第85話「湯気のひろば、灯りはじめる」
つぎっぴーの訃報から、三日が経った。
ひとがまの空気は、まだ少し重かった。
火鉢の火だけが、静かに揺れていた。
ゆのみんは、金継ぎノートを膝の上に置き、その最後のページを何度も撫でた。
――
『金線は、これからも君たちに続いていく』
――
その言葉が、ゆのみんの湯気の奥に、あたたかい微かな灯りをともしていた。
◆1.『わたし、やってみたいことがあるの』
つぼるんは書庫で資料を整理していたが、ゆのみんの呼吸に気づいて縁側に来た。
「ゆのみん……大丈夫かい」
「うん……ねぇ、つぼるん……わたしね……前にも言ったけど、やってみたいことがあるの」
「……ほう?」
ゆのみんは、庭の向こうの空き倉庫を指さした。
小さな木造の倉庫がある場所。陶じいが昔、粘土を乾かしていた古い場所。
「この倉庫と、その横の空き地を……ね……、『湯気のひろば』にしたいの」
つぼるんは目を細めながら、大きく頷いた。
「お茶を飲みながら話せる場所。器を磨きながら、日々のことを誰かと言える場所。あったかい湯気がただ漂っているだけで心がゆるむような……そんな場所」
つぼるんは静かに座り、ゆのみんの湯気の揺れをじっと見た。
ゆのみんは、胸の奥にある『つぎっぴーの光』を感じながら続けた。
「つぎっぴー……言ってたよね。『弱さは、誰かを招き入れる場所だ』って」
湯気が、そっと震えた。
「わたし……もう一度、『誰かの弱さを受けとめる人』になりたいんだよ」
つぼるんは、深く、ゆっくり頷いた。
「……つぎっぴーが聞いたら、きっと泣いて喜ぶだろうね」
◆2.老いた体での大仕事
その日から、ゆのみんはぽてぽて歩きながら倉庫を掃除し始めた。
古い木の床には長年の埃が積もり、蜘蛛の巣が天井から糸のように垂れていた。
「ふぅ……昔はもっと軽かったのになぁ……」
湯気がすぐに薄くなってしまう。
休みながら、また歩く。
そこへ外から声がした。
「ゆのみんさん、なにしてるの?」
「えへへ……ここを『湯気のひろば』にしたいんです」
老夫婦は顔を見合わせ、優しい笑みを浮かべた。
「それなら手伝うよ。あなたの湯気、好きだから」
「えっ……ほんとに?」
「もちろん。つぎっぴーくんの話も聞いたよ。あの子の分まで、私たちも動こうじゃないか」
ゆのみんの湯気が、嬉しさで大きく膨らんだ。
◆3.ゆっくり、しかし確かに立ち上がる場所
数日後。
老夫婦に手伝ってもらい、倉庫の中はずいぶん片付いた。
棚が磨かれ、古いテーブルが置かれ、小さな急須がいくつか並んだ。
湯気がそっと立ち上り始めた。
つぼるんが訪れ、机の上の湯飲みを一つ眺めた。
「ここには……あなたのぬくもりが満ちるね」
ゆのみんは照れたように笑った。
「わたしね、つぎっぴーに『ありがとう』を届けたいんだ。ここで、たくさんの人が笑ってくれたら……つぎっぴーの金線が、きっと遠くまで届くでしょ?」
「……その通りだ」
ゆのみんは、ふと外を見た。
風が吹き、空の雲が金色に照らされていく。
つぎっぴーが旅立った海も、きっと同じ色をしている気がした。
「つぎっぴー……あなたの光、ここで続けるからね」
湯気が天井へ、まっすぐ、まっすぐ昇っていった。
まるでその湯気自体が、つぎっぴーへの手紙のようだった。