毎月開催しているワークショップ「金曜の夜はいれものがたり」では、参加者の皆様に自身の器にまつわる成長の物語を共有していただいています。
いれものがたりを開始して以降、多くの方の人生の物語を聴いてきましたが、先日、あらためて私(筆者)が語り手を体験した際に、物語を深く理解し、他者と深くつながるには聴き手の態度がいかに重要かを再認識しました。
例えば、映画を観たり、小説を読んだりするときにも、そこで描かれる物語とどのように向き合うかによって、その体験の価値や深さは大きく変わることがあります。
普段、皆さんはどのような態度で物語と向き合っているでしょうか? また、物語を深く味わうためには、どのような態度が必要でしょうか?
今回は、いれものがたりの場面で、語り手の物語をより深く聴くために重要な意識の持ち方と、実践的に必要な二つの技法について考察してみました。
自分中心のパラダイムから相手中心のパラダイムへ
現代社会では、自己表現や自己主張が重視される一方で、相手の話を真剣に聴くことが疎かにされがちです。
真剣に聴くということは、言葉の上では簡単に聞こえますが、実際は一定の訓練を積まなければ、誰でも簡単にできるというわけではありません。
物語を聴く際にも、聴き手が「自分が言いたいことを言う」「自分が聞きたいことを聞く」といった自分中心のパラダイムに陥りやすい傾向にあります。
しかし、深く物語を聴くためには、このような自己中心的なアプローチから、「相手のことを想いながら伝える」「相手が話したそうなことを聴く」という相手中心のパラダイムへと意識を転換する必要があります。
それでは、どうすれば自己中心を防ぎ、相手中心の意識を持ちながら、物語を聴くことができるでしょうか?
その実践には、「感情移入」と「意味導出」という二つのポイントがあります。
必要な技法①:感情移入
物語を深く聴くための第一歩は、「感情移入」です。
これは、物語の中に入り込み、話し手の心の動きを共感的に追体験することを意味します。
物語の中で、語り手がどのような気持ちであるか、どのような状況に置かれているのかを、心でしっかりと感じ取り、その感情に深く入り込むことが重要です。
たとえば、語り手が悲しみを感じている場面では、「この悲しみはどのような出来事によって引き起こされたのですか?」と問いかけます。
そして、「この出来事が登場人物に与えた衝撃は、どれほどのものであったのか?」「その悲しみはどれくらい複雑な感情だったのか?」を考え、その悲しみの深さを探っていきます。
その上で、「その悲しみがどれくらいの期間続いているのか?」「どのように悲しみの質が変わっていったのか?」という問いを立てながら、感情の持続性や、その間の変化にも注意を向けていきます。
さらに、「この悲しみは、当人の身体や行動にどのような影響を与えているのか?」を問いかけることで、感情が肉体的にどのように表れているのかを具体的に想像していきます。
その際、たとえば、呼吸が浅くなったり、言葉に詰まったり、頭が痛くなったりするなど、具体的な身体反応が見られたとしたら、聴き手も語り手の物語を演じる俳優になったつもりで、その状況を一緒に味わうことを通じて、語り手の心の機微をより立体的に捉えることができるでしょう。
しかし、この感情移入には、同時に自己中心に陥るリスクがあります。
それは「共感過剰」です。
感情移入をしすぎると、語り手の感情を聴き手自身の経験と過度に結びつけてしまい、結果として、聴き手が自分勝手な主観的な物語を再構築してしまうことがあります。
その結果、たとえば、「私の経験と非常に近いと思いまして、私の場合は…」といった形で、自分の経験を押し付けてしまうことがあります。
すると、相手中心の意識を見失うことになりますので、この共感過剰を防ぐためにも、二つ目の要素「意味導出」が必要になります。
必要な技法②:意味導出
物語を深く聴くためには「意味導出」も必要となります。
これは、出来事の文脈や背景を全体俯瞰的に理解し、その物語を貫く語り手にとっての重要な意味を見出す姿勢です。
物語は単なる出来事の羅列ではなく、それぞれの出来事には文脈や背景があり、それらを関連付けて理解することで、物語の本質を掴むことができます。
たとえば、語り手が特定の行動を取った理由を考える際、「この行動はどのような動機や状況によって引き起こされたのか?」という問いを立てることができます。
そして、その行動が取られるに至った背景には、どのような文化的価値観や家庭環境や時代背景が関わっているのか、より深く掘り下げながら、場面設定を具体化していくことが必要です。
さらに、語り手に関係する人々や物事との相互作用には何があったか、語り手が取った行動の因果関係を見えていないものも含めた複数の視点から問い直すことで、その背後にある複雑な要因を多角的に整理して、より深い意味を見出すことができます。
しかし、ここでも自己中心に陥るリスクが存在します。
それは「俯瞰過剰」です。
何らかの意味を見出そうとするあまり、物語を客観的に斜に構えすぎてしまい、自説を押し付けたり、批評やマウントに繋がってしまうことがあります。
たとえば、「○○理論によると…」と自分が知っている知識や一般論を展開したり、「まだまだ未熟だね…」「私だったらそうしない」といった形で語り手の物語を自説の展開にすり替えながら否定的に批評したりしてしまえば、相手中心の物語からはどんどん離れていきます。
すると、語り手の物語の本質を見失ってしまうことになかねませんので、この俯瞰過剰を防ぐためにも、一つ目の要素「感情移入」が必要になります。
まとめ
物語を聴くことは決して簡単ではありません。
相手の感情に寄り添い、物語の意味を導き出すためには、自分中心ではなく、相手中心のパラダイムを取り入れることが必要です。
「感情移入」と「意味導出」という二つの実践は相反する面があり、それらのバランスを取りながら、自己中心のリスクに陥らないようにすることがポイントです。
そして、この相手中心の態度を意識して練習することは、すなわち、自分自身の器を広げることを意味しているとも言えます。
「金曜の夜はいれものがたり」は、まさに物語を聴きながら、器を広げていく練習の機会です。
物語を楽しみながら、自分自身の成長を促す機会として、ぜひ、いれものがたりを活用いただければ幸いです。