「特別版”いれものがたり”×前野マドカ 氏」イベントレポート

イベント

2024年8月6日、EVOL株式会社代表の前野マドカさん(以下、マドカさん)をゲストにお招きした特別イベント「いれものがたり×前野マドカ氏」を開催しました(開催概要はこちら)。

マドカさんは、仕事と家庭の両立、子育て、パートナーシップ、介護といった様々なライフ・イベントとwell-being(ウェルビーイング)について、「女性のための幸せ学」として研究・実践されています。

マドカさんのウェルビーイングを体現した在り方の背景には、幼少期から続けていたウェルビーイングで在り続けるための習慣と蓄積がありました。

幼少期の周囲との関わり、枠から飛び出したアメリカ留学、組織や経営について実践を通じて学ばれたPTA活動、現在進行形で家族と協力しながら奮闘中であるご両親の介護など、当日はマドカさんがご自身の器をどのように形成していったのかというエピソードを掘り下げて伺いました。

ウェルビーイングであり続けるため、マドカさんはどのようなことを日々積み重ねてこられたのか、女性としてライフステージが進んでいく中でそれぞれのタイミングでどのように幸せを見出していったのかについて、お話をいただきました。

印象的な内容をまとめましたので、当日の雰囲気を感じていただければ幸いです。


●「いただきます」を通じた感謝・幸せの習慣

両親と共に幼少期のマドカさんに影響を与えていたのが、浄土真宗の僧侶をされていた父方の祖父。

感謝や笑顔の大切さを教えてもらい、その後のマドカさんの人格形成・人間関係のベースとなっているとのことでした。

幼稚園の頃から、長期休みになると、長崎の祖父のお寺に遊びに行っていました。そこでは、まず仏様へのお参りをして、そして感謝してからご飯を食べ始めるという習慣がありました。

当時は「感謝」という言葉の意味もわかっていませんでしたが、そのことが当たり前だと思い、幼稚園や小学校の昼食の時間も「感謝していただきます」と口にしていました。

私は何の違和感も持たずに感謝を習慣化し、その言葉を唱えたり、食べる前に手を合わせたりすることで心が落ち着いていた気がします。

人に感謝するとか、食べ物に感謝するとか、人間が生きていく上で大事な「感謝」を習慣にできる環境にいられたのは、すごくありがたかったです。

幼稚園の時、「友達を作るのに笑顔だといいんだよ。お友達が欲しかったら、笑顔で自分から挨拶をしていると、すぐ友達ができるよ」ということを、祖父に教わりました。

みんなと仲良くできたらいいなという想いもあり、自分から挨拶をするっていうのは幼い頃から心がけていました。

祖父からの影響もあり、両親も「感謝をすることが大事」「自分だけではなく、みんなが幸せになることが大切」ということをよく言っていました。幸福学やウェルビーイングのような言葉は当時ありませんでしたが、振り返ってみると、いま大切にしていることと同じようなことを、幼い頃から大切にしていたように思います。

●家族との関わりを通じて、転校も前向きに捉えていった子ども時代

その後、お父様の仕事の関係から複数回の転校を経験されますが、ご家族からの温かい関わりや素直な性格から前向きに周囲との関係を築いていきました。

両親は私のできること・得意なことに目を向け、私のことを本当によく褒めてくれました。

母がよく話を聴いてくれたので、夕食の時間に、その日学校であったことやその時の自分の気持ちを、気兼ねなく話すことができました。

母に話を聴いてもらえることが嬉しいので、「今日はこれを話そう!」と思いながら、学校から帰っていたことを思い出します。

初めて転校したとき、当初は友達と離れることを残念に思っていました。その時、母が「あなたはとってもラッキーで幸せなのよ。普通は一つの小学校のお友達だけなのに、マドカは違う小学校に行くから倍のお友達ができる。だから超ラッキーよ」と言ってくれました。

素直が取り柄だったこともあり、確かに、今までのお友達とも手紙を通じてつながっていればいい、新しいお友達とも知り合えて、お友達が倍の数できるんだと思い、前向きに捉えられるようになりました。

これまでも笑顔でいることは大切にしていましたが、転校をする中で、勉強や運動ができることで周囲から頼られたり注目されたりすることに気づき、そういったこともより頑張るようになりました。

