「最近、職場に余裕がない」――そんな声を耳にすることが増えていませんか。
目の前の業務に追われるうち、いつの間にか現場も管理職も活力を失い、本来大切にしたいはずの関係構築や対話の機会が後回しになってしまう。
こうした状態が長く続くと、経営資源をいかに最適化して分配するかに意識が向かい、優先順位付けによる組織内の分断が強化され、支援も評価も届かない「空白地帯」が広がりはじめます。
そもそも、なぜ組織にはこのような空白地帯が生まれ、そして、そこに目を向けないままでいると、どのような弊害が起こりうるのでしょうか。
本記事では、キャリア支援の空白地帯という視点から、組織に余裕がなくなる構造と、その背景にある「組織の器」について考えます。
働くすべての人にとって居場所があり、安心して挑戦できる余白をどう作っていくか――そのヒントを探っていければと思います。
組織から余裕が消えるメカニズム
組織には、支援や評価が手薄になる「空白地帯」が存在しがちです。
この空白地帯には、実は二重の構造があります。
一つ目は、物理的な空白地帯(=無人地帯)です。これは「担当者がいない」「リソースが足りない」といった物理的な人員・資源の不足によるものです。
二つ目は、心理的な空白地帯です。これは一つ目の物理的な空白を主たる原因としますが、たとえ担当者やリソースが存在していても、意識的な配慮が行き届かなければ、対象者から「誰からも気にかけてもらえない」と感じさせてしまいます。ここでは、そうした組織の器の限界を含むものとして捉えていきます。
ハイパフォーマーや積極的に手を挙げる人ばかりが評価・支援される一方で、日々懸命に業務を遂行する中堅層や、なんとか変化に適応しようと葛藤するメンバーには手が差し伸べられにくい――そんな構図が組織に根付いてはいないでしょうか。
このように分断が生じて、組織から余裕が消えていく背景には、以下のような構造的要因が想定されます。
- 短期成果主義と現場の多忙化
現場は常に多忙で、短期的な成果や数字に追われがちです。
その結果、管理職自身の「器」を育む意識がおろそかになってしまいます。
- 対話・関係性の希薄化、個人主義の広がり
器の小さな管理職のもとでは、メンバー間の関係性が希薄になり、個人主義に陥りやすくなります。
いわゆるAクラス(ハイパフォーマー)は評価される一方で、Bクラス(ポテンシャル層)への支援は不足しがちになります。
- キャリア支援の空白地帯の拡大
自律的に行動し、自ら手を挙げられる意識の高い層は支援の対象となりやすい反面、消極的に見えたり、悩みを抱えたりしている人は支援の対象から取り残されていきます。
- 「常に余裕がない」負のループ
ポテンシャル層に対して人事部門が介入しようとしても、現場が多忙すぎて介入の糸口が見つからず、現場でも忙しさから自発的な対話が発生しません。
このような状況が、ますます空白地帯を広げていく一端となり、負のループに入り込みます。
- 組織の分断による「組織の器」の硬直化
こうした状態が長期化すると、組織の分断は深刻化し、多様な価値観による相互作用やダイナミズム、協働の機会が失われていきます。
その結果、各人のモチベーション低下や離職、組織全体の停滞を招き、さらなる「短期成果主義と現場の多忙化」を助長するという悪循環に陥ります。
空白地帯を解消する――組織の器を広げることで生まれる効果
このような悪循環を断ち切る鍵となるのが、「組織の器」という考え方です。
空白地帯を解消し、組織の器を広げる取り組みは、組織に好循環を生み出し、持続的な変革を実現します。
- 中長期的なポテンシャル評価への転換
まず、短期的な成果に過度に偏重せず、中長期的な視点から個人のポテンシャルを評価する姿勢が求められます。
これにより、管理職が率先して自らの器を広げ、一般社員との内省的かつ未来志向の対話を通じて、より深い関係性を構築しようとする動機付けが生まれます。
- 協働の価値観の浸透
ともに助け合い、協働しようとする価値観が浸透することで、ハイパフォーマーも自身の成果だけでなく、謙虚な姿勢で周囲と関わるようになります。
