「人(人間)」「としての(の)」器という表現の違い

総論

私たち研究チームでは、物理的な入れ物である「器」と区別するために、「人としての」という修飾語を付して「人としての器」という言葉を用いています。

これに関して、時折、次のような質問を受けることがあります。

  • 「人としての器」と「人の器」はどのように違うのですか?
  • 「人間の器」ではなく「人としての器」としたのはなぜですか?

「人としての器」「人の器」「人間としての器」「人間の器」という4つの言い回しが想定され、当初はほぼ同義のように考えていました。

しかし、研究が深まるにつれて、そこには微妙なニュアンスの違いがあることが見えてきました。

今回の記事では、これら4つの表現の違いを掘り下げます。


●人としての器 vs 人の器(asとofの違い)

「人としての器」の”としての”を英語で言うとasを意味します。

asは、物事の立場や役割を表し、A(器)とB(人)の2つの並べられた物事が等価の関係にあることを示しています。

一方、「人の器」の”の”を英語で言うとofを意味します。

ofは、B(人)がA(器)を所有し、AがBから出ると同時にBに帰属していることを示しています。

つまり、「人としての器」では人と器が同格に捉えられ、「人の器」では器が人に属していると解釈されます。

よって、「人の器」が人の所有する一部を切り取って器という観点を捉えようとしているのに対して、「人としての器」は、人そのものの全体を見て器を捉えようとしていると考えられます。


●人としての器 vs 人間としての器(personとhumanの違い)

人(person)と人間(human)が持つ意味は微妙に異なります。

人間(human)に関してはロボットや動物と対比して「人類、生物学上のヒト」という意味で用いられます。

また、人間という語では、人と人との集合的な関係に焦点が当てられています。

これに対して、人(person)は特定の個人であり、personは心理学で扱うpersonality(人格)と同じ語源を持つとされます。

辞書で「人」を調べると、「立派な人物。また、特にある事について、しかるべき人。適当な人。すぐれた人」(小学館・〔精選版〕日本国語大辞典)という意味で記載されています。

このことから、「人間としての器」はロボットや動物と対比した人間性を強調し、人類全体の在り方としての器を捉えることになります。

一方で、「人としての器」では、人の特性や人格に焦点を当てて、個々人の存在としての器を捉えることになります。


●まとめ

それぞれの概念では焦点の当て方が異なり、スコープの狭い順に見ていくと次のとおりです。

  • 人の器…個人が所有する部分を見て器を捉える
  • 人としての器…個人の全体性を見て器を捉える
  • 人間の器…人類全体が所有する部分を見て器を捉える
  • 人間としての器…人類全体を見て器を捉える

私たち「人としての器」研究チームでは、まずはミクロ的な視点から「人」に焦点を当てて、その個人の存在全体としての器というものを明らかにしてきました。

これは「人の器」とは異なり、「人」の所有する部分でなく、全体性に焦点を置いています。

一方、今後の研究発展の方向性として、「人間」というマクロ的な集合の視点でスコープを広げていく予定です。

「人間」に焦点を当てて人類全体を捉えようとすると、理想論(べき論)に走る危険がありますが、まずはミクロの「人」に焦点を当てた研究を深めたからこそ、この概念をより明確に理解できると考えています。

その際、一足飛びに「人間としての器」という抽象的な全体を検討することは困難と言えるため、まずは「人間の器」という概念の深堀りから始めていければと考えています。

そこには類似する概念として、「組織の器」や「社会の器」といった集合体を対象とした器の検討が想定されます。

私たちの研究は、まだまだ始まったばかりで発展途上の段階にありますが、今後の「組織の器」や「社会の器」について一緒に研究を進めたいという方は、お気軽にお声がけくださいますと嬉しく思います。

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