「人としての器」を磨くことは、健やかさ・つながり・成果創出という三つの価値を生み出します(こちらの記事を参照)。
一方、器が機能不全に陥ったとき、この三つの次元は対立と破壊の構造へと転化します。
健やかさの欠如は「安全保障の懸念」を生み、つながりの消失は「コミュニケーションの断絶」をもたらし、成果不足は「資源の奪い合い」へと変貌します。
この構造は、組織内の人間関係における対立から、国家間の争いに至るまで共通しています。
こうした構造の背景には防衛反応が隠れていますが、重要なのは、機能不全を助長する防衛反応そのものは「悪」ではないという点です。
脅威が現実に存在するとき、自分を守ろうとするのは自然な反応です。
問題は、防衛反応「だけ」で対処し続けてしまうと、負のスパイラルが自己強化的に加速していくことにあります。
防衛力を備えることには一定の合理性がありますが、そうした対応のみに頼ると相手もまた防衛力を蓄えるという応酬を生み、いつまでたっても協力関係には至りません。
真に問われるのは、適切に自分を守りながらも、いかに相手に対して心を開き、率直な対話を行い、ともに成果を創出する関係を構築していくかにあります。
対立を生む三つの構造
以下、対立を生む三つの構造の詳細について、安全保障の懸念、コミュニケーションの断絶、資源の奪い合いの順に説明します。
ただし、三つの構造は直線的ではなく循環的に絡み合い、互いに強化し合っているため、その相互関係について最後に補足します。
●第一の構造:安全保障の懸念(主観:過剰な自己防衛)
生命の安全が脅かされると、「この先どうなるのだろう」という不安や、「やられる前にやらねば」という恐怖心が芽生え、それが対立を駆動させる原動力になります。
それに伴って自分を守ろうとする自己中心的な行動は、仮に他者を攻撃する意図がなかったとしても、相手から見ると攻撃的に見えることがあります。
すると、接している相手も防衛行動をとるようになり、それがまた自分には攻撃のように見えます。
このようにして、お互いに対立を望んでいないのに、次第に緊張関係が高まって、気づけば衝突へ向かってしまうのが「安全保障のジレンマ」です。
脅威が現実に存在する場面で、安全保障の懸念を解消するために力を蓄えることは、合理的な防衛反応です。
ただし、問題は、それが唯一の生存戦略になったとき、双方の防衛行動が際限なくエスカレートしていく点にあります。
つまり、防衛は物理的な安全を確保するための必要条件ではありますが、主観的な安心を獲得するうえでの十分条件にはなり得ません。
このとき、自己の内面に目を向けて器を広げられれば、不安や恐怖に飲み込まれず、脅威を冷静に対処することができるようになります。
●第二の構造:コミュニケーションの断絶(間主観:人間関係の行き詰まり)
対立がエスカレートする分岐点は、相手の行動を「好意的に解釈する能力」が失われることにあります。
メッセージの内容そのものではなく、裏の意図を読もうとして「あの人はパフォーマンスとして言っているだけ」「あの人が言うことは信用できない」と発信者をラベリングして解釈するフェーズに入ると、本音での対話は事実上困難になります。
もちろん、どんなに努力をしても話が通じない相手は、現実に存在します。
しかし、往々にして「この相手には対話が通じない」というラベリングは、防衛反応によって実態以上に強化されることに注意が必要です。
したがって、対話が本当に不可能なのか、それとも自分の防衛フィルターが可能性を遮断しているのかを慎重に見極めながら、異なる価値観の相手とも対話を継続しようとする姿勢が器の広さに関わります。
●第三の構造:資源の奪い合い(客観:目先の利益の囲い込み)
生活を営むために必要な資源(リソース)が少なくなってくると、限られた資源を分け合う他者の存在は構造的に「脅威」になります。
歴史的に見ても、私たちは、国家において石油や領土を、組織において予算・人員・評価(報酬)の奪い合いを繰り返してきました。