これにより、ポテンシャル層に対しても「器」の成長を支援する意識が行き届き、空白地帯が縮小していきます。
- 心理的余裕の創出
中長期的な視点での人材育成と「誰も取り残さない」という組織風土が形成されることで、ポテンシャル層の底上げにつながり、心理的な余裕が生まれます。
この余裕が、さらなる好循環を生み出し、組織全体の器を広げていく力となります。
これら一連の取り組みは、組織全体の孤立・孤独感を解消し、社員のメンタルヘルスを改善します。
また、関係性の深化は一体感やモチベーションを高め、それによる創造的な対話がイノベーションを促進し、組織の持続的な成長を支える基盤となります。
キャリア支援の空白地帯をつくらないための具体的施策
組織の空白地帯をなくすための具体的な施策は、「①心の健康状態の維持・向上」「②キャリア開発・成長支援」「③組織の活性化・変容」の3つの軸から考えることができます。
また、これらの施策を「STEP1:人事部内の協業段階」を起点とし、「STEP2:人事部門から管理職への展開段階」を経て、そして「STEP3:管理職から一般社員への展開段階」に至るプロセスに沿って進めることで、より効果的に展開できるでしょう。
以下にその具体例を整理します。
①心の健康状態の維持・向上
心の健康の維持・向上は、組織の器を支える土台です。
メンタルヘルス問題を抱えた社員は、往々にして見過ごされがちで、空白地帯に押し込まれます。
そのため、予防的なアプローチと早期発見・早期回復の仕組みによって、誰も取り残さない支援体制をつくることが重要です。
- STEP1:人事部内の協業段階
まず、人事部内で心の健康に関する基盤を整備します。ここでは労務・健康管理部門が中心となり、カウンセリング体制を構築します。これには、EAP(従業員支援プログラム)サービスの活用だけでなく、産業医や保健師との定期的な情報共有体制の構築も含まれます。また各種健康アセスメントを実施・分析し、ストレスチェックの結果などを個人レベルから組織レベルまで多角的に分析することで、メンタルヘルスの兆候を早期に発見します。さらに、セーフティネットとしての休職・復職制度の検討と運用改善にも取り組み、復職時の段階的な業務調整や、復職後のフォローアップを含めた包括的な支援プログラムを設計します。
- STEP2:人事部門から管理職への展開段階
多忙で、時に板挟み状態にもなる管理職自身の心の健康を支える働きかけも重要です。メンタルマネジメントの観点では、ストレス要因の種類や個人差への理解を深め、一人ひとりに合わせたセルフケアの方法や、自身に対しても優しさを持って接する意識づけも含めた支援を提供します。またウェルビーイングの理解浸透においては、単に問題がない状態を目指すのではなく、心身ともに積極的に健康な状態を目指すことへの理解を醸成します。
- STEP3:管理職から一般社員への展開段階
日常的な関わりの中で、心の健康を支え合う文化を育みます。孤独感を解消するために、気持ちの良い挨拶から始め、「最近どうですか?」「何か気になることはありませんか?」といった気軽な声かけを習慣化します。傾聴・受容・承認のスキル向上においては、相手の話を最後まで聞く、感情を否定せずに受け止める、小さな努力や成長を認めるといった基本的なコミュニケーションスキルを全員が身につけることを目指します。また感情的な交流を促し、困ったときに「助けてほしい」と言いやすい雰囲気づくりや、ポジティブ感情や成功体験を共有し合う場を意識的に設けます。これらの取り組みを通じて、現場における信頼関係の構築を促進し、心理的安全性の高い職場環境を構築します。
②キャリア開発・成長支援
キャリア開発は、心の健康状態を基盤としながらも、さらに積極的に一人ひとりの器を広げ、組織全体の器も拡張していくための重要な取り組みです。
特に、空白地帯に置かれがちな中堅層やポテンシャル層に対して、能動的にキャリア支援の機会を提供することで、自律的な成長を促していきます。
