【イベントレポート】オットー・ラスキー著『「人の器」を測るとはどういうことか』(JMAM)出版記念イベント 第1回ゲスト:中土井 僚氏

イベント

『「人の器」を測るとはどういうことか:成人発達理論における実践的測定手法』(JMAM:日本能率協会マネジメントセンター)の出版を記念して、著者のオットー・ラスキーと関わりのある実践者・研究者をゲストに迎えた対談イベントを二回にわたり開催しました。

第1回(2024年4月4日開催)は、監訳者として今回の出版に関わった中土井 僚氏をゲストにお迎えしました。中土井氏は、過去に発達心理学者ロバート・キーガンの著書の邦訳出版に監訳者として関わるなど、成人発達理論に高い関心を寄せて、その実践の可能性を探求されています。

当日は、一般社団法人Integral Vision & Practice代表理事の鈴木 規夫氏、慶應義塾大学にて「人としての器」の研究に取り組んでこられた高橋 香氏が対談相手を務めました。

中土井氏が本書を監訳するに至った背景、成人発達理論を実践に生かしていくうえでの想いや問題意識についてお話いただいた内容をレポートします。


本イベントの登壇者

<第1回ゲスト>
中土井
オーセンティックワークス株式会社 代表取締役

リーダーシッププロデューサー、組織変革ファシリテーター。「自分らしさとリーダーシップの統合と共創造(コ・クリエーション)の実現」をテーマに、マインドセット変革に主眼を置いたリーダーシップ開発及び組織開発支援を行う。
コーチング、グループファシリテーション、ワークショップリードなどの個人・チーム・組織の変容の手法を組み合わせ、経営者の意思決定支援、経営チームの一枚岩化、理念浸透、部門間対立の解消、新規事業の立上げなど人と組織にまつわる多種多様なテーマを手掛ける。
アンダーセンコンサルティング(現:アクセンチュア)とその他2社を経て独立。2005年よりマサチューセッツ工科大学上級講師であるオットー・シャーマー博士の提唱するU理論における啓蒙と実績に携わり、現在に至る。

<聴き手>
鈴木 規夫 Ph.D.
一般社団法人Integral Vision & Practice代表理事

California Institute of Integral Studiesで「個人・組織・社会の可能性を解き明かすための統合理論」としてインテグラル理論に関する研究に取り組んだ。
帰国後は、インテグラル理論の普及に従事する傍ら、人事コンサルタントとして企業組織の経営者育成を中心とした人事関連プログラムの設計と統括に従事している。
成人発達理論に関しては、発達心理学者のSusanne Cook-GreuterやTheo Dawson等に師事し発達段階測定と発達志向型支援に関する訓練を積むと共にこれまで約20年にわたり実務領域におけるこの理論の応用と実践に取り組んでいる。

高橋 香
一般社団法人WII 代表理事

大学卒業後、埼玉県にて高等学校教員を務める。教員勤務の傍ら、中小企業診断士試験合格、税理士試験合格、高千穂大学大学院経営学研究科にて経営学修士号MBA取得の後、独立し、有限会社L&M研究所設立。
経営コンサルタント、研修講師、ヒューマンアセスメントアセッサーとして活動。
その後、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修士課程にて人としての器に関する論文を執筆。
現在は上記活動に加え、「人としての器」研究チームに所属し、「人としての器」研究を進めるほか、日本工業大学専門職大学院客員教授、産業能率大学総合研究所兼任講師、一般社団法人WII代表理事として活動中。

※本イベントの開催概要はこちらのページをご覧ください。

「人の器」を測るとはどういうことか|オットー・ラスキー著『「人の器」を測るとはどういうことか』(JMAM)出版記念イベント
発達心理学者のオットー・ラスキーの著書「Measuring Hidden Dimensions: The Art and Science of Fully Engaging Adu... powered by Peatix : More t...


本書の出版経緯と「器」というタイトルについて

鈴木:

はじめに中土井さんがこの本に関わった経緯と本書の魅力についてご紹介いただけますでしょうか?

