情報が溢れ、価値観が多様化し、何が真実か見極めるのが難しい現代社会。
私たちは、意見の対立に心を乱されたり、自分の考えの狭さに気づいて落ち込んだりしがちです。
そのような中で、言葉巧みに美徳や社会貢献をアピールし、自社のビジネスに熱狂的な聴衆を巻き込んでいる人もいます。
そこに個人的な利益や満足を得ようとする意図が巧妙に隠されているとしたら、それを見極められる我々のリテラシーが試されるでしょう。
何が真実で、何を信じればいいのかわからない時代だからこそ求められるのが、物事を広く大きな視点から捉え、冷静に、そして賢明に向き合うための心の状態——「達観」です。
「達観」とは、「広い視野と大きな見通しを持つこと」(デジタル大辞泉)と定義されます。
達観は叡智と似ているようで異なり、物事を深く複雑に捉えようとする叡智に対して、むしろ「それがすべてではない」と手放していく境地が達観と言えるでしょう。
さらに近年の心理学研究は、達観が単なる静観や諦めではなく、高度な知的・精神的な働きに支えられていることを明らかにしています。
具体的には、自己を客観視する力(メタ認知)、知識の本質を見極める力(認識論的認知)、自己の限界を知る力(知的謙虚さ)、そしてそれらを現実の複雑な状況の中で、倫理観を持って賢明に判断する力(実践的智慧)などが挙げられます。
この記事では、これらの心理学的な知見に基づき、「達観」とはどのような心の状態なのか、そして私たちがより「達観」した視点を育むために何ができるのかを探っていきます。
「達観」を支える3つの視点
「達観」は、一朝一夕に身につくものではありません。
以下、達観に関連する3つの視点を掘り下げて考察します。
①メタ認知・認識論的認知
達観に至る上では、私たちがどのように「知識」や「知る」こと自体と向き合うかが極めて重要です。
これには、自身の思考プロセスを客観視する力と、知識そのものの性質を理解する力の両方が関わり、Kitchener (1983) はこれらを階層的に捉える「三層構造モデル」を提唱しています。
- 認知レベル: 知識を用いて課題に取り組んだり、問題を解決したりする基本的な認知活動。
- メタ認知レベル: 認知レベルの思考プロセスを監視し、計画し、評価・修正する、一つ上の階層からの反省的な思考。
- 認識論的認知レベル: 知識とは何か、その限界はどこにあるのか、確実性はどの程度かといった、知識自体の性質や正当性に関する信念や考察。
このモデルでは、より高次のレベルに位置付けられる知識の本質を理解する力(認識論的認知)によって、自分の考え方を客観的に見る力(メタ認知)が規定される可能性を示唆しています。
両者の定義を詳しく見ていきましょう。
- メタ認知 (Metacognition):
まず自分自身の思考プロセスそのものに目を向ける力、すなわちメタ認知が重要です。ここでは、自分が「何を知っていて、何を知らないか」を把握する(メタ認知的知識)だけでなく、自分の思考や学習を「計画・監視・評価・修正する」(メタ認知的制御)能力が求められます (Stanton et al., 2021; Fleur et al., 2021)。メタ認知によって、自分の思考の癖や偏り(バイアス)を自覚し 、客観的に評価・調整することが可能になります。そのため、メタ認知は、後述する知的謙虚さを持ち、多角的な視点を得るための前提と言えるでしょう。
- 認識論的認知 (Epistemic Cognition):
さらに、知識そのものに対する理解としての認識論的認知も欠かせません。これは、「知識とは何か」「それはどのようにして得られ、どの程度確かなものなのか」といった、知識の本質に関する個人の信念や理解を指します (Sandoval et al., 2016; Greene & Yu, 2014)。
多くの場合、知識観は、単純な二元論(知識は絶対的で正解は一つ)から、より洗練された考え方へと発達します。つまり、知識の複雑さ、文脈による依存性、不確実性を認め、単純な答えを求めるのではなく、証拠に基づいて吟味・評価したり、時には判断を保留したりすることも大切です (Greene & Yu, 2014)。知識は絶対不変ではなく、常に改訂される可能性のあるものだと理解することで、多様な意見や不確実性を柔軟に受け入れられるようになります (Sandoval et al., 2016)。
なお、認識論的認知に関しては、前回の記事で触れたWest (2004)の発達段階モデルが参考になります。
現代社会では、シンプルで魅力的で安価なフィクションが蔓延する一方、真実とは、複雑で、吟味・評価にコストがかかり、時に矛盾に満ちていて、ダイナミックに変わり続けるものと言えるかもしれません。
②知的謙虚さ
