ウェルビーイング、キャリア自律、人としての器の関係

総論

ウェルビーイング、キャリア自律、そして人としての器の三つの概念の関係性について考察します。

これまで、私はウェルビーイングとキャリア自律について、それぞれの第一人者の先生の下で学び、両概念には強い関心があるとともに深い思い入れもあります。

しかし、だからこそ、これらの概念を建設的に批判して発展させる必要性を感じています。

そして、実は、人としての器の研究は、両概念の知見をベースにしつつも、そこに新たな視点をもたらそうという問題意識から始まっています。

したがって、これら三つの概念は、互いにぶつかるのではなく補完し合う関係性にあります。

では、それぞれの重心はどう異なっていて、全体としてどのように統合することができるでしょうか?

今回は、少しチャレンジングな記述になりますが、私なりの考察を言語化していきたいと思います。

ウェルビーイングの重心

ウェルビーイングは、自分自身の生活に満足し、精神的にも身体的にも健康で、自分の人生を意義に感じる状態を指します。

それは、個々人にとっての幸福にとどまらず、組織や社会全体の創造性や生産性にも関連があるとされることから、近年、ウェルビーイングという言葉が脚光を浴びています。

ウェルビーイングは多面的な概念ですが、主観的ウェルビーイングの主たる観点としては、生活の満足度、ポジティブな感情、ネガティブな感情の少なさ、人生の意義、成長実感、社会的なつながりなどが挙げられます。

ただし、ここで注意すべきは、ウェルビーイングはあくまで「自分自身」の良い状態(=幸福)に焦点が当たっているということです。

対して、ウェルビーイングの概念の中には「他者への貢献」「チームとの一体感」「他者からの承認」などが含まれることもあります。

これに関しては、他者への貢献が自己効力感や有能感に結びついたり、チームの一体感や他者承認が本人の安心感や自己肯定感をもたらしたりしていることから、ウェルビーイングに寄与しているという説明ができます。

つまり、ウェルビーイングの重心としては、それが他者との関わりを含んだものであっても、基本的に「自分自身」が良い状態になることを目指していると言えるのです。

もちろん、自分が良い状態であることは、他人に優しく接したり、さらなる自己成長や新たな行動を起こすための重要なファーストステップです。

しかし、一方で、ウェルビーイングがすべての問題を治癒するかのように神格化し、誰もが到達すべき最終ゴールのように捉えてしまうと、手触り感のない崇高なウェルビーイングを、際限なくいつまでも目指さなければいけない呪縛にとらわれてしまいかねません。

そして、当人の主観的な感覚を重視するあまり、いつしか、個々人にとって都合のいい形でウェルビーイングという概念が用いられるようになり、その結果、自分が良い状態になった時点で満足し、それ以上の成長や挑戦を避けるようになったり、あるいは自分の意に沿わない他人とはそれ以上関わらなくても良いという偏った解釈を導いてしまう可能性も考えられるのです。

キャリア自律の重心

キャリア自律とは、自身のキャリアに対する責任を自分自身で持つことを指し、それぞれが自分らしいキャリアを構築していくことを意味します。

変化の激しい現代においては、自らの能力や興味、価値観に基づいてキャリアの意思決定を行い、また変化にしなやかに対応するために学び直しやリスキリングを続けることが要請されており、それがキャリア自律の大切な要素と言えます。

ウェルビーイングでは自己の良い状態に重心がありましたが、キャリア自律では、予測不能で困難な中でも絶えず学びを続け、自分らしいキャリアを形成していくことに重心があります。

したがって、ウェルビーイングをファーストステップとして自身の良い状態を獲得し、そこからキャリア自律の実践としてアクションを起こしていくことは、これからの変化の時代で前向きに挑戦し、自分らしい価値を発揮するためにも重要になってきます。

このとき、キャリア自律では「自分自身」がどのように生きていくかということに焦点を当てています。

実のところ、自律という言葉は、自分を律すると書くように、いかに他者との関係性の中で調整を図っていくかという観点が含まれています。

しかし、自己責任の時代において、どうにか自分が生き残らないといけないという危機感からキャリア自律の必要性が扇動され、その結果、自分らしさや自己主導を強く追い求めるようになり、自身にとって満足のいくキャリアを形成することに注意が向かい過ぎる嫌いもあります。

すると、他者に対する向き合い方は二の次になったり、あるいは自分にとって有益かどうかという観点から他者との関係構築を考えるようになったりするなど、どこか自分中心主義に傾倒していく危険性もはらんでいます。

人としての器の重心

人としての器は、どのように他者や世界と向き合うのか、つまり多様な立場の他者を尊重し、深く理解し、大きな心で包むことに主眼があります。

ウェルビーイングやキャリア自律では、どちらも「自己」を重心に考えることが基本的な前提にありました。

もちろんファーストステップとして自分自身を大切にすることは重要ですが、そこを究極的なゴールとして捉えてしまうと、どこまでいっても自分自身に対する意識の問題にとどまってしまう懸念があります。

これに対して、人としての器は、自己と他者の関係性に焦点が当たっており、他者と向き合っていくうえでの在り方や実践を重視します。

そして、自己と他者の境界を越えたところに豊かさを見出し、理想の器をつくるための自己変容を続け、それが最終的には社会全体を優しく包み込むことにもつながると考えます。

人としての器では、自己と他者との間に深い関係を築くことで、社会全体を統合的に包摂することを希求しており、それがウェルビーイングやキャリア自律で真に目指そうとする世界観にも通じていくのではないでしょうか。

まとめ

ウェルビーイング、キャリア自律、人としての器――これら3つの概念は、それぞれが異なる重心を持ちながらも、互いに見落としがちな観点を補い合う関係性にあります。

ウェルビーイングは自己の良好な状態を、キャリア自律は自己の成長と実践を、そして人としての器は自己と他者の関係に意識が向かい、社会全体として統合していくことを目指しています。

今回の記事は、ウェルビーイングやキャリア自律の領域において率先して活動されている方々をやみくもに批判したり、それによって分断を生じさせたり、ポジショントークをしたりすることを意図しているものではありません。

そうした活動をされている方々の中には、暗黙のうちに器のエッセンスを取り入れながら、他者や社会全体の視点も考慮したうえで取り組んでいる方々もいるはずです。

ウェルビーイングという自分が良い状態であることを大切にしながら、キャリア自律という自分らしいキャリアづくりに向けて、しなやかな一歩を踏み出していくことの重要性は疑いようもありません。

ただし、それに加えて、人としての器に関する学びを深めることで、自分だけでなく他者のことも心から慮れるようになり、その積み重ねがあれば、いつしか不毛な争いの起こらない優しく包摂された世界の実現に通じていくのではないでしょうか。

人としての器という視点から、ウェルビーイングやキャリア自律の意義をあらためて捉え直してみると、これまでゴールと思っていたものとは異なる新たなビジョンを描けるようになるかもしれません。


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