「特別版”いれものがたり”×前野隆司」イベントレポート

イベント

日本ならではの文脈から人格的成長や成人発達を探求する「人としての器」。
2023年6月1日、慶應義塾大学大学院教授の前野隆司先生をゲストにお招きした特別イベント「いれものがたり×前野隆司」を開催しました。

人としての器とは何か、その大きさの捉え方、器の成長プロセス、幸せ・ウェルビーイングとの関係、これからの社会における人としての器など多岐にわたるトピックについて、前野先生からの洞察に加えて、会場からも活発な質問やコメントをいただき、深い対話の時間となりました。

以下、印象的な内容をまとめましたので、当日の雰囲気を感じていただければ幸いです。

●小さな器と大きな器
  • 安定した状況であれば、小さな器でも安心感や達成感が得られ、着実にスキルを磨くことができます。大きな器を持つためにはリスクを伴いますし、無理して大きくすると壊れやすい状態になるかもしれません。そのため、身の丈にあった環境で、しっかりと基礎を作り上げることが大切です。
  • しかし、一方で、AIの進化、環境問題、戦争、パンデミック、格差拡大など複雑な問題に直面する現代社会では、知らず知らずのうちにどんどん水が注がれる状況にあり、それを受け止めるためのより大きな「器」が必要となるでしょう。
  • そのため、人としての器の研究は、この時代の世相を反映して始まったと言えます。
  • 器の成長に終わりはなく完成形もありません。そして、器の形や色は自分らしく作り上げることができます。
  • 「自分は器が小さい」からといって自己否定しネガティブになるようなことは避けましょう。むしろ、そのように器の小ささを認識することこそが、大きな器を作るための第一歩なのです。
  • 器が大きい人は、苦難を乗り越えながらも幸せを感じ、そのプロセスを繰り返す中で、さらに大きく成長していくのではないでしょうか。
●器の大きさの評価
  • 器が大きい人は「私は器が大きい」とわざわざ言わないですし、それを言う人は他人から見ればむしろ器が小さいと感じるかもしれません。
  • だから、器の大きさは基本的に自分ではなく他人が決定するものなのだと思います。
  • そして、他人から見て「大きい」と思われる人は、本人に聞くと「まだまだ私なんて大したことないです」と謙遜されることが多いです。
  • また、親子とか教師や子弟関係において、相手を思いやった厳しい言動をしたときに、器の大きさが理解されないケースもあります。
  • ただ、時間が経ったとき、それが自分の成長させるための行動だったと、ようやく理解されるかもしれません。ですので、それが評価されるかどうかは、相手側の器の大きさとの相互作用とも言えます。
  • でも、そういう厳しい言動ができる人は、自分の器がどう思われるかなんて気にしていないことでしょう。やはり本当に人を助けたいとか、相手のことを思って誠実に行動することを第一にしているのだと思います。
  • ただし、相手のことを思っていても、それがパワハラになってしまう人もいます。これに関しては、自己認識や他者への態度によって改善すべきところがあるため、叱る側の器が大きさの問題のようにも思います。
●器の成長プロセス―蓄積→認識→構想→変容
  • 大きな器に変わっていくというのは、ヤドカリのイメージに似ているかもしれませんね。
  • 蓄積→認識→構想→変容という器の成長プロセスは、一人で行うのは難しいので、一緒に歩んでくれる仲間からの支援が重要になると思います。
  • 仲間の支えによって困難を乗り越えられ、その後また困難な経験を繰り返して、少しずつ器が大きくなるというイメージです。
  • これは幸せは一直線に追い求めるものではないという考え方と似ているように思います。つらい経験を乗り越えた人は、何も経験していない人よりも幸福度が高いという研究結果もあります。
●器と幸せ・ウェルビーイング
  • 幸せと器の成長は密接に関連していて、自己実現と成長が幸せを促進しますし、それらは器を大きくすることにも影響を与えると思います。
  • ダライ・ラマのように極めて器が大きい人々は、迫害を受けた中国に対しても許すという態度を取っています。そのような人は、自分の損得を超越した行動ができ、勝ち負けにこだわらないのでしょう。損得より尊徳です。
  • 「結局みんな同じ人間じゃないか」と考えられれば、全ての人に対して同じ態度を持つことができます。そこまでいけば達人ですね。
  • 対立する人に対しても感謝の気持ちを持つことができれば、相当器が大きい人ですし、究極的に器が大きい人はそもそも対立も生じないのかもしれませんね。
  • たとえば、明治維新前の福沢諭吉は、自分の命を狙う刺客に対して「わしの首を取ってどうする。今、我々は学問をして外国に対抗しなければならない。私の首を取る代わりに、私の弟子になりなさい」と言い、そうした態度によって、その相手は弟子になったとされます。
●これからの社会における人としての器
  • 世界の指導者がみんな大きな器を持つ人間ならば、悲しい戦争もなくなるのではないでしょうか。大きな器を持つ人々がリーダーシップを取ることができれば、多くの対立は解消されるのではないかと思います。
  • 時代や社会の価値観によって、器の評価も変わるかもしれません。中世のように、人々が倫理や思想で統治しようとした時代では、大きな器を持つ人々がリーダーになることが期待されていました。しかし、産業革命以降の資本主義社会では、影響力を持ち経済的な成功を追求する人々がリーダーとなる傾向が続いています。そのことで歪みが生じ始めている今、器と向き合うリーダーが求められいるのかもしれません。
  • 知識はChatGPTをはじめAIが教えてくれますが、体験からくる心の成長や幸せの追求は人間に残る楽しみであり、人間自身が持つべきものです。
  • 現代のテクノロジー、AIやITのめまぐるしい進歩の中で、心の研究はその対極にあるからこそ、ますます重要性を増しています。
  • これからはものすごいスピードで世の中が変わっていくでしょう。AIについて学んで変化についていくのと同時に、それと真反対の方向で、心とは何かを理解することが大切です。その両立がうまくできると、これからの10年、20年、あるいは100年後、非常に面白い社会が訪れるのではないでしょうか。


今回、初めての試みでしたが、興味を持って参加いただいた皆様にあらためて感謝申し上げます。

「人としての器」はまだまだ曖昧でつかみどころのない概念ですが、同時に深く追求できるテーマでもあると感じています。

残念ながら本イベントに参加できなかったという方は、アーカイブを「人としての器」のクローズドコミュニティ内で共有しています。

アーカイブ視聴をご希望の場合、通常の金曜の夜は”いれものがたり”に申し込み、その後コミュニティの招待を受けていただきますようお願いします。


金曜の夜は”いれものがたり”は、「人としての器」に関するこれまでの研究成果のエッセンスを紹介し、対話形式で理解を深める入門版ワークショップです。

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