中学校時代も周囲と関係づくりは大切にしつつ、学級委員に立候補するなど、少し目立つことにもチャレンジをしました。

●それまでの自分の枠を超えようとしたアメリカ留学

温かなご両親の元、学校でも友達と良好な関係を築きながら、勉学にも努力を続けてこられたマドカさん。

社会人になったとき、それまでの自分の生き方を見つめ直し、自分の枠を超えるチャレンジを決意します。

ふと振り返ると、小中高大と自分の限界を超えるくらい頑張ったという経験はなく、親の安心の中で期待されたことをそつなくこなしてきたように思いました。

社会人になって、夢のために会社を辞める同僚の存在や転職する人を目の当たりにする中で、「私も何かをとことん頑張ってみたい」「親の敷いたレールのうえで生きるだけではなく、自分一人で違う世界で生きてみたい」という気持ちが芽生えてきました。

そして、アメリカへの留学を決意したことが、私にとっては一番の転機でした。

当初、親からすると、どこまで本気なのか半信半疑に思われていたのかもしれませんが、3年間、働きながらお金を貯めて、いざ留学に行くときには「本当に行きたかったんだね」と驚かれたことを覚えています。

アメリカでの生活は、全てがカルチャーショックでした。

親が守ってくれていた生活から、初めて一人で飛び出して、これまで身につけてきたやり方が通用しないのをまざまざと見せられた気がします。

どういう目的のため、何をやりたいと思って生きているのか、自分の人生をこれからどう生きていきたいのか。

そういうことを自分でしっかり考えなくちゃいけないと、アメリカ生活を通じて考えさせられました。

●結婚後、母としての器を問われる日々

マドカさんは、アメリカ留学を通じて、その後、夫となる前野隆司さんと出会われます。

帰国し、数年働かれたのち、お子様が生まれるタイミングで専業主婦となり、子育てに全力を注ぐ日々を過ごされました。

その過程で様々な活動を通じ、妻として、母として、また一人の個人としての自己を確立されていきます。

2人の子どもを出産後、夫の仕事の関係からボストンで過ごすことになった時に印象的な出来事がありました。

現地の方に「あなたの夢は何なの?」と聞かれ、私は「この子たちを立派に育てるのが夢だ」と言いました。それに対して「今なんて言ったの?」というぐらいに呆れられたのです。

その方は「子どもを立派に育てるというのは母親としての仕事であって当たり前のこと。夢というのは『個人として自分がこの人生で何を成し遂げたいのか』で、それを聞いてるんだ」とおっしゃり、その言葉がすごく衝撃的でした。

そして、素直にその通りだと思い、帰国後、日本のお母さんたちにも、このことを伝えなくっちゃと考え、「子育てのビジョンを考える会」を横浜市の委託金を受けて立ち上げました。

小学校ではPTA活動を行いましたが、それは社会の縮図のようなところでした。

やりたい人とやらされている人が集まる中で、ボランティアでお給料もいただけないため、PTAをやっているお母さんの多くは、旦那さんからPTA活動をあまり応援されていなかったりするのです。

みんなで同じ方向を見てPTAをやっていくためにどうしたらいいか、私自身、相当悩みました。

そうした中で、自分も専業主婦で世の中の役に立ってない、社会に貢献してないんじゃないかと、自己否定的な感情を持つようにもなりました。

そのとき、夫が「君は何を言っているんだ。例えば学校の先生をやっている人はフルタイムで働いているからPTAをやりたくてもできない。そういう人たちに代わって専業主婦の方たちが時間を費やしてPTAをやってくれている。だから、それはすごく尊いこと。他のできない人の代わりにPTAという形で社会に貢献してるんだ。

それに、マドカが家のことをしっかりやってくれるから、僕が外で安心して良いパフォーマンスで働けるんだ。だから、自分の給料の半分はマドカの稼ぎなんだよ。君は社会の経済活動にもしっかり参加しているし時給もちゃんともらってるんだよ」と言ってくれたんです。

「あっ、私って、夫の半分を稼いでるんだ。家のことをしっかりして、PTAを真剣に取り組むことで、私も社会に貢献してたんだ。私は、私なりの活動を通して世の中に貢献してるんだ」ということがわかり、自信を持つことができました。