- STEP1:人事部内での協業段階
キャリア開発の基盤となる仕組みを人事部内で整備します。まずは人材開発部門と連携し、キャリア開発方針を策定します。ここでは、「すべての社員」を対象とした包括的な支援を行う方針を明確にすることが重要です。教育研修プログラムの体系化においては、階層別研修だけでなく、個人の興味関心や将来の志向に応じた選択型プログラムを充実させ、多様なキャリアパスを支援します。人材データベースの整備と活用では、スキル、経験、志向性、潜在能力などを多面的に把握し、一人ひとりに最適な成長機会を提案できる仕組みを構築します。
- STEP2:人事部門から管理職への展開段階
管理職自身が器を広げることで、部下の成長支援力を高める視点も必要です。360度フィードバックの機会を提供し、上司・同僚・部下といった多角的な視点から、管理職が自身の強みと課題を客観的に把握できるように支援します。管理職自身の器の成長という観点では、管理職が「教える側」から「ともに学ぶ側」へとマインドセットを転換し、部下から学ぶ姿勢や、失敗を成長の機会として捉える心がけを育むことも重要です。これにより、管理職が部下の多様な価値観を受け入れ、一人ひとりの可能性を引き出しながらリーダーシップを発揮できるようになることを支えます。
- STEP3:管理職から一般社員への展開段階
日常的な対話を通じて、一人ひとりの個性に応じたキャリア開発を支援します。キャリアトークの実施は、形式的な1on1面談に終始するのではなく、お互いが十分に自己開示し、これまでとこれからのキャリアについて率直に語り合える場を設けます。器づくりの促進では、自身の器の小さな側面が生じる限界を認識・受容した上で、どのような姿でありたいかに関して、器を広げる視点で対話を進めます。挑戦への一歩を後押しする際には、大きな目標に向けた小さな一歩を具体的に設定し、仲間からのポジティブな声かけを通じたチャレンジを支援します。器づくりのための内省・対話の促進では、「なぜその仕事をしたいのか」「どのような価値を提供したいのか」といった内発的な動機を深掘りし、自分らしいキャリアの方向性を見つけるサポートを行います。
③組織の活性化・変容
組織の活性化・変容は、個人の器の成長を組織全体のダイナミズムにつなげるための重要な取り組みです。
制度や仕組みの改定と併せて、組織文化や価値観の変革を通じて、多様性を受け入れ、イノベーションを生み出す「組織の器」を構築していきます。
- STEP1:人事部内での協業段階
組織変革の基盤となる制度設計と戦略策定を行います。人事企画部門を中心とした人材戦略の策定・検討では、短期的な人員配置や業績管理だけでなく、中長期的な組織のありたい姿を見据えた理想像とビジョンを描き、各施策との整合性・連動制を意識します。評価・異動制度の検討においては、単なる成果評価ではなく、「器の大きさ」「協働への貢献」「他者の成長支援」といった要素も評価に取り入れ、また器の成長に結び付くような行動や挑戦を促進する仕組みを構築します。多様な働き方の推進では、リモートワークや時短勤務といった制度面だけでなく、多様な価値観や働き方を積極的に受け入れる組織文化の醸成も同時に進めます。
- STEP2:人事部門から管理職への展開段階
管理職が組織変革の推進役となるための支援も大切です。評価方針の改定では、部下の短期的な成果創出だけでなく、部下の成長支援やチーム全体の底上げへの貢献も評価対象とすることで、管理職の意識と行動の変革を促します。マネジメント支援の充実においては、1on1の進め方、チームビルディングの手法、ダイバーシティマネジメントのスキルなどに加え、組織の器づくりという視点から、限界に直面した際の混乱や矛盾をむしろ好機として受け止める視座を養います。現場対話支援では、人事部門が定期的に現場を訪問し、管理職と一緒にメンバーと対話する場を設けたり、チーム状況の振り返りを行ったりすることで、現場視点と経営視点を統合させながら組織活性化を進めるファシリテートを提供します。
