人生のさまざまな場面で、「器が大きい/小さい」という表現を耳にします。
この「器の大きさ」とは、いったい何を指しているのでしょうか。
ただ単に「能力が高い/低い」という尺度では測れない、もっと深遠な意味が「器」には宿っているようにも思います。
私たちが「人としての器」に込める想いには、どれほど異質なものを受け止め、未知の可能性を柔軟に生み出せるかという根源的な受容力と変容可能性があります。
どれだけ異質なものを受け止められるか、どれだけ多様なものを調和・統合させ、そして時には自分自身も新しく生まれ変わっていけるか――そのすべてを、私たちは無意識に「器」という一語に託しているのかもしれません。
例えば同じ困難に直面しても、ある人は余裕を持って周囲を支える一方で、別の人は押しつぶされてしまうことがあります。
その違いを生み出すのは「能力」「スキル」だけの話ではなく、現状を受け止める器の大きさと、自らの器を変化させる柔らかさ――この絶妙なバランス感覚が「器」という概念に内包されているのです。
以前の記事では、器の大きさは、その人が直面する経験(中身)をどれだけ受け止められるかによって相対的に決まる――という考え方を提示し、真に器が大きい人とは、現状に安住せず、常に新たな経験を積み重ね、器を広げようと努力し続ける人であると述べました。
現在、さらに議論を重ねた結果、器の大きさという概念には、「現状の許容量」(=Capacity)と「変容可能性・伸びしろ」(=Capability)という二重構造があると考えています。
本記事では、この「Capacity」と「Capability」という英語概念を手がかりに、「器」というメタファーを掘り下げていきます。
Capacity――「現状の許容量」としてのキャパシティ
Capacityは語源的に、「どれだけ抱え込めるか」「保持できるか」という容量や受容力を意味します。
日常生活でも「キャパオーバー」「キャパに余裕がある」と使われるように、今この瞬間、どれだけの課題や人間関係、感情を自分の中に抱えられるか――その大きさ・深さがCapacityです。
私たちの器には、日々、たくさんの「水(中身)」(=仕事の量や複雑さ、プレッシャー、責任など)が注がれます。
余裕があれば、「水(中身)」をしなやかに受け止めて対処し、心身ともに穏やかに過ごすことができます。
しかし、いざ器から中身が溢れる状況に陥れば、大きな混乱や疲弊が生じることになります。
Capacityが小さく、すぐに満杯で溢れている状況では、ちょっとしたストレスに飲み込まれて、やがてメンタルを崩してしまうかもしれません。
さらに、器に注がれる水の量が多すぎたり、重くて質の悪い泥水を抱え込みすぎると、器の底にひびが入り、器そのものが壊れてしまう懸念もあります(こちらの記事もご参照ください)。
Capacityを高めるための基本的な発想としては、注ぎ込まれる「水(中身)」を適切に処理することが考えられます。
例えば、定期的に休息を取ったり、ストレスの発生要因から離れて周囲の複雑性を減らしたり、あるいは、知識・スキルを高めたりして処理能力を向上させることが挙げられます。
しかし、どんなにうまく水に対処できるようになっても、器自体の形が硬直したままでは、本当の意味での成長や変容には結びつきません。
Capacityは、あくまで「水(中身)」に着目して器の大きさを捉えた発想と言えるでしょう(こちらの記事もご参照ください)。
Capability――「変容可能性・伸びしろ」としてのケイパビリティ
Capabilityは、器の質的変化や成長可能性に関わる力です。
それは、現状の容量や受容力を指すのではなく、自らの器の形を変えながら、新しい可能性を柔軟に受け止めていく「潜在的な広がり」を意味します。
Capabilityの高低のイメージとしては、以下のとおりです。
- Capabilityが低い場合:器は乾いて硬直化している状態
- Capabilityが高い場合:新しい器を柔軟に作り直せる状態
例えば、長年営業で成果を上げてきたAさんが、突然、人事部門への異動を命じられたとします。
Capabilityが低ければ「自分には無理だ」「これまでのやり方しかできない」と固執し、変化を拒むでしょう。
一方、Capabilityが高ければ「これまでの経験を組み替えて、新しい仕事にも活かしてみよう」と柔軟に適応し、むしろ成長の機会として、困難さえも楽しむ姿勢が見られるでしょう。
Capabilityから見た器の大きさは、単に目の前の現状を受け止められるかどうかではなく、これまで入りきらなかった異質なものを受け入れて、器自体を「新たな形」へと進化させようとするダイナミックなプロセスに焦点があります。
CapacityとCapabilityの関係
二つの概念の違いをまとめると以下のとおりです。
- Capacity:現在の器の容量・受容力=受け止められる量や範囲(例:タスク処理能力、ストレス耐性など)
- Capability:器そのものの変容可能性・伸びしろ=新たに学びを通じて成長し続ける姿勢・プロセス(例:学習姿勢、創造意欲、自己変容力など)
例えば、伸びしろのある新人は、現状のCapacityが小さく、すぐに限界に直面するかもしれません。
しかし、Capabilityが高ければ、その限界を糧に、柔軟に学びを重ねて、さらなる成長に向かうことができます。
一方、経験値の高いベテランは、現状のCapacityが大きく、多くのタスクを処理する力はあるかもしれません。