一方、戦後のヨーロッパのように、かつて奪い合いの対象だった石炭と鉄鋼を共同のものとすることで、「共に創る」構造へと転換することも可能です。
資源が有限であるという現実は変わらなくても、それをどう分配し、いかに協働して新たな価値を生み出すかという枠組みを変えることで、ゼロサム(総量が一定の下での優勝劣敗の枠組み)の構造を超えられる可能性があります。
したがって、器の大きさとは、性急な資源の奪い合いに走らずに、どうすれば新たな資源を生み出せるかを共に知恵を絞って考え抜く姿勢にあります。
●三つの構造の循環関係:負のスパイラルはなぜ止まらないのか
三つの構造は独立して存在するのではなく、循環的に絡み合い、相互に強化し合っています。
安全保障の懸念が高まると、相手の言動を脅威として解釈するようになり、コミュニケーションを断絶させることにつながります。
コミュニケーションの断絶が強化されると、協働による価値創造ができなくなり、限られた成果の奪い合いが始まります。
そして資源の奪い合いが激しくなれば、「生活のための資源が枯渇するかもしれない」という不安がさらに高まり、安全保障の懸念へと還元されます。
この循環は、一度回り始めると自己強化的に加速します。
各段階では「やむを得ない対応をしている」と感じているかもしれませんが、全体としては、誰も望んでいない争いや崩壊へと着実に向かっていきます。
逆に言えば、どこか一箇所でも流れを止められれば、負のスパイラル全体を緩和できます。
最も取り組みやすいレバレッジポイント(介入の要所)は心理面である安全保障の懸念(防衛反応の低減)ですが、根本的には三つの構造すべてに目を向けて介入することが重要です。
ここまで全体像を踏まえて、以下では具体例として「国家の事例」と「職場の事例」を見ていきましょう。
国家の事例:第二次大戦で日本はなぜ「開戦」に至ったのか
●第一の構造:安全保障のための防衛線の際限なき拡大
第二次世界大戦に向かった背景として、日本の軍事的拡大の理由には「防衛」があったことが推察されます。
黒船来航以来、日本にとって最大の恐怖は「清(中国)やインドのように欧米諸国に植民地化されること」でした。
当時、欧米列強によるアジアの植民地化は現実に進行しており、日本の指導層はそこに深刻な脅威を感じていました。
開国から明治維新を経て、西洋の帝国主義的な国際秩序の中に組み込まれた日本は、自国の安全保障のために周辺諸国への影響力を強める方向へとシフトするようになります。
第一次世界大戦後の世界情勢としては、戦争への反省から武力による領土拡大を抑制する「協調外交(軍縮)」の方向性を模索しますが、その提案は日本にとってアジアでの自国の発言力を封じ込めようとするものとして映りました(もちろん、欧米諸国にとって日本のアジア進出が脅威に映っていたため軍縮を提案したという解釈もあるでしょう)。
そこに1930年代の世界恐慌が重なって、欧米諸国は自国の経済を守るために植民地と自国だけで経済を完結させる「ブロック経済」に移行し、そこにアメリカによる日本に対する経済制裁も加わって、日本は石油や鉄などの重要資源が入手できなくなる深刻な懸念を抱えることになります。
その結果、日本は「西洋の植民地支配からアジアを解放する(大東亜共栄圏)」という大義名分を掲げ、1941年の開戦へと駆り立てられていきました(もっとも、これはあくまで当時の日本の宣伝スローガンであり、実態として支配を受けた人々にとっては新たな帝国的支配と映っていたかもしれません)。
振り返れば、当時の日本指導層の論理の中では、大国ロシアの脅威に対抗するための朝鮮半島の支配が安全保障の生命線であり、満州は朝鮮を守るための緩衝地帯であり、中国との全面戦争は満州を守るためであり、最終的な大東亜圏への拡大もまた自給自足の生活を死守するためでした。
このように「防衛」を目的としたはずの行動が、結果として終わりのない戦域拡大の連鎖を正当化していったのです。
●第二の構造:日米交渉の決裂と対話機会の喪失