- STEP3:管理職から一般社員への展開段階
管理職との関わりを通じて、一人ひとりが組織の一員として主体的に関わる意識と行動を育みます。「外発的目標 vs 内発的目標」の観点では、会社から与えられた目標と個人の内発的な動機をすり合わせ、両者が調和する形で仕事への前向きな取り組み方を見出します。「組織適応 vs 自分らしさ」の両立支援では、組織の一員としての役割を果たしながらも、自分らしい価値観や強みを活かせる働き方を模索する対話を重ねます。「自己実現 vs 他者貢献」のバランスでは、自身の成長や達成だけでなく、同僚やチーム、組織全体への貢献を通じた充実感も大切にする価値観を育みます。「受容 vs 創発的な関わり」の促進では、現状をありのままに受け入れつつも、より良い未来に向けて新しいアイデアや改善提案を積極的に出し合い、時には発展的に意見をぶつけるような文化をつくっていきます。これらの取り組みを通じて、一人ひとりが組織の器を広げる主体者となることを目指します。
まとめ――組織の器づくりの第一歩
「組織の器」の限界――つまり、現状の組織では抱えきれない領域にこそ、空白地帯が生じています。
だとすれば、空白地帯の問題は、「組織の器をいかに広げていくか」という問いに言い換えることができます。
そして、「組織の器」をつくるのは、組織の構成員全員です。
ただし、特に経営者、人事部門、管理職といった、一定の影響力を持つ立場の人々の関わりが重要となります。
中でも、人事部門は経営層と現場社員とをつなぐ結節点であり、実質的に人事部門の「器の在り方」(=人間に対する基本的な捉え方や姿勢)が、組織全体に影響を及ぼすと言っても過言ではありません。
この「人間に対する基本的な捉え方や姿勢」において、特に課題となりやすいのは以下の2点ではないかと考えます。
- ①短期的な成果一辺倒に陥ってしまうこと
生産性や短期的な成果だけを追求していても、持続可能な組織には発展しません。
組織は社会的な営みであり、人と人との深い関係性の構築が、心身の健康リスクを低減し、モチベーションを高め、中長期的な創造性やイノベーションにもつながるという理解が必要です。
- ②「支援者-被支援者」という無自覚な上下関係をつくってしまうこと
「外部の専門家から人事部門へ」「人事部門から管理職へ」「管理職から一般社員へ」といった関係性において、無自覚に固定的な上下関係が生じてしまうことがあります。
その結果、被支援者が支援者に過度に依存したり、表面的に合わせたりするようになり、真の意味での自律につながらない懸念が生じがちです。
これらの視点を踏まえ、まずは人事部門自身が、部門内で自律的に行動し、関係者と協業し、それぞれの「器」を広げていくための取り組みを、自らの意志で実践していくというマインドセットが大切になります。
人事部門が「なぜ『器』を磨くことが大切なのか」を自分たちの言葉で深く理解し、納得できれば、そのメッセージを管理職にも自信を持って伝えていくことができるでしょう。
そして、管理職と一般メンバーとの対話を促進する場面でも、より力強く支援していけるはずです。
最終的には、「器」という観点をマネジメント層および一般社員の評価指標や育成目標に取り入れ、定期的に「器」の成長を振り返るような仕組みを導入することで、空白地帯は減少し、多様なメンバーから新しい提案が生まれやすい、器の大きな組織へと変容していけるでしょう。
今、あなたの職場で、支援が行き届いていない「空白地帯」はないでしょうか?
組織の中心から外れてしまった異質な人たちを包み込むような視点で、「誰か困っている人はいないか」「最近元気がない人はいないか」などを問いかけてみてはいかがでしょうか。
組織の器を広げるには、一人ひとりの意識と日々の小さな実践の積み重ねが重要です。
そして、心の余裕を意識的に作り出すことが、やがて大きな安心感と組織全体の成長につながります。
今日からできる「器づくり」の一歩を、ぜひ現場でも始めてみてください。