中土井:

たまたまご縁があって、監訳という立場にならせていただいたのが正直なところです。もともとオットー・ラスキー博士に学ばれていたのが翻訳者の加藤洋平さんで、彼はこの書籍を翻訳したものをご自身のサイトで販売していました。そして昨年、私がラスキー博士の講座に参加した際に、ラスキー博士から日本の出版社を紹介してもらえないかと相談され、以前から縁のあったJMAMにつないで、今回の出版に至ったというのが経緯です。私が監訳者として適任だったかはわかりませんが、この書籍の内容にはとても刺激を受けており、監訳をさせていただいたことは非常に光栄だと思いました。本書では、成人発達の段階理論であるロバート・キーガンの社会的感情的(ソーシャル・エモーショナル)領域に関して、どの段階の人がどういう振る舞いや傾向があるのかということを詳細に書かれていて、具体的なイメージを持って理解できる内容となっています。日本で成人発達理論に関する土壌が整ってきた今のタイミングだからこそ、より詳しい理解を得るための一冊であると思います。

鈴木:

これまで日本では、成人発達理論の領域ではキーガンの本を中心に広く読まれてきましたが、そういう意味では今回の本はキーガンと地続きのところにあり、読者にとっても読みやすいかもしれないですね。キーガンとラスキーのソーシャル・エモーショナルの領域の説明は、全く同じなのか、あるいは違うところもあるのかについても解説をお願いできますでしょうか?

中土井:

ラスキー博士のモデルの枠組みは、キーガンのものを踏襲しているものの、発達段階の一つひとつに関しては、より詳細に記述しているように見えます。また、ラスキー博士は、プロセス・コンサルテーションというエドガー・シャインの理論と組み合わせながら、実践的な観点での厚みを持たせているように思います。

鈴木:

キーガンのモデルを勉強された方からは、本を読むと納得感はあるんだけれども、実務では使いにくいと言われることがあります。キーガンのモデルは世界地図のようなもので全体像を知るうえでは効果的ですが、隣町のレストランに行くときには世界地図は役に立たないので、実務向きではないと感じるところもありました。今回のラスキーのモデルが、地上の近いところに落としたもので、実際の現場で使えるところまで具体化しようという意気込みを持った本なのかなと、中土井さんのお話を聞きながら思いました。

高橋:

中土井さんが本書を翻訳される際に、”Measuring Hidden Dimensions” を、なぜ「器を測る」と訳されたのか、その意味合いについてお伺いできますでしょうか?

中土井:

「人の器を測るとはどういうことか」というタイトルは物議を醸すだろうなと思い、正直、マーケティング的に狙ったところもあります(笑)。とはいえ、単にそれだけではありません。当初はタイトルづけに悩みました。加藤洋平さんが元々翻訳していた際は、直訳に近い「心の隠された領域の測定」というタイトルで訳されていました。私は、この「心」という言葉がソーシャル・エモーショナルの領域として適切な訳語なのか悩み、また「意識」と訳しても、どこか曖昧さが残ると感じていました。ラスキー博士が迫ろうとしたものを想像すると、彼は人間の見えない部分も含めた全体を捉えようとしており、人の内面の動きがどのように社会に影響を与えているかを踏まえながら、何かしら未来に残していきたいものがおありなのだろうなと感じられました。当然、「人の器」という言葉が訳語として完全に合致するわけではありませんが、私たち日本人が他者と関わり合う中で相手の良い部分や悪い部分を見ながら「人の器」を勝手に測っていることを考えたときに、この「人の器を測るとはどういうことか」という問いを投げかけたかったということが背景にあります。

高橋:

現代社会において、リーダーシップの発揮を期待されている立場の人には、その器の大きさが必要されているものの、なかなかうまくフィットしてないという現状があると思います。そうしたとき、本人はもちろん苦しんでいますし、そこに関わる周囲の人たちも苦しんでいます。私は、そうした問題意識を持って「器」というキーワードで研究を始めたのですが、どこか共感できる問題意識がラスキーさんにあったのではないかと感じました。


「人の器を測る」ことの意義とは何か?

高橋:

発達段階が上がっていったり、器が大きくなっていったりしても、個人の幸せにつながるとは限らない、もっと言えば、発達段階が上がっていくと、より苦しみ悲しみが増えていくこともあるという記述が本書にありました。それでは、何のために器を大きくするのか、何のために発達していくのかという問いが生まれますが、中土井さんはどのように思われますか?

