の若者はメンタルが弱い」「精神疾患が増えた」「発達障害も不登校も右肩上がりだ」――こうした主張を、よく耳にします。
2026年5月に発表された世界規模の研究(Santomauro et al., 2026)によれば、精神疾患を抱える人の数は、1990年の約6億人から2023年には約12億人となり、約30年間で2倍に増えました(人口増加を考慮しても実質24%増加)。
不安障害やうつ病などの精神疾患は、今や、生活への影響が最も大きい疾病と言われ、特に15〜19歳の若年層で深刻化する状況が示されています。
なお、上記の数字は実際に診断された人数を指しているため、診断には至らないけれど「何となくしんどい」「やる気が出ない」「人間関係が怖い」という状態まで含めると、実態としてはさらに大きな「リスク層」が存在していると考えられます。
メンタル不調の増加の背景については様々な見解があり、診断基準の拡張、社会的な認知の広がり、人口増加、コロナ禍の影響など、複合的な要因が重なっています。
一方、本記事では、その中核的な要因として「社会の要求水準」に焦点を当てて、若者のメンタル不調の問題を考えていきます。
これまでの時代においても、メンタル不調を抱える人は存在していましたが、全人口で見れば、マイノリティ(少数派)の人たちでした。
インターネットがまだ十分に普及していない30年前(1990年代後半)であれば、多くの人が社会の要求水準に適応でき、「リスク層」に入るのは統計的にもごく限られた人たちだったと考えられます。
しかし社会の要求水準が上がり続けた結果、それに適応する基準自体が全体的に押し上げられている状況となっています。
かつては少数派だった「リスク層」が、今や平均的な人にまで広がっている――そう捉えるほうが、メンタル不調が増加する現状に対する的確な理解につながると言えます。
したがって、「最近の若者はメンタルが弱い」と言われがちですが、実際には若者の脳や気質が変わったのではなく、社会が求める水準そのものが変化しているのです。
本記事では、これを「社会的要求の三大高度化」という視点から整理して解説します。
- タスク処理能力の要求基準の上昇―― 学校や社会が求めるインプットとアウトプットの基準が上がった
- 社会的魅力の要求基準の上昇 ―― 外見・コミュ力・才能など、他者から認められるために必要な水準が上がった
- 情報を見極める力(情報リテラシー)の要求基準の上昇―― 正しい情報を自分で選び取るために必要な力(情報リテラシー)の基準が上がった
要因1 タスク処理能力の要求基準の上昇
1990年代後半、いわゆる「ゆとり教育」が段階的に開始された時点と比べると、現在の小学校の教科書は全教科平均で1.5倍以上の厚さになったとも言われます。
さらには、英語やプログラミングといった新しい教科まで加わり、「カリキュラム・オーバーロード(教育内容の過密化)」と呼ばれる状況が起こっています。
注目すべきは、学ぶべき内容が増えているにもかかわらず、授業時間の枠組みはほぼ変わっていない点です。
つまり、情報が複雑化する社会において、短い時間の中で高い密度の情報を処理する必要性が増しているのです。
さらには、カリキュラムの量だけでなく、求められるアウトプットの性質も変わっています。
かつては「受動的に話を聞いて覚える」という単純な学び方が主流でしたが、今では「その場で考えを整理して、グループで話し合い、発表する」という形態が増えています。
これ自体は悪いことではありませんが、一人ひとりのペースが異なる中で、全員に同じスピードでの高いアウトプットを求めると、徐々に適応の格差が生まれていきます。
こうしたペースについていけない子の多くは、「じっくり考えればわかる子」や「自分の言葉にするのに時間がかかる子」です。
しかし、現状の価値基準では、そうした子は「うまく適応できない子」として可視化され、劣っているというレッテルを貼られます。
近年、発達障害の診断数が増えている背景には、診断基準の変化や認知の広まりという要因もありますが、こうした高負荷な環境に適応しにくい子が「見えやすくなった」という側面があるのではないでしょうか。
かつては「平均的な適応力」があれば十分だったものの、今は「より高い処理能力」が求められるようになったという点が、精神疾患のリスク層を広げる第一の要因に当たります。
要因2 社会的魅力の要求基準の上昇
1990年代後半まで、若者が自分の価値を確かめる場は、主にクラスや地域という限られたコミュニティ内でした。
その中で「足が速い」「絵が上手い」「面白いことを言う」といった小さな得意技があるだけで、自分の居場所を感じることができました。
比較の範囲が限られていたからこそ、多くの若者が何らかの形で「自分にも良いところがある」と感じられたのです。
しかし、現代ではその構造が大きく変わっています。
SNSを通じて、全国・世界中の同世代の姿が常に目に入る環境になりました。
しかも流れてくるのは、特に才能のある人、外見が洗練された人、充実した日常を送っているように見える人など、「特別な瞬間」を切り取ったものばかりです。
それが積み重なると、「自分は普通以下だ」「自分はなんてダメなんだ」という感覚が生まれやすくなるのも当然です。
かつては「健康で学校に通っていれば普通」だったものが、今では「コミュ力が高く、見た目も整っていて、趣味も充実している」のが”普通”のように思えてしまう。
その結果、客観的には何も問題がないはずの若者までが、「自分には何もない」という劣等感を抱えやすい状況に陥っています。
学校では高密度なカリキュラムを課されて、帰宅後の自宅ではSNSでの絶え間ない比較にさらされる――こうした状況が日常的に続けば、不登校の子供たちが増えている現状も理解できるのではないでしょうか。
比較対象の拡大に伴い”普通”であることの基準が上がり続ける中で、否応なしに他者と比較せざるを得ない状況に投げ込まれ、自己肯定感の低下を招いていくという点が、精神疾患のリスク層を広げる第二の要因に当たります。
