みなさんは「うつわ」という言葉の語源を考えたことがありますか?
「人としての器」を探求するうえで、日本語の「うつわ」の語源を調べてみました。
「うつわ」は一見、単なる容器や入れ物を指す言葉かと思われますが、その根底には深遠な東洋的思想が込められています。
また驚くべきことに、「うつわ(器)」「うつろい(移)」「うつつ(現)」「うつくし(美)」といった「ウツ―」から始まる言葉は共通して、この思想をベースにしています。
そこで今回は、「うつわ」の語源から見えてくる日本人の精神性について考察しました。
語源から見る「うつわ」の思想
「うつわ」という言葉は、もともと「うつほもの」、つまり空(うつ・うつほ)から派生したとされます(角川古語大辞典)。
注目すべきは、「うつわ」という言葉が物体としての器そのものではなく、「空」に着目して表現されていることです。
ここから、すべてが存在しないという「空」を中心に据えた東洋的な思想を垣間見ることができます。
語形の「ウツ―」は、「うつろい(移)」や「うつつ(現)」などにも用いられています。
空っぽの「うつわ」と現実の実態を意味する「うつつ」、対極とも言える二つの用語がなぜ同じ語感で表現されるのか疑問に思いませんか?
これについて、編集工学研究所所長の松岡正剛さんは、「ウツとウツツ」の理論というものを提唱して説明しています。
ウツ(空)はウツロイ(移)を経てウツツ(現実)になっていく、そしてウツツ(現実)には、必ずウツロイ(移)が伴い、その奥にウツ(空)が存在しているというのです。
「うつわ」思想と仏教の教えの関連
このことは、仏教の教え、特に「色即是空、空即是色」と深く繋がっています。
この教義は、目に見えるものや形のあるもの(=色)は部分的な仮のものであり、本質は目に見えないもの、すなわち「空」にあると解釈します。そして、同時に「空」があるからこそ実態である「色」が現れてくると説くものです。
さらに無(空)から有(色)が生まれるという発想は、世阿弥の『遊楽習道風見』の中でも見受けられます。同書における、器に関する記述を以下に引用して見ていきましょう。
仏教の方で説かれる有と無とにあてはめて考えて見ると、有は見に当り、無は器に当る。而して、有というものを顕現せしめる本質は無である。例えば、水晶という物は、誠に清浄体で、色も文もない空体ではあるが、その空体から火を生じ水を生ずる如きものである。水と火という全く別な性質のものを、同じ無色の空体から生ずるというのは、一体如何なる縁生なのであろうか。或る歌に、「桜木はくだきて見れば花もなし、花こそ春の空に咲きけれ」という歌がある。遊楽の道に於て、万曲の芸花を開くところの、その種となるものは、演者の感力の心根である。水晶という空体から水・火を生じ、桜木の無色性から美しい花・実を生ずるように、演者の内心に於ける芸術的意匠よりして、立派な見風の万曲を生み出す達人は、正にこれ器物というべきであろう。
(能勢朝次、やまとうたeブックス)
この文章から、優れた芸術(=有・色)を生み出す達人は、まさに「うつわ」(=無・空)であるということが理解できるのではないでしょうか。
ちなみに、「うつくし(美)」は元々「現奇し」と表記され、めずらしいほどに明瞭な現実感への深い感銘を意味していたと考えられます。
芸術的な美しさも、リアリティのある現実も、無である「うつ(空)」の思想をベースにしているという点が興味深いですよね。
まとめると、うつわは、一見、空っぽに見えるけれど、すべての色を包み込むための余白であり、新たな変化を起こし、ありありとした現実を生み出す母体と言えるでしょう。
「うつわ」思想の現代社会への示唆
「うつわ」の精神性、すなわち変化を一体のものとして受け入れ、形(色)のあるものばかりに固執せず、目に見えない本質を見つめるという思想は、現代社会で生きる私たちに様々な示唆をもたらしてくれます。
「うつわ」という視点であらゆる物事を捉えてみると、世界は単なる固定的な存在ではなく、絶えず変化し進化するダイナミックなシステムであることがわかります。
また、「うつわ」の精神性は、我々が自身の内面と向き合い、自己理解を深めるための一助にもなります。
そもそも私たちは成長とともに老いて移ろいゆく生き物です。
まさに、私たち自身が「うつわ」であり、そこでは絶えず変化が起こり、新しい現実を生み出していく可能性を秘めています。
形のある自己像や固定された将来観に縛られることなく、変化を受け入れ、むしろ変化とともに歩むことで、自分自身も新しく広げていくことが可能なのです。
そう思えば、このプロセス自体が、とても美しいことだと思えてきますよね。
私もあなたも社会も世界も、新たな可能性を生み出す「うつわ」である。
「うつわ」の思想は、現代社会に生きる私たちが物事の本質を見つめ、より深い洞察を得るための鍵になるのではないでしょうか。
まとめ
目まぐるしい変化に満ちた現代社会では、唯一無二の正解を示すことやわかりやすい結果を求め、形のあるものに価値を見出す傾向があります。
しかし、日本人が古くから持っていた「うつわ」の精神性、つまり我々は変化と共にあり、目に見えない部分にこそ本質があるという視点を持つことで、深い洞察力を養い、しなやかに生きていくことが可能になるのではないでしょうか。
私たち一人ひとりが、「人としての器」に向き合うことで、その奥に秘められた精神性を感じ、日々の生活や仕事、人間関係に生かしていくことで、より豊かで充実した人生を送ることができれば幸いです。
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