「人としての器」について、実践的な理解を深めていくためのケースを作成しました。
以下のマネージャーAの評価面談におけるふるまいをみながら、「人としての器」という観点で、何が課題なのかを考えてみましょう。
ケース:評価面談におけるマネージャーAのふるまい
【状況】
ある企業においてマネージャーAは、3人の部下を持っています。
通期(1年間)の評価面談の時期、部下Xが提出した本人評価を見ると、6つのプロセス評価のカテゴリのうち、Sが3つ、Aが3つという結果になっていました。
部下Xはたしかに優秀で、今期は他のメンバーが思いつかないような新しい提案を積極的に行い、組織の活性化や利益に貢献しました。
しかし、人件費の問題と部内のメンバー間での評価にあまり差を付けたくないと考えたマネージャーAは、Xが提出した本人評価をすべて1段階下げて、Aを3つ、Bを3つとして最終評定を返しました。
すると、部下Xから、なぜ最終評定が下がったのか明確に説明してくださいと指摘を受けました。
以下、フィードバック面談の場面におけるマネージャーAと部下Xのやりとりを見ていきます。
マネージャーA:
本部長と話して総合的に判断した結果、最終評定でこうなったのは、点数を押し上げるような特別なものがなかったというのが理由なんだよね。
部下X:
Sを取るには、どのような基準があるのですか?
マネージャーA:
それは、それぞれの項目によって基準は違うんだけど。。。今回は、要するに、押し上げる要素がなかったという話なんだよ。
部下X:
その押し上げる要素を知りたいんです。そこがわからないと、何をやったらSになるのかがわからないままなので。
マネージャーA:
君の言うことも、わかるんだけどね。でも、やはり「これはというものがなかった」ということなんだよね。
部下X:
その「これはというものがなかった」という認識にバイアスがあったという可能性はないですか?
マネージャーA:
それはさ、普段から折に触れて話もしているし、君の働きぶりもつぶさに見ているから、私の認識が誤りだったということはないと思うよ。
それに、私の判断が間違っている、間違っていないということを言い出すと、この話は終わらなくなるじゃんか。
だから、その点は、どうか理解してほしいな。
もちろん、君の要望に100%応えられているとは私も思っていないよ。
君が評価を受ける立場で、いくらか納得できないというのもよくわかる。
だけど、どんな評価制度でも完全なものはないからさ。
それを言い出すと本当にキリがなくなるんだよね。
部下X:
制度上で、完全なものがないという点は、私もわかっています。
だから、制度にはある程度、ゆとりをもたせていて、現場の運用者の判断で決められる余地を残しているものと理解しています。
だからこそ、マネージャーが部下に納得感の得られるような回答をしないと、次年度のアクションやモチベーションにも影響していくのではないでしょうか?
それなのに、「これはというものがなかった」「それを言い出したらキリがない」と言って、この話を切り上げてしまうのはどうなのでしょう。。。
マネージャーA:
私は、もう、それしか方法がないと思っている。
だって、評定Sは「これはすごいね」とならないとつかないものだから。
それについて、基準を明確にしてと言われても正直難しい。
まあ、例えば、君が管理職全員を巻き込んで、社内も業績も劇的に変わったら、私も「それはすごい」「これはSに値する」という話になると思うよ。
部下X:
そういう結果に表れているものは業績評価の対象ではないでしょうか? 今回はプロセス評価の話をしているのですが。。。
マネージャーA:
いやいや、プロセス評価だとしても、そういう結果が見えないと、判断がつかないんだよね。
だって、本当に管理職を巻き込んで、彼らが動き出したら、「すごいね」と思ってもらえるじゃん。
だから、それくらいのことをすれば疑いようもなくSがつくということなんだよ。
君がいくらプロセスや行動で、そういった気持ちでやっていたとしても、それが結果として出てこなければ評価できないんだよ。
あと、もう一つ、ついでに言っておくと、今期の行動が本当に安定して発揮できるものなのかどうかをもう少し見てみたいというのもあるんだよね。
今回、一回やりましたというだけでは、「本当に安定して発揮できるの?」となるからさ。
Sのレベルっていうのは、そういう疑問すらも生まれないわけ。
だから、結果が安定しているなって思われるくらいにやってもらわないとSは難しいかな。
部下X:
その安定というのはどれくらいのスパンを想定しているのですか?
マネージャーA:
いやいや、評価のスパンは1年間だからね。
Sの場合は、明らかにみんなが「すごい、すごい」となるから、こんなふうに安定性に関して疑問を抱かれることもない。
そして、Sなら、そもそもこんなふうに評価結果で揉めることもないはずだから。
(以上、ケース終わり)
上記のケースをご覧いただいて、どのように感じたでしょうか?