1931年に発生した満州事変を原因として、1933年に国際連盟からの脱退を通告したことは、日本が国際協調からさらに距離を置く転換点となりました。
国際連盟脱退後も日米間の交渉自体は表面的には続きましたが、根本的な信頼の土台は着実に失われており、1941年の日米交渉の決裂が太平洋戦争に至った直接的な引き金となります。
当時、日米双方が相手の「レッドライン(許容範囲の限界)」を正確に読み取れなくなっていました。
1941年7月末の在米日本資産凍結、および8月初めの対日石油輸出停止措置をめぐっては、その意図については歴史家の間でも解釈が分かれますが、いずれにせよ日本側にとっては「座して死を待つしかない」という存亡の危機として受け取ることになりました。
逆に、日本の南部仏印進駐(1941年7月)は、日本側の論理では「資源確保ルートの防衛」でしたが、アメリカには「東南アジア侵略の前兆」として映りました。
安全保障の懸念が高まった状態では、相手のあらゆる防衛行動が「攻撃」として解読されます。
対話の窓口は形式的には残っていたとしても、相手が発するメッセージの内容を好意的に解釈する余地が失われてしまっている状況でした。
そのうえで、さらに深刻だったのは、日本の内部でのコミュニケーションの断絶でした。
国際協調と対話路線を模索していた浜口雄幸や犬養毅ら時の首相が、相次いで武力行使を主張する強硬派に暗殺され、日本の政治からは対話という選択肢が消失することになります。
開戦が目下に迫る中、外務省の一部は交渉継続を模索していたものの、省内でも意見は割れており、軍部はすでに開戦準備のタイムラインで動いていました。
1941年の御前会議(天皇臨席の下に行われた重要国政の会議)での「外交交渉が成功しなければ開戦」という決定も、「成功」の定義が曖昧なまま、外交と軍事準備が並行して進みました。
軍部の作戦計画が具体的に進めば進むほど「今さら止められない」という慣性が働き、コミュニケーションを断絶したまま、直接的に資源の奪い合いを激化させる方向へと向かいました。
どこかのタイミングで対話により相互理解を深めて利害を調整する道はあったかもしれませんが、そうした機会が失われると、残された手段は「自力で資源を確保する」しかなくなるのです。
●第三の構造:「持たざる国」の焦燥
日本のように資源を持たない国は、何らかの方法で諸外国から資源を調達しなければ生き残れません。
当時、欧米列強が資源供給地を確保している中、日本には石油も鉄鉱石も十分にありませんでした。
満州事変(1931年)が起きた背景には、世界恐慌でブロック経済が進む中、日本にとっては「自前の経済圏を持たなければ干上がる」という認識があったと考えられます。
しかし、「領土」の奪い合いという目に見える固定資源に意識が集中しては、結局、ゼロサムの構造を固定化し続けることになり、やがて戦いに敗れたほうが資源の枯渇に苦しむことになります。
一方で興味深いのは、戦後の日本が「貿易による相互繁栄」の道を歩むことで、領土の拡大なしに資源の問題を解決してきた点です。
もちろん、戦後の国際経済体制や安全保障環境など、戦前とは異なる条件があったことも事実ですが、それでも奪い合いから分け合いへの枠組みの転換が、原理的には可能であることが示唆されます。(ただし、こうした協調路線への発想の転換は、一度過ちを経験した後でないと見出せないものなのかもしれません)
●三つの連鎖が生んだ「不可逆点」
上述のとおり、資源確保の不安にさいなまれ、それが安全保障の懸念を高めて防衛反応を生み、周囲の相手を信用できなくなって対話が困難になり、さらに孤立して資源が枯渇していくという形で負のスパイラルが強化されました。
日本は資源を求めて満州の権益を奪取しましたが、その後「この権益を守らなければ」という新たな課題が生まれ、国際連盟の脱退によってコミュニケーションを断絶し、また日本の資源確保行動はアメリカの警戒を招き、経済制裁という形で資源が枯渇するという脅威が現実化しました。
奪えば奪うほど守るべきものが増え、敵が増え、不安が高まる――。