達観に至る上で、自分自身の限界を適切に認識することが基本となります。
このときに重要な概念が「知的謙虚さ (Intellectual Humility)」です。
知的謙虚さには多様な定義が存在しますが、その核心は「自身の知識には限界があり、現在の信念が誤っている可能性があると認識すること」です (Porter et al., 2022)。
ここには、「自分の知識には限界がある」こと、そして「自分の信念は間違っているかもしれない」という二つの側面があり、ソクラテスの言う「無知の知」にも通じる態度です (Porter et al., 2022; Bąk et al., 2021)。
また、知的謙虚さは、単なる自信のなさや自己卑下とは明確に区別されています。
むしろ、自分の知的能力を過信する「知的傲慢」と、過小評価しすぎる「知的卑屈」との間のバランスの取れた中庸を大切にします (Porter et al., 2022; Bąk et al., 2021)。
傲慢にも卑屈にもならず、自分の考えや信念が絶対ではないという認識のもと、好奇心を持って積極的に新たな情報を求め、異なる視点に対してオープンであることが知的謙虚さを育むうえでの鍵となります。
③実践的智慧
達観は、個人の認識論的な態度にとどまらず、それを現実世界の複雑な状況の中で活かそうとする実践的智慧へと繋がっていきます。
- 統合的知恵モデル :
Glück & Weststrate (2022)が提唱する統合的知恵モデルは、「非認知的要素(探索的志向、他者への配慮、感情制御)」と「認知的要素(知識、メタ認知、自己内省)」が賢明な行動にどのように影響を与えるかを示しています。このモデルでは、知恵の非認知的要素が、認知的要素と行動の関係に及ぼす調整効果に着目しています。すなわち、賢明な個人は、非認知的要素に関係する「知恵の心の状態(wisdom state of mind)」を持っており、それによって困難な状況においても知恵の認知的要素(知識、メタ認知、自己内省)を十分に活用することができます。 - 知恵を促進する「自己脱中心化」:
Grossmann et al. (2020) は「道徳に根ざしたメタ認知の応用による推論と問題解決」という知恵モデルを提唱し、中でもメタ認知(認識論的認知、知的謙虚さ、多様な視点の考慮を含む)が重要であることを指摘しています。ただし、知恵は個人の特性的な性格よりも、経験的文脈や状況によって大きく変動すると考えられ、特に自身の問題に直接関わるような自己関与が強い状況においては、賢明な思考が抑制される傾向があることがわかりました(Grossmann, 2017)。
これを防ぐために、自己中心的な思考を抑制する「自己脱中心化(Ego-Decentering)」という認知的マインドセットの重要性が提唱されています。具体的には、意識的に自己から距離を置く工夫や、自分が置かれている文化や社会といったマクロな文脈の影響を認識することが、状況に応じた適切な知恵の発揮において重要になります。 - 文脈的統合思考としての実践的智慧:
アリストテレスが重視した実践的智慧(フローネシス)は、道徳的な問題に関して、包括的・統合的で、状況に応じた、実践的な熟慮と判断の卓越性(メタ的徳性)と考えられています (Darnell et al., 2022; Kristjánsson et al., 2021)。Kristjánsson et al (2021)は文脈的統合思考としての実践的智慧モデルを提唱し、そこには以下の4つの主要な機能を挙げています。
・構成的機能(道徳的感受性): 置かれた状況から倫理的に重要な要素を認識し、最善の対応を理解する機能です。
・統合的機能: 複数の倫理的に重要な考慮事項が存在する場合に、それらのバランスを取り、最善の行動を選択する機能です。
・青写真機能: 人々がどのように行動すれば繁栄した人生を送れるかという全体論的なビジョンの理解です。これには個人の道徳的アイデンティティが含まれます。
・感情調整機能: 感情経験に理性を組み入れて、感情反応を適切に対処する機能です。ここでは、単に感情を抑圧するのではなく、理性に基づいて感情を調和させることが重要になります。
本記事では認知面の達観に焦点を当てていますが、上述のとおり、実践的智慧では、認知だけでなく、感情、目的、行動を構成要素とした体系的なモデルが想定されています。
すなわち、達観を実践するうえでは、「感情調整機能(感情)」や善い目的を重視する「青写真機能(自我統合)」も重要であり、これを通じて自己中心的な思考を避けられるとともに、どんな文脈でもメタ認知をベースとした道徳的推論(達観した判断)を行えるようになり、賢明な行動につながっていくということが示唆されます。
「達観」した視点を育むための3つのヒント