鈴木:

付け加えて聞きたいのは、パフォーマンスが上がるのかどうかという問題もあります。発達段階は万能薬で、段階が上がれば上がるほどパフォーマンスに結びついたり金儲けが上手になったりするという都市伝説もありますが、この点について中土井さんのご見解をお伺いしたいです。

中土井:

パフォーマンスの定義次第かもしれませんが、例えば、発達段階と走る速さにあまり相関がないのと同じで、特定の職務や職種におけるパフォーマンスと発達段階との間には、相関があるとは言い切れないケースが多々あると思います。ただ、一つ思うのは、私自身はオットー・シャーマーのU理論の探求から成人発達理論にたどり着いてるのですが、U理論では反Uという破綻のシステムを動かしてしまう通常のUと逆向きのプロセスが存在します。それは簡単に言うと、闘争・逃走反応によって思い込みを強め、結果としてシステムの破綻を加速するプロセスを指します。内面での囚われのない状態や深く物事を洞察する力によって、通常のUプロセスに進みやすくするということを考えると、発達段階が上がることで、少なくとも反Uのプロセスを回避し、破綻を防げる可能性が高まるのではないかと考えています。

鈴木:

発達段階が上がってくると、囚われから解放されやすく、闘争・逃走の自動反応から距離を置けるということですね。

中土井:

そうですね。私は、「器が大きい」ことに関してはイメージが難しい一方で、「器が小さい」ことは具体的に捉えやすいように感じています。人間関係の中で闘争・逃走の自動反応に埋め込まれると、例えば、上司・部下の不仲だったり、部署同士の対立だったり、あるいは夫婦喧嘩などがどんどん加速していく状況に陥ります。そのとき、自分を動かしている主体から距離を置けるようになれば、少なくとも暴走列車状態を止めることができます。もちろん、それが良い夫婦関係を約束するとは限らないのですが、少なくとも暴走列車状態で夫婦喧嘩をしなくて済むようになるというふうに考えています。

鈴木:

マイクロマネジメントも同じ構造で、単なるスキルの問題ではなく、より深い心理に根差した自動反応として表出していますよね。そうした問題を解きほぐすヒントが発達理論には多々含まれているように感じられます。

中土井:

発達が本当に幸せにつながるのかという問題に関しては、非常に多くの変数があるため、断言は難しいのですが、先ほどと同様で、破綻のパターンを加速させないことが重要だと思います。例えば、生簀に魚がたくさんいるときは、とにかく糸垂らしていればどんどん魚も釣れますが、当然、いつかは限界を迎え、生簀の魚を取り尽くしてしまうことになります。そうなったとき、釣人同士では不毛な争いが生じることになるかもしれません。この現象は共有地の悲劇とも言われますが、現代の環境問題や気候変動も同様の構造があり、結果的に、資源の枯渇によって争いが引き起こされ、やがてシステムの破綻を招くことになるのです。したがって、持続可能な幸福を実現したいのなら、人間がその闘争・逃走の自動反応から距離が置けるようになることが最低限必要な条件であるように思います。だから、自分たちの首を締め合う状況を防ぐためにも、人の器について真剣に向き合うことに意義があると考えます。


中土井氏からのメッセージ

――本書は発売から三週間で重版になったとお聞きしました。「人の器を測る」ということが、これだけ注目を集めている中で、最後に中土井さんからメッセージをいただけますでしょうか?

中土井:

本書が高い関心を集めている背景には、人々が他人をコントロールしたいという欲求が関係しているようにも思います。人は様々なものをコントロールしたいと願っていますが、他人は最もアンコントローラブルなものの一つです。それにもかかわらず、このコントロールの欲求を持つがゆえに、人同士で対立を深めて、場合によってはそれが戦争を引き起こすことにも通じていると考えられます。そして、器を測るということも、その欲求を刺激するニーズと結びつきやすく、また成人発達理論も、そうした欲求に絡め取られてしまうリスクがあります。理想としてはこのリスクを避けたいところですが、それが人間の根本的な欲求に基づいていて、なかなか避けがたいのだとしたら、重要なのは本質的な問いを提起して、物議を醸し続けることではないかと思います。

私は、これから残りの人生をかけて取り組みたいことに関する想いを、「全ての命が大切にされる社会の創造」という言葉で表現しています。現在の巨大な社会システムの中で、否応なしに命を奪われている人々や生物に対しては、理屈抜きで心を痛めるところがあります。この問題に対して、自分が未来に何ができるかを模索する旅路の中で出会ったのが成人発達理論であり、今回の「人の器」の本でした。今日、こうしてお話を聴いてくださった方々が、単に人をコントロールするための都合の良い道具として本書に飛びつくのではなく、深い問いに応える旅の始まりとして、共に本書の内容と向き合っていただけたら嬉しく思います。



第2回ゲスト:羽生琢哉氏のイベントレポートはこちらから。

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