私たち研究チームでは、ミクロ的な視点から「人」に焦点を当て、「人としての器」という概念を検討してきました。
以前の記事でも書いたように、今後は、マクロ的な集合の視点へとスコープを広げていき、まずは「組織の器」という概念について深めていこうと考えています。
組織の器とは、多様な個性を持つ人々を受け入れる組織のあり方と定義されますが、その概念はまだまだ掘り下げる余地を残しています。
そこで、今回は、組織風土としての「組織の器」をモデル化して考察していきます。
これによって、個人レベルの「人としての器」と集合レベルの「組織の器」がどのように関連するのかを検討しようと思います。
個人レベルの影響プロセス
組織における個人の行動の起点は、日々の「出来事・経験」です。
ここには、例えば、日々の業務やプロジェクトの遂行、上司や同僚とのやり取りといった日常的な体験が挙げられます。
この「出来事・経験」を通じて、個々の従業員が組織全体の風土をどのように捉えるかという認知(=心理的風土)が形成されます。
言い換えれば、「心理的風土」とは、個人が組織内の価値観や文化をどのように認識するかを指しています。
この心理的風土がポジティブと認識される場合、従業員は組織に対して満足感や充実感を抱き、ネガティブと認識される場合には不安やストレスを感じることになります。
ただし、同じ組織風土の認知であっても、人によって感情的な反応が異なることも想定されます。
例えば、体育会系の競争的な風土がある場合、そこで評価を勝ち得た人にとっては喜びやモチベーションを得られる一方、上手くいかずに敗れた人にとっては喪失感や憤りを抱くことになるでしょう。
また、逆に競争が少なく平等意識の強い風土がある場合、横並びの評価の公平さは人によっては安定感をもたらす一方、刺激を求める人にとっては物足りなさや不信感を引き起こすこともあります。
したがって、組織風土の認知が同一のものであったとしても、それに対する反応は人によって異なります。
また、そもそも当人の組織風土の認知が必ずしも正しいとも限らず、多くの場合では本人のバイアスが生じていることにも注意が必要です。
そのようにして形成された当人の感情的反応は、最終的に「行動・実践」に結びつきます。
この行動・実践には、組織に適合した慣習的行動や、自らの主体的な意志に基づいた志向的行動が想定されます。
これに関して、組織におけるポジティブな感情は慣習的な行動を促進し、逆にネガティブな感情は志向的行動(組織に対する働きかけや本人の離職なども含む)を促進すると考えることができます。
集団レベルの影響プロセス
集団レベルの影響プロセスについて、個人レベルの影響プロセスと同一の枠組みで考えてみようと思います。
組織全体には何らかの「システム・構造」(パターンや慣行)が存在しています。
例えば、人事システムや組織体制、慣行的な仕事の進め方、トップの価値観が反映されたルール・仕組みなどが挙げられます。
これらが組織風土を形成する土台となり、狭義の「総体的風土」として組織が大切にする価値観や行動規範が形成されます。
ここでいう総体的風土とは、実際には目に見えず、集団の心理として構成される架空の概念と言えます(したがって、組織内に存在している明文化された価値観などは、どちらかというと「システム・構造」のパターンに該当します)。
例えば、意思決定は上位層だけで決めずに、オープンにして情報共有を活発にしようというルールがつくられると、組織全体としては「透明性を重視する」という価値観が形成されます。
逆に、意思決定は統一感を測るために上位層だけで決めるというルールがつくられると、組織の価値観として「閉鎖的な情報共有の意識」が生まれます。
そうした価値観が総体的にポジティブと判断される場合は、組織内での満足感や充実感などが共有されていきますが、逆にネガティブと判断される場合には組織内に不安や不信感などが共有されていくことになります。
当然ながら、満足感や充実感が組織全体に広がると、チームの士気が向上し、業務遂行がスムーズになると考えられます。
一方で、不安や不信感が広がると、協力関係が崩れ、パフォーマンスの低下を招く恐れがあります。
