第83話「金線がほどける夜」
海沿いの町は、風が強かった。
古い石畳の路地を、潮の匂いが行き交っている。
今夜、つぎっぴーは、『最後の金継ぎ会』を開くために、古い教会の小さなホールへ向かっていた。
若者(マルタの店で働いていた後輩)が、つぎっぴーを包んだ木箱を抱えながら言った。
「……つぎっぴーさん。今日は無理しないでくださいね。本当に、もう……ヒビが限界で……」
木箱の隙間から漏れる金線は、いつもより弱い光を放っていた。
――わかってる。でも、行きたいんだ。もう一度、困っている人たちに会って、僕の生き方を見てもらいたい。ぼくの欠け目を『希望の線』に変えてくれたこの町に対する、最後の恩返しとして。
◆1.教会に灯る『最後の金継ぎの光』
教会の扉を開けると、十数名の人々がつぎっぴーを待っていた。
老人、若者、病気を抱える女性、戦争で心を痛めた男性、家族を亡くした少年……
みんながつぎっぴーを見た途端、顔をゆるめて涙を浮かべた。
「つぎっぴー! つぎっぴーが来てくれたんだ!」
「つぎっぴーの話を、みんな聞きたかったんだよ」
つぎっぴーは木箱の中で、そっと金線をきらりと光らせた。
「えへへ……ぼくもみんなの顔が見たかったんだ」
若者は木箱をそっと置き、布をめくった。
つぎっぴーの体は、ところどころ細かいヒビが増えていた。
しかし金線は――より一層、美しく輝いていた。
◆2.つぎっぴーの『最後の語り』
教会の明かりが灯ると、金線は月光のように反射した。
「みんな……聞いてくれる?」
ひとり、またひとりと頷く。
「ぼくは……欠けてる。ずっと、ずっと。欠けたまま生まれて、欠けたまんま生きてきた」
女性がそっと手を胸に当てた。
「でもね……欠けてるから、誰かの光が入ってきた。ゆのみんのあったかさも、つぼるんの知恵も、陶じいの優しさも……ぼくの欠けたところから、全部、染み込んできた」
涙ぐむ者が増えた。
「だから、ぼくは『弱いままでよかった』んだって思えるよ」
教会の空気がやわらかく震えた。
「欠けてるってことは……誰かの光を受け取る場所があるってこと。みんなの欠け目にも、きっと、これからたくさんの光が入るよ」
教会の中にすすり泣きが広がった。
少年は泣きながら声をあげた。
「つぎっぴー……ずっと一緒にいてよ……!」
つぎっぴーは笑った。
「ぼくは消えないよ。君の中に、ちゃんと金線がのこるから」
◆3.金の線が、ほどけ始める
会が終わる頃、つぎっぴーの光がひときわ強くなった。
「つぎっぴーさん……光が……!」
「だいじょうぶ。これが……ぼくの『焼き上がり』なんだ」
ヒビが、かすかに、『ピシ……ピシ……』と鳴った。
身寄りのない老人は涙をぬぐいながらつぶやいた。
「陶芸家の妻を亡くした時……妻の器も、最後に光ったんだ。……君は、本物の器だよ。たった一つ、唯一無二の、最高の器だよ」
つぎっぴーの金線が、ゆっくりと、ほどけるように広がっていく。
「ぼく……幸せだったなぁ……。欠けたまま生まれて、欠けたまま世界を旅して、欠けたままみんなと繋がって……こんなに光れるなんて、なんて幸せ者なんだろう」
若者は泣き崩れた。
「つぎっぴーさん……ぼく……ぼく……」
「ありがとう。君がいてくれたから、ぼくはこの町まで来れたんだよ」
金線がひときわ強く輝き――
そして、静かに、ほんとうに静かに、光が落ち着いていった。
「……ゆのみん……つぼるん……ありがとう。ぼく……ほんとうに……生きててよかったよ……」
その声は、冬の海辺の風のように優しく消えていった。
つぎっぴーの体はそこで止まり、金線の光だけが、しばらく教会を照らし続けた。
誰も泣き叫ばなかった。
みんな、敬意をもって静かに涙を流した。
つぎっぴーは――笑って逝った。
それが彼らにとって、これ以上なく救いだった。
◆4.海の町に、金線の道ができた夜
その夜、海辺の空には不思議な光が走った。
まるで金継ぎの線のように、いつまでも消えない光だった。
それを見た町の人は後で言ったそうだ。
『つぎっぴーが、天とつながれた夜だった』と。