第96話「器物語・後編」
『湯気のひろば』は、夕方の光に包まれていた。
朝よりも、昼よりも、少し影の長い時間。
ゆのみんは、縁のあたりをそっと撫でながら、深く息を吐いた。
「……続きのお話も、してみようかな」
器たちは静かに丸くなり、その声を待った。
ゆのみんは目を閉じ、自分の湯気が胸の奥からぽわんと立ち上るのを感じた。
◆ただ誰かの役に立ちたかった
「若い頃のわたしはね……とにかく『あったかさ』を届けたくて。誰かのそばにいたくて」
ゆのみんは遠くを見るような目で続ける。
「でも……『役に立ちたい』と思えば思うほど、心のどこかが苦しくなるときがあったんだ」
花柄のお皿が、不安げに尋ねた。
「苦しい……って、どういう感じですか?」
「うーん……『がんばってるのに、がんばり方がわからない』っていう……そんな感じかな」
湯気がふわっと揺れる。
「家庭の食卓に置かれて、お茶を入れられて、使ってもらえて……すごく幸せだったんだよ」
そこまで話しながらも、ゆのみんの声はどこか曇っていた。
「でも……子どもたちが大きくなるにつれてね……わたしはだんだん、テーブルの端っこに追いやられていったの」
◆『いらない』と言われた日
沈黙が落ちる。
ゆのみんは、かすかに縁を震わせた。
「……ある日、ね。母さんが家の片づけをしていた時、わたしを持ち上げて……『これ、もう使わないよね』って言ったの」
その瞬間の痛みが、湯気に滲む。
「その言い方が、わたしには『あなたは必要ない』って聞こえてしまったんだ」
土器が小さな声でつぶやいた。
「それは……つらいですね……」
「うん。あの時は……ほんとうに、心が折れたんだ」
ゆっくり、ゆっくり話す。
「家を出されて……誰の役にも立てなくて……わたし、空っぽになった」
湯気が細く揺れる。
「『あったかさを届ける器なのに、もう誰もわたしを必要としないんだ』ってね……そう思ってしまったの」
◆わたしは『欠けた器』だった
「歩いて、転んで……気づいたら『ひとがま』の前にいたの」
陶じいの声が風に乗るように蘇る。
『お前さん……えらい冷え切っとるの……こっちへおいで』
「陶じいの声を聞いた瞬間……あぁ……『帰ってきた』って思った」
花柄のお皿が尋ねた。
「傷ついたまま、ここに来たんですか?」
「うん……縁に小さな欠けもあって、湯気も全然出なくてね……」
しみじみと続ける。
「『あぁ、わたしも欠けていたんだ』って初めて気づいたの」
◆三人での再会の瞬間
「そしてね……ひとがまの裏庭で、つぼるんとつぎっぴーが立っていたの」
「つぼるんは、少し驚いた顔で、『……ゆのみん? どうしてこんなところに……?』と言ってくれた」
「つぎっぴーは、泣きそうな顔で、『ゆのみん!?欠けてるじゃん!なんで相談してくれなかったの!?』と言ってくれた」
「その声を聞いた瞬間……胸の奥がじわぁって温かくなったの」
少し笑って続けた。
「二人は……わたしの欠けたところを見て、『だめになった』とは思わなかったんだよ」
ゆっくりと湯気が広がる。
「つぼるんは、欠けたからこそ、『帰ってきたんだな』って……そう言って包んでくれた」
「つぎっぴーは、『欠けた器ほど、光を通すんだ。欠けたらさ! またつなげばいいんだよ!』って、涙をこぼしながら笑ってくれた」
「二人とも……いつまでも昔から変わらなかった」
ひろばの器たちは、その瞬間の情景が見えるかのように息を飲んだ。
◆迎えられた瞬間
ゆのみんの湯気が、静かに、しかし大きくふくらむ。
「欠けて、失って、空っぽになって……全部終わったと思ったのに」
「この場で迎えに来てくれた二人がいて……手を伸ばしてくれた陶じいがいて……その瞬間にね、わたしの器が、今までにないくらい大きく広がったんだ」
ゆのみんの声は、震えているのに、不思議と澄んでいた。
「器の成長って……誰かに『あたたかくしてもらうこと』があって、起きるものなんだって。そう思えたんだよ」
ひろばの空気が、しんと静まり返る。
ゆのみんは、湯気を手で包むようにしながら言った。
「――だから、あの日あたためてもらった分を、このひとがまで、みんなに返していきたいんだ」
その声は、優しくて、深くて、力強くて、そして、美しく、ひとがまに響いていた。