要因3 情報を見極める力(情報リテラシー)の要求基準の上昇
1990年代後半、若者が悩みを抱えたとき、解決策を求めてアクセスする情報源はテレビや雑誌、書籍など限られたメディアが中心でした。
そこでは編集者や専門家によるチェックが入ることが多く、玉石混交ではあるものの、一定の質が担保された情報へのアクセスができるような環境があったと言えます。
これにより、実際に悩みを抱えていたとしても、効果が期待できる専門的な方法(認知行動療法や呼吸法などの実践方法)に、どうにかたどり着くことができました。
しかし、今はネットが発達し、誰でも情報を発信できるようになったため状況が変わりました。
ネット上には良質な情報も存在しますが、情報の総量が膨大になった結果、何が信頼できるのかを見極めることが難しくなっています。
しかも、ネット上のアルゴリズムが拡散しやすいのは、複雑な現実を単純化した「わかりやすいフィクション」です。
「生まれた環境がすべてを決める」「生まれつきの性格は変えられない」といった断定的な主張は、複雑な問題をシンプルに説明してくれるため広まりやすく、直観的にも受け入れられやすい側面があります。
一方で、本当に役立つ専門的な方法は地道な実践を伴うことが多く、短い動画やSNSでは伝わりにくいがために埋もれていってしまいます。
もちろん、困難な状況に直面したとき、「相性が合わないから関係を切る」「自分の性格だから仕方ない」とすぐに結論づけてしまうような対応は、自然な防衛反応であり必要です。
しかし、シンプルな答えばかりに触れてきた結果、それを盲目的に信じ込んで、地道に実践すれば効果が期待できる専門的な方法にたどり着くことが、かえって難しくなっている現状があるのではないでしょうか。
このように質の担保された情報を見極める力(情報リテラシー)が育たないまま、わかりやすい虚偽情報に振り回されて、かえって他者との対立を生じさせてしまう点が、精神疾患のリスク層を広げる第三の要因に当たります。
まとめ
ここまで見てきた「社会的要求の三大高度化」を整理すると以下のとおりです。
| 1990年代後半 | 現在 | |
|---|---|---|
| ① タスク処理能力(情報の複雑化) | 各自のペースで限られた内容をじっくり学ぶ | 膨大な内容を短時間で処理し、即座にアウトプットが求められる |
| ② 社会的魅力(比較対象の拡大) | 身近なコミュニティで認められれば十分 | 外見・才能・コミュ力で全国・世界と常に比較される |
| ③ 情報を見極める力(虚偽情報の拡大) | 質の高い情報に自然にアクセスできた | 膨大な情報の中から自分で良質なものを選び取る必要がある |
社会が求める水準が上がった結果として、かつては少数派だったリスク層が、現代では平均的な人にまでリスクが広がっている状況になっています。
こうした状況において、単に「社会構造のせい」と言うだけでは事態が解決に進みません。
個人としても社会としても、以下のような対処を考えていくことが必要です。
① 速さより、それぞれのペースを大切にする
情報が複雑になり、その対処に速さを求められる時代だからこそ、あえてタイパ・コスパに逆行する形で情報から距離を取って、立ち止まる時間が重要です。
意識的にスマホや通知から距離を置く時間、自然に触れる時間、何も詰め込まない余白など、そうした時間が、自分の考えを整理する土台になります。
これは個人の工夫であると同時に、学校や職場が「早く・たくさん」ではなく「それぞれのペース」を許容できるかどうかという、社会全体の意識としても必要になります。
② 他者と比べるのではなく、「自分は自分」という感覚を育てる
他者との比較ではなく、自分自身のあり方に目を向けることも大切です。
ありのままの自分を大切に受け入れて、自分という存在そのものに価値があるという感覚を持つこと。
そして、外見や才能で優劣をつける価値観から離れ、それぞれの違いをお互いに認め合える関係を育てていくこと。
これは個人の心がけであると同時に、競争より共存を重視する価値観をいかに育んでいくかという社会全体の意識に関わる問題でもあります。
③ 情報を鵜呑みにせず、問い直し、対話する
「本当にそうなのか」と一度立ち止まる習慣が、情報の正当性を見極めるうえでの出発点になります。
そして、そうした態度は、一人で育てるものではなく、信頼できる人との率直な対話の中で育まれます。
答えをすぐに求めるのではなく、一緒にじっくりと対話をしながら考えてくれる人間関係――そうした「社会的なつながり」を豊かにしていくことが必要になります。
精神疾患・発達障害・不登校の増加を「若者が弱くなった」と語るのは、現象の一面しか捉えられていません。
むしろ、社会が求める水準が変わり、かつては少数だったリスク層が今や多数を占めるまでに広がっているという実態を押さえるべきでしょう。
そして、こうした事態において、マジョリティは限界を迎えており、個人の努力のみで解決を図ることは困難な状況になっています。
余白やそれぞれのペースを許容する教育、比較ではなくお互いの自分らしさを大切にする共存の姿勢、そして、知識の正当性を問い直す対話を支える人間関係――。
こうした「社会の器」を広げていくことこそが、若者を取り巻く深刻な現状を改善するために必要ではないでしょうか。
●参考文献
Santomauro, D. F., et al. (2026). Updated trends in the global prevalence and burden of mental disorders, 1990–2023: A systematic analysis for the Global Burden of Disease Study 2023. The Lancet, 407(10543), 2040–2064.
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