しかし、Capabilityが低ければ、変化を嫌い、新しいことを覚えようとせず、器自体を変容させる努力を怠ってしまうでしょう。
ポイントは、いくらCapacityが大きくても、Capabilityが低ければ、やがて器は硬直し停滞してしまうということです。
そして、Capabilityが低いままでは、大きな変化に直面し、いざキャパオーバーになった際に、器の小さい側面に苛まれて、なかなか適切な対処法が見つからず、袋小路に陥ってしまいます。
だからこそ、常にCapabilityを高めておき、何歳になっても自らの限界を超えて、器を成長し続ける姿勢が大切なのです。
私たちが提唱するARCTモデルは、器が質的に変化するプロセスを示しています(こちらの記事をご参照ください)。
- 蓄積(Accumulation):様々な変化の経験を、器の中に溜め込む
- 認識(Recognition):自らの器の限界に直面し、器の小さい側面を受け入れる
- 構想(Conception):自分らしい器の新たな可能性や、新たな成長の方向性を描く
- 変容(Transformation):新しい自分の器づくりに向けて意識・行動を変える
このモデルで興味深いのは、限界の「認識」というキャパオーバーの側面が、新たな器を「構想」するきっかけになるということです。
つまり、Capacityの小ささは必ずしも否定すべきものではなく、それを通じて限界をきちんと受け止めて新たな構想につなげていくことが、Capabilityを広げる重要な要素と言えます。
器のメタファーを通じた人材開発への示唆
先述したとおり、Capacityを広げるということは、注ぎ込まれる水(中身)を上手に処理することを意味します。
具体的な方法として、タイムマネジメント、ストレスマネジメント、基礎体力の向上、心身のリフレッシュ、新たな知識習得やリスキリングを中心としたアプローチが考えられます。
注ぎ込まれる水(中身)が過剰になればメンタルを壊してしまうリスクがありますので、こうした知識・スキルを高めることは間違いなく必要です。
しかし、これらは「根本的に器そのものを変容させること」を意味するわけではありません。
Capacityばかりに偏り、Capabilityの視点を蔑ろにすれば、器の硬直化を生じさせてしまいます。
Capabilityを高めるということは、ARCTモデルを回しながら、器そのものを新しく作り直すことを指します。
その結果として、自身の在り方(「感情」「他者への態度」「自我統合」「世界の認知」の4領域)が変化していきます(こちらの記事をご参照ください)。
人材開発ではCapacity(スキル・知識)の拡大に意識が向かいがちですが、人としての成長を考える際には、在り方としての器を柔軟に変容し続けるCapabilityを養う観点が不可欠です。
そして、支援対象者のCapacityが限界を迎えたときこそ、ARCTモデルを回して、Capabilityを養うチャンスという認識が重要です。
ただし、Capacityの限界が恒常化してメンタル不全に近い状況では、急激な成長支援は器にヒビを生じさせる危険性もあります。
したがって、休息や負荷軽減、生産性向上や効率化のスキル向上など、Capacityを高める即時的な対応も同時に求められます。
一方で、Capacityの限界の状況を見極めながら、長期的な視点を持って器の成長を促すために、Capabilityを伸ばす機会提供も意識する必要があります。
具体的には、新しい異質な環境に飛び込む働きかけ(「蓄積」の後押し)、限界の認識・内省のフィードバック(「認識」の後押し)、ありたい姿・新たな器づくりに向けた多角的な視点の獲得(「構想」の後押し)、失敗を恐れず挑戦の行動を続ける(「変容」の後押し)といった支援が考えられます。
その変化のプロセスは決して容易ではありませんが、それでも「自分らしい器づくりを楽しむ」という心持ちが大切になります。
器づくりに完璧な正解の形はなく、また他人との比較に過度にとらわれず、少しずつ試行錯誤しながら、自分らしい器をつくっていくという姿勢が重要です。
まとめ
「器」という概念をCapacityとCapabilityの側面から捉えることで、「容量・受容力」だけでなく「どう成長・変容し続けるか」「未知の可能性がいかに開かれているか」という視点の重要性が見えてきます。
現代は、効率や成果が優先される時代で、どれほど複雑な要求を処理できるかという「容量・受容力」ばかりに目が向かいがちです。
しかし、本当の豊かさとは、高度なスキルを身につけることでもなく、また他者から賞賛されるような立派な成果(中身)を手にすることでもなく、自分らしい器の形や質感を知り、それをじっくりと大切に育てていくことにあるのではないでしょうか。
今、あなたの器はどんな形で、どんな手触りで、どんな歴史や深みを持っていて、そして、これからどんな素敵な器に変わっていきたいでしょうか。
この問いかけこそが、自身の器の成長物語の始まりです。
ただ、自分らしい器を大事にしていたとしても、歳を重ねるごとに少しずつ水分を失い、やがて硬くなってしまうかもしれません。
そして、乾ききった器は、形を変えることも、広げることも、一段と難しくなります。
けれど、ARCTモデルを何度も回し続けて、心に潤い――例えば、好奇心や喜びや悔しさや慈愛など――を与え続ければ、誰でも、いつからでも、再び柔らかさを取り戻すことができます。
せっかくの人生、自分だけの器づくりという、終わりのない創作活動を精一杯に楽しみましょう。