こうした負のスパイラルはどんどん加速し、最終的に開戦という不可逆点に至ります。
もしかしたら、満州事変の時点では、まだ国際社会との関係修復は可能だったかもしれません。
負のスパイラルを断ち切る可能性は、安全保障の確保(国際協調の維持)、コミュニケーションの結び直し(外交チャネルの存続)、資源分配の構造的再設計(貿易による相互繁栄)のそれぞれに存在していました。
しかし国際連盟脱退(1933年)で外交チャネルが一つ閉じ、満州事変から日中戦争の泥沼化で埋没費用(サンクコスト)が積み上がり、日独伊三国同盟(1940年)でアメリカとの対立軸が固定化され、アメリカからの石油禁輸(経済制裁)でタイムリミットが設定されます。
一つひとつは「その時点での合理的判断」をしていたかもしれませんが、その背後には防衛反応に支配された認知があり、これらが累積することによって徐々に選択肢が消えていってしまうのです。
職場の事例:対立はどのように深まっていくのか
三つの構造は、スケールを変えて私たちの日常の職場にも表れ、自分を守ろうとする行動が、意図せず対立を深めていくことがあります。
●第一段階:「自分を守るために働く」安全保障モード
ある企業で、業績の低迷を受けて新しい社長が就任したとしましょう。
新社長は成果主義を掲げ、「結果を出せない人間は要らない」という方針を示します。
すると、組織全体の空気が変わり、幹部の行動原理が「この会社をどう良くするか」から「自分はどう生き残るか」へとシフトします。
会議で新社長が方針を示したとき、内心では疑問を感じていても誰も異論を唱えることができません。
「ここで逆らえば評価に響くかもしれない」という恐怖が、沈黙を招くのです。
このとき、特に危険なのは、「上には従い、下には強く」という権威主義的な連鎖が生まれることです。
新社長の圧力を受けた部長たちは、上にはいい顔をする一方、部下には確実な成果創出に向けて厳しく当たるようになります。
このようして組織全体が「恐怖による秩序」で動き始めます。
安全保障モードに入った組織では、同僚の行動を「自分の立場を脅かすかもしれない」という警戒心で見始めるようになるのです。
異なる部門を率いるA部長とB部長は、実は同じ不安を抱えていて、お互いに支え合える同士であるにもかかわらず、自分を守ろうとするそれぞれの防衛反応が、静かに対立姿勢を生んでいくことになります。
●第二段階:コミュニケーションが断絶し、本音が消え、ラベルが固定される
安全保障モードが続く中で、A部長とB部長のコミュニケーションの質が根本的に変わっていきます。
A部長が会議で自部門の成果を報告すると、B部長にはそれが「自分との差を際立たせようとしている」ように映ります。
B部長が組織の改善提案をすると、A部長にはそれが「自分のやり方を否定されている」と感じられます。
かつてはお互いに称え合い、建設的に意見交換をしていたのに、いつのまにか「相手の言動が自分の立場を脅かすかどうか」というフィルターを通して解釈されるようになります。
やがてA部長はB部長を「上にばかりいい顔をする人間だ」とラベリングし、B部長はA部長を「変化を拒んで足を引っ張っている奴だ」とラベリングするようになります。
こうなると、善意の情報共有であっても「自分の弱みを探っている」と映ったり、協力の申し出も「手柄を横取りしようとしている」と映ったりします。
この段階では、もはや交わされるメッセージの内容ではなく、発信者のラベルによって解釈が決まるフェーズに入っていきます。
本来、新社長が仲裁者として機能すべきですが、新社長は成果創出以外には関心がなく、また競争的な環境を作り出した当の本人であるため、二人の部長の対立を「切磋琢磨のいい機会」として放置するでしょう。
このようにしてコミュニケーションの断絶が続くと、二つの部門の間で重要な情報の共有がされなくなり、協働プロジェクトも自然と立ち消えになっていきます。
かつては互いの強みを補い合えた二つの部門が、それぞれ単独で成果を出すことを志向するようになります。