昔から人に感謝することを心がけてきましたが、PTAの会長になった時は、それまで以上に、PTAの仲間の皆さんや先生方へ、毎日、何度も何度も感謝の言葉を伝えました。

いま振り返ってみると、人へ感謝することを通じて、自分で自分に感謝の言葉を浴びせていたところもあったように思います。

人と関わる中で、こんなにも幸せを感じられるんだと実感し、8年間のPTA活動を通じて私の「人としての器」は確実に磨かれたと思います。

●チーム全員のウェルビーイングを保ちながら、お母様の介護にも奮闘

ここ数年でマドカさんが新たに取り組み始めたのが、認知症を患ったお母様の介護です。

お母様が過去のことを忘れていってしまうことや、介護の困難さなどから、マドカさんもご家族(お父様、妹様)も筆舌に尽くし難いショックを受けたと言います。

お母さま・ご家族・介護専門職の方・マドカさんご自身を含めたチーム全員がウェルビーイングでいられるためにはどうしたらよいかと、これまでに培った知見を駆使して難局を乗り越えようとされています。

当初は、何もかもが初めてで、私も妹も翻弄されていましたが、介護においても、ウェルビーイングがポイントだと気づきました。

ウェルビーイングではない状態のとき、どうしても視野が狭まり、負のサイクルが回りやすくなります。

ウェルビーイングの研究を通して、私はそのことを知っていたので、何か問題が起きて悩んでいる時も、「いやいや、ちょっと待って。負の感情に引きずられずに、ちょっと俯観してみよう」と、自分を保つことができました。

介護をする中で、真面目な性格の妹が精神的に厳しい状態になったこともありました。その時、私も同じような状態で一緒に引きずられたり、悲しんだりしていたら、2人でダメになってしまうと思いました。

かといって、自分を犠牲にして独りで抱え込み、他のみんなの良い状態ばかり考えても、今度は私が潰れてしまいます。

だから、みんなのウェルビーイングを考えながらも、そこに必ず自分も入れるようにして、チーム全員がウェルビーイングでいられる介護というのを一生懸命やろうと思いました。

当初、厳しい状態だった妹も、「介護に引きずられないで、お父さんとお母さんをちゃんといつでも助けに行けるように、何よりも自分自身が良い状態でいることが大事なんだ」ということをわかってくれました。今は二人で足りないところを補い合いながら、父と母が無理なく安心して暮らせるような体制ができつつあります。

今では、これまでの人生では想像もできなかったほど妹との絆が深まりました。

母が認知症になること自体は大変悲しいことですが、結果として、母のおかげで、私たち姉妹の絆が深まり、また仕事が忙しい中でも、以前より両親に意識を向ける時間を多く持てるようになりました。

そのように、困難な出来事を前向きに受け入れられる自分でいられるのは、ウェルビーイングに出会ったから。

いつも夫とウェルビーイングの話ばかりしているので、それが当然に刷り込まれて、今の私という人格をつくってもらえたのだと思っています。

●当日の参加者からの感想
  • 私も同じように介護に苦心しています。「自分も含めて、全員がウェルビーイングな状態を考える」ことや、俯瞰することの大切さに共感しました。
  • マドカさんのお話をお聞きし、愛をもって人と関わるためには、子どもにも大人にも興味をもって話を聴いてくれる人、応援してくれる人の存在とつながりが必要だと思いました。自分の実体験も振り返り、あらためて感謝を大切にしようと思える機会となりました。
  • 困難に向き合いながらも、それを乗り越えて今のマドカさんがあるのだというお話に心を強く打たれました。物事の捉え方一つで幸せにも不幸せにもなる。私も人としての器を磨いていこうと思いました。

●まとめ

上記のほかにも、魅力的なエピソードをたくさん語っていただきました。

苦しい状況でも、そこに”ある”ウェルビーイングに目を向けて、「ありがたい」と感謝しながら歩みを進められてきたマドカさんの姿勢からは、どんなときにも前向きに生きていこうという勇気をもらえました。

「大変な時こそ、いかにウェルビーイングでいられるか。それによって自分も周囲も守り、そして、器の成長につなげていく」――”ウェルビーイング”も”器”も、逆境や苦しい時にこそ、いかに周囲と手を取って、それを実践・体現できるかが問われるように思います。

私たち「人としての器」研究チームでは、仲間とともに深く通じ合える社会を目指しており、そこに取り組むことへの想いを、より強くする機会となりました。


※本イベントのアーカイブは、「人としての器」のクローズドコミュニティ内で共有しています。通常の金曜の夜は”いれものがたり”への参加者限定でコミュニティにご招待いたしますので、アーカイブ視聴をご希望の場合、まずは”いれものがたり”にご参加くださいますと幸いです。

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