そして、集団全体で共有される感情が、組織の「振る舞い」として表出されます。
例えば、オープンに情報共有をするという価値観を持つ組織で、それに対するポジティブな感情が共有されていれば、積極的に情報共有をしようという振る舞いが現れるでしょう。
逆に、情報を統制するという価値観を持つ組織で、それに対するネガティブな感情が共有されていれば、集団の振る舞いには統一感がなく、対立的に分断したものになるかもしれません。
個人と集団の相互作用
個人レベルにおいては、組織に適合した慣習的行動や、自らの主体的な意志に基づいた志向的行動があることを述べました。
個人の行動が一枚岩になっていることはほぼありえないと思いますので、集団レベルでは、慣習的行動と志向的行動が少なからず混在していると想定されます。
上述した例にように、集団の振る舞いに一定の統一感があれば、組織の「システム・構造」は、これまでと同じ枠組みで再生産されます。
しかし、集団の振る舞いに統一感がなく、対立的に分断を引き起こしているとしたら、組織の「システム・構造」は形態転換を余儀なくされるでしょう。
したがって、組織の「システム・構造」の形態転換には、少なからず集団的な振る舞いの対立が必要であり、そこで臨界点を迎えたとき、組織の「システム・構造」を変容させていくという意思決定が求められることになります。
そのようにしてつくられた新たな「システム・構造」が個人レベルの認知・感情・行動に結びつきます。
このときフィードバックのプロセスが進み、組織のあり方に適合させるように個人を抑制することもあれば、逆に個人のあり方とうまくかみ合わさって促進・成長させることもあります。
したがって、「抑制/促進」というプロセスは、個人レベルと集団レベルを結びつける鍵となります。
促進は基本的にはポジティブな反応を引き起こし、組織風土に適合する慣習的な方向に結びつき、組織風土の純度を高めることになります。
一方で、抑制は基本的にはネガティブな反応を引き起こし、個人にとって自身の人としての器の限界を認識させる作用があると考えられます。
このとき、個人にとってはARCTモデル(器の成長プロセスモデル)にしたがって、自身の器を成長させていく契機とできるかどうかが問われます。
そして、個人が志向的な行動をとったとき、今度は、集団として「組織の器」を広げることが試されます。
例えば、従業員が離職するとなったときに、集団にとっては「組織の器」の限界を認識して、「システム・構造」を変容することが求められます。
つまり、組織に蔓延するネガティブな反応は蓋をして解消するべき問題ではなく、むしろ器の成長にとって重要なチャンスと言えます。
しかし、このとき問題になるのは、組織が個人に対して抑制的に関わることによって、個人が過度に我慢を強いられて、本人もそれを器を広げる契機にできないというケースです。
これは顕在化していない潜在的な病に目を向けずに、慢性疾患を放置している状態と言い表すことができます。
個人の器も広がらず、その集合である「組織の器」でも多様な個人を包もうとできず、結果、個人も組織も苦しんでいる状況が、多くの企業の中で閉塞感となって現れてはいないでしょうか。
まとめ
今回は、組織風土としての「組織の器」モデルを通じて、個人と集団がどのように相互作用し、組織風土を形成していくのかについて考察しました。
この一連のプロセスを理解することで、現在の組織において、何が問題となっていて、これからどのように変えていくべきかを議論する手がかりをつかめるのではないかと思います。
重要なのは、個人の「人としての器」を広げていくこと、そして、その多様な個人を包み込めるように「組織の器」を広げていき、「システム・構造」の変容に向かっていくことです。
そして、その出発点となるのは、個人にとってのネガティブな感情や行動であり、集団間での振る舞いの対立や分断にあります。
今、ネガティブな状況に陥っている組織こそ、従業員の「人としての器」を育むチャンスにあります。
そうした局面にある皆さんと、「組織の器」を成長させるための第一歩をご一緒できれば幸いです。