現実の企業でも、このようにしてセクショナリズムが生まれているケースが非常に多いのではないでしょうか。
●第三段階:協働の崩壊から資源を奪い合うゼロサムゲームへ
協働が失われた二つの部門では、シナジー(相互作用)が生まれなくなります。
それぞれが単独で成果を追うため、部門ごとの成果は頭打ちになり、会社全体の業績も伸び悩むようになります。
協働して価値を創り出す発想が閉ざされた組織では、「自部門がいかに勝利し、より多くを手にするか」というゼロサムの争いしか残りません。
A部長は会議でB部長の部門の進捗の遅れを「客観的な事実」として報告するようになり、B部長は、A部長の部門で発生したトラブルを新社長に直接伝えます。
双方とも「会社のために善意で正確な情報を上げている」と思い込んでいますが、実質的には相手の評価を下げることで、限られた資源を自部門に引き寄せようと画策しています。
そして、この資源の奪い合いは安全保障の懸念をさらに強化するという形で、負のスパイラルを招きます。
予算や評価をめぐる競争が激しくなるほど、「次は自分が切られるかもしれない」という不安が増幅されていくのです。
A部長もB部長も、会社の未来ではなく自分のポジションの防衛にばかり意識を向けるようになり、安全保障モードはさらに深まっていきます。
●不可逆点:いつの間にか選択肢が消えていく
この事例で恐ろしいのは、明確な「決裂の瞬間」がないまま関係が修復不可能になっていくことです。
次第に、A部長とB部長は必要最低限のメールのやり取りしかしなくなり、廊下ですれ違っても目を合わせなくなります。
表向きのコミュニケーションはあり、淡々と業務が回っているように見えますが、仕事と直接関係のない情報共有は止まり、自発的な協力の提案は出なくなります。
気づけば「この二人は一緒にしないほうがいい」ということが既成事実になり、飲み会の場でも「別の席にした方がいい」という配慮が当然のように行われるようになります。
こうした日々の回避行動の積み重ねによって、いつの間にか関係を結び直す機会が消えていってしまうのです。
振り返れば、起点は新社長の就任による「安全保障の懸念」でした。
それが本音を言えない空気を生み(コミュニケーションの断絶)、協働関係が崩壊したことで成果が個別化し(資源の奪い合い)、最終的に二人の関係は修復不可能に至りました。
皮肉なことに、もし二人が協働を進めることができれば、そもそも業績の伸び悩み自体が創造的に解決されていた可能性もあったでしょう。
しかし、負のスパイラルが次々と回転し続けている今、どこから渦を抜け出せばいいのか、もはや誰にもその出口が見えなくなってしまいます。
一つひとつは「やむを得ない対応」の積み重ねだったかもしれませんが、全体としては望んでいない結末に至ってしまうのです。
おわりに:負のスパイラルにどう向き合うか
負のスパイラルを駆動している根本には防衛反応があります。
未熟な防衛反応は、闘争・逃走・迎合という形で現れ、本質的な問題を放置したまま、その場を切り抜けるために用いられます(こちらの記事をご参照ください)。
もちろん、防衛反応自体は、自分の安全を守るために必要な対処法です。
しかし、その反応がもたらす負の影響と建設的に向き合わなければ、事態はますます悪くなる一方です。
そこで、この負のスパイラルを抜け出すための参考として、以下のよう実践を手がかりにしていただければと思います。
●安全保障の懸念に対して:自分の防衛パターンに気づき、昇華する
まずは「今、自分は過剰に防衛的になっているのではないか」と自問することが大切です。
A部長とB部長が、お互いを敵ではなく協力する味方であり、衝突も創造的な解決に向かうために必要なことかもしれないと認識転換できていれば、その後の展開は変わっていくかもしれません。
防衛パターンに気づくための鍵はメタ認知であり、メタ認知がブレーキ機能を果たすことで、安全保障の懸念に飲み込まれずに冷静に対処できるようになります。