他者を評価するということは、きわめて難しいものです。
私たちが日々仕事をしている文脈は非常に複雑で、多様な関係者とのインタラクションが存在し、そして長い期間に及ぶ取り組みがあります。
それをたった5段階の評価ラベルで単純化すること自体が、前提として問題をはらんでいるとも言えるでしょう。
みなさんは、上記のケースにおいて、マネージャーAの姿勢にどのような課題があったと思われたでしょうか?
ここで読み進めるのを止めて、一度、ご自身で考えてみていただけますと幸いです。
***
部下Xは自己評価と上司からの評価にギャップがある理由、S評価とA評価の差異、そしてS評価の基準について知りたがっています。
しかし、マネージャーAはこれらについて明確な説明を行おうとはしません。
そして、マネージャーAは部下Xを納得させるために、自分の世界の中で成立している論理を持ち出します。
それは、「これはというものがなかった」「普段からコミュニケーションを取り、君の行動を詳細に観察している」「Sのレベルは、安定性に関する疑問すらも生まれない」といった表現から垣間見られます。
つまり、すべての基準は(それが明確でないとしても)マネージャーA自身の中にあるのです。
しかし、マネージャーAは、その基準に関して、あるいは彼の主張に関して批判的に反省することはありません。
彼の話は自己完結であり、相手が自分の考えを理解しているかどうかすらも振り返ろうとしません。
言い換えれば、彼は聞き手の立場を真剣に考えようとしていないのです。
マネージャーAは、部下Xのどのような行動を見て、それをどのような理由で評価の根拠としたか、自分自身でもはっきりと理解していないのでしょう。
彼はS評価とA評価の違いを明確に区別できておらず、それらの評価が持つより深くて複雑な意味合いに気づかないまま自分の論理を展開しようとしているのです。
さらに、マネージャーAは自身の経験から培ってきた方法論で相手を説き伏せようとしています。
「結果が見えないと判断できない」という彼の言葉は、彼が目に見える結果に依存する傾向を表しています。
このとき、彼にとっては「プロセス評価」という概念が何を意味するのかをあらためて検討するまでもなく、自身にとって都合が良いように概念をゆがめながら用いているのです。
そして、彼自身の経験則が必ずしも通用しない場合や、自身の意図通りに物事が運ばない時には、「なぜ私の言うことが理解できないんだ」という不快感を抱きながら、少なからず感情的になっている可能性も見受けられます。
マネージャーAは、部下Xの言葉の背景を深く聞こうとせず、ほとんどの会話で否定的に返答し、どうにか自分の考えが正しいことをわからせようと必死なのです。
もし、このようなマネージャーの下で、彼の自己完結な態度がまかり通るような状況が続いたとしたら、いずれ組織のメンバーは誰もマネージャーAのやり方に疑問を呈することもできない事態に陥ってしまうかもしれません。
まとめ
私たちの周りにはマネージャーAのような人は少なくありませんし、知らず知らずのうちに自分自身がマネージャーAのようになっているかもしれません。
今回のケースのように、認識の違いによる対立が発生したときこそ、「人としての器」の在り方に意識を向けることが重要です。
初めはなかなか難しいかもしれませんが、「感情」「他者への態度」「自我統合」「世界の認知」という四領域の観点から自分の器を省みることできるようになると、自分の世界が正しいという発想で相手を説得したり、相手の意見をむやみに否定したりすることも少なくなります。
ぜひ、あなたがマネージャーAになりきったつもりで以下の問いを考えてみてください。
- このとき、あなたはどのような「感情」を抱いていますか? 冷静に動じずにいられるでしょうか?
- このとき、あなたはどのような「他者への態度」で接していますか? 真剣に相手の話に耳を傾けようとしているでしょうか?
- このとき、あなたはどのような「自我統合」の過程にありますか? 社会性を含んだ自身の信念やありたい姿を意識した状態にいるでしょうか?
- このとき、あなたはどのような「世界の認知」を持っていますか? 広い視野から様々な可能性を検討しようとしているでしょうか?
こうした実践を積むことで、少しずつ「異なる視点を与えてくれてありがとう」「私の考えを広げてくれてありがとう」といったように、立場の異なる相手への感謝の気持ちを持てるようになるかもしれません。
大前提として心に留めておきたいのは、私たちはすべてを完全に理解できていないし、自分にはまだまだ知らない部分がたくさんあるということです。
それは立場が親であっても、年上であっても、先輩であっても、上司であっても、先生であっても、学歴が高くても、社長であっても共通して言えることです。
そして、これこそが「うつ(空)」の思想をベースにした、人としての器の考え方の根幹ではないかと思います。
「人としての器」を学び、実践するということは、これまでの自分では見えていなかった可能性を優しく包み込んでいく姿勢で、対立するような他者の考えにも耳を傾けて、理解しようと努めることなのです。
より詳しく「人としての器」を学びたい方は、金曜の夜は”いれものがたり”にご参加ください。
これまでの研究成果のエッセンスを紹介し、対話形式で理解を深める入門版ワークショップです。