達観した視点――すなわち「自身の客観視」「知識との向き合い方」「謙虚な自己認識」「統合的な智慧の実践」を、私たちはどのように育んでいけばよいのでしょうか。
以下に、そのための具体的な3つのヒントを紹介します。
ヒント1:メタ認知を高める – 自分の思考プロセスを客観視する
- 思考のメタ的監視: メタ認知的制御の概念に基づき、自分の思考や学習を「計画・監視・評価・修正する」習慣をつけましょう。思考の過程で「今、どのような推論をしているか」「どのような前提に基づいているか」を意識的に問いかけることが重要です。
- 思考のパターンや偏りを認識する: 自分特有の思考の癖やバイアスを自覚し、それらがどのように判断に影響しているかを把握しましょう。「なぜ私はこの結論に至ったのか?」と思考プロセスを遡る練習が有効です。
- 「知らないこと」を明確にする: あるテーマについて「自分は何を知らないか」を明確にする習慣をつけましょう。これは知的謙虚さにも重なりますが、無知を認めることは弱さではなく、むしろ知的成長の第一歩です。
ヒント2:認識論的認知を深める – 知識と「知る」ことの本質を理解する
- 情報の評価基準を持つ: 情報源の信頼性、証拠の質、論理的一貫性などを吟味する習慣をつけることで、認識論的認知の「証拠に基づいて評価する」という側面が強化されます。
- 知識の文脈依存性を理解する: 同じ知識でも、文化的・歴史的・社会的文脈によって解釈が変わりうることを認識し、知識を絶対視せず相対的に捉える視点を養いましょう。
- 知的好奇心を持ち続ける: 新しい視点に対してオープンになり、好奇心を持って学び続ける姿勢が大切になります。
- 思考の複雑さを受け入れる: 複雑な問題に対して、単純化された結論を急ぐのではなく、矛盾や不確実性を一時的に保留する能力を養いましょう。
- 知識の複雑性と不確実性を認識する: 分野によって知識の確実性の度合いは異なります。そのことを理解し、絶対的な正解や真実を求める単純な二元論から脱却しましょう。査読論文に掲載された科学的知識でさえ常に改訂される可能性があるという認識によって、知識そのものへの洞察が深まります。
ヒント3:知的謙虚さを育み、実践的智慧を養う
- バランスの取れた自己評価: 知的傲慢さと知的卑屈さの間の「中庸」を目指しましょう。自分の能力を過信せず、かといって過小評価もせず、適切に自己を評価する姿勢が大切です。
- 自己脱中心化の実践: 「自己脱中心化」を意識的に行いましょう。自分が直面している問題を、あたかも他者の問題であるかのように考えることで、感情的に巻き込まれるのを防ぎ、より客観的な視点を得られます。
- マインドフルネスと感情調整: 感情を無理に抑圧するのではなく、感情を認識しつつも理性と調和させる実践を心がけることは、自己を客観視する上で重要な要素です。
- 時間的・空間的距離を取る: 現在の問題を未来(例:10年後、この問題はどう見えるだろうか?)や異なる場所(例:他の文化圏の人はどう考えるだろうか?)から見る想像力を働かせることで、自己中心的な視点からの解放を促します。
- 文脈的統合思考を養う:文脈を統合的に捉えるためにも、倫理的に難しい問題と向き合い、道徳的な感受性を高めたり、自分も含めて人々がどのように行動すれば中長期的に繁栄した人生を送れるかという人生観を深めることが大切です。これによって、自己中心的な思考を避けて、達観した賢明な判断を行えるようになります。
まとめ
「達観」とは、一部の特別な人が到達する境地ではなく、誰もが日々の意識と実践を通じて育むことのできる、成熟した精神のあり方です。
本記事で見てきたように、達観は、以下の理論的な視点によって支えられています。
まず、「メタ認知・認識論的認知」によって自己の思考プロセスを客観視し、知識の本質を理解します。
次に、「知的謙虚さ」によって自己と知識の限界を適切に認識します。
そして、「統合的な智慧の実践」によって、自身の認識を現実の複雑な文脈の中で捉え直し、倫理的かつ道徳的な観点も含めて現実に適用する方法を模索します。
これらの視点は互いに関連し合い、達観という動的なプロセスを形成していきます。
それは単なる諦観ではなく、深い理解と自己省察に基づき、現実的でバランスの取れた視点によって導かれる賢明な関与を意味します。
その際、自己中心的な視点から距離を置き、広い文脈を考慮することが求められます。
何が真実で、何を信じればいいのかわからない時代において、より穏やかに、より賢明に、そしてより豊かに生きるために、「達観」した視点を育むことは、私たち一人ひとりにとって大きな助けとなるでしょう。
参考文献
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