そして、意識や問いの方向を「自分を守る方向」から「自分を育てる方向」へと転換することで、建設的な昇華を導くことができます。
不満を抱いたときこそ、「この経験を通して自分が学べることはないか」という問いに変える。
脅威という経験を、自分の器を広げるためのエネルギーに変換する。
こうした昇華の対応を身につけることによって、安全保障モードに過剰に飲み込まれるのを防ぐことが可能になります。
●コミュニケーションの断絶に対して:たとえわかり合えなくても、向き合い続ける
対話が困難になったとき、往々にして「この相手とはもう話しても無駄だ」と見切りがちです。
しかし、その判断が現実の観察に基づいている正当なものなのか、防衛フィルターによって歪められているのかを、一度立ち止まって問い直すことが必要です。
そもそも人間同士が完全にわかり合うことはできませんし、完全にわかり合う必要もないのです。
相手の言動すべてに納得できなくてもいい。
しかし、それでも、なお、わかろうと向き合うことをやめないことが大切です。
向き合い続けることは、表面的に同意することでも、自分が妥協して相手に合わせることでもありません。
A部長とB部長の関係が不可逆点に向かったのは、決定的な決裂があったからではなく、小さな回避の積み重ねによって「向き合うことをやめる」習慣が定着したからでした。
では、どうすれば向き合い続けることができるのか――そのきっかけを得るための心がけが、ユーモアと感謝です。
批判や攻撃をされても、ユーモアを交えて軽やかに受け止めることができれば、緊張を解いて対話を継続することにつながります。
そのうえで、感謝は、対話の中身に「温もり」を与えてくれます。
この温もりによって、相手を「脅威」ではなく「自分に何かをもたらしてくれる存在」として認識し直すことができ、歪んだラベリングのフィルターも少しずつ外れていくでしょう。
ユーモアと感謝を手がかりに、異なる価値観の相手との間に、わかりあおうとする対話の余地を残し続けることが大切です。
●資源の奪い合いに対して:お互いの境界を超えた協働関係をつくる
負のスパイラルの渦中にいるとき、人はどうしても孤立しがちです。
しかし、孤立すればするほど、ますます資源が減少し、追い詰められていきます。
そこで、信頼できる人に話を聞いてもらう、第三者に仲裁を求める、専門家の助けを借りるなどの支援を求めることが必要です。
プライドが邪魔して素直に支援を求められない場合もありますが、支援を求めることは弱さではなく、むしろ負のスパイラルを断ち切るための強さであるという認識が重要です。
ただし、ここで注意したいのは、単に支援を求めたり与えたりするギブアンドテイクの関係を目指さないことです。
「利他性」と呼ばれるように、「相手を助けることが自分を助けることである」という、互いの境界が溶け合うような協働の関係を目指す必要があります。
A部長とB部長が「限られた予算をどう奪い合うか」ではなく「二つの部門が協働すれば何が生み出せるか」という問いを共有できたなら、どちらかの成功が両者の共有の成功のように感じられていたかもしれません。
資源の奪い合いを超えて、助け合い協働して「共に創る」関係ができれば、ゼロサムの構造そのものを変えられる可能性があります。
対立を生む三つの構造(安全保障の懸念・コミュニケーションの断絶・資源の奪い合い)は、器の成長がもたらす三つの価値(健やかさ・つながり・成果創出)の裏返しです。
器を育てることは、私たちを取り巻く脅威を正当に認識し、適切に自分を守りながら、異なる価値観の相手と対話し、協働し、ともに成果を創出する姿勢を養うことと言えます。
三つの構造を知り、防衛反応を適切に昇華させ、どのような相手であっても対話を続け、協働によって共に創ることを選ぶ――その実践の積み重ねこそが、負のスパイラルを正のスパイラルへと回復させ、自分らしい豊かな器を育てるための道となっていくのです。
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