実を言うと、以下のような言動に直面するたび、少しモヤモヤした気持ちを抱えていました。
①「これまでのビジネスの現場では感情を忘れたり、抑え込むことが当たり前になっていた。だから、これからの時代は自分の感情に意識を向けることが大切です」
②「多様性の時代では、さまざまな個性や価値観を排除せずに受け入れることが大切です。もっと弱者や少数派の声を尊重し耳を傾けましょう」
③「自律が求められる時代です。他者に依存するのではなく、もっと自我を出して、我がままに信念を貫くことが大切です」
④「ビジネスにおいて、勘と経験だけで判断することは危険です。理論を体系的に学び、エビデンスに基づいた意思決定が大切です」
これらの言説はどれも正しいもので、私はこれらを一概に否定したいわけではありません。
しかし、上記の言動が指し示す方向性によってすべての靄が晴れるほど、現実は単純ではありません。
ここ数ヶ月、上記の言動の背後には、見落とされがちな重要な要素が隠れているのではないかと考えていました。
そして、このことを踏まえて器の四象限の詳細な要素を眺めてみたとき、四象限にも矛盾した観点が内包されていることに気づきました。
つまり、人としての器は相反するジレンマの中で揺らぎながら成長するものであり、上記の①から④の言動はいずれも器の片方の側面に向かう発想に偏っていると言えます。
なぜ上記の言説では不十分なのかという問いに対して、もう少し具体的に答えるために、「感情」「他者への態度」「自我統合」「世界の認知」という順番で見ていきたいと思います。
●感情:「感性」と「自制」の矛盾
感情の領域には「感性」と「自制」という矛盾した方向性が内包されています。
感性とは、「物事を心に深く感じ取る働き。感受性」(デジタル大辞泉)と定義されます。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、ポジティブ感情、共感性、感覚的な豊かさに結びつく概念です。
上述した①「自分の感情に意識を向けること」は、まさに感性を捉えた言説と言えます。
AI時代において、論理に基づく正解のある世界観の限界が指摘され、人間ならではの感性に目を向けさせる主張が多く見られます。
一方で、感性の背後には、自制=セルフコントロールが隠れていることを忘れてはいけません。
自制とは、「自分の感情や行動を自分で制すること。克己」(デジタル大辞泉)と定義されます。
これは無理やりに自分の感情を抑え込むのではなく、必要な場面で自分自身の反応をコントロールし、より良い方向に感情を変えていくことを指します。
自らの内面に沸き起こる感情をうまく扱えるようになると、自制ができるようになります。
人としての器の詳細な要素で言うと、穏やかさ、冷静さ、レジリエンスに結びつく概念です。
感性を重視する言動が強まれば強まるほど、自分の感情に従って、素直な感情を表出することの正しさが説かれるようになります。
しかし、その行き着く先で、感性が暴走していったり、感情を表出しない者を断罪したりするようになってしまえば極端な世界観になりかねません。
感情において、感性と自制は裏表の関係にあり、両者を揺らぎながら成長していくことが重要になります。
●他者への態度:「受容」と「創発」の矛盾
他者への態度の領域には「受容」と「創発」という矛盾した方向性が内包されています。
上述した②「さまざまな個性や価値観を排除せずに受け入れる」ことは、まさに受容を捉えた言説と言えます。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、傾聴、尊重、謙虚さに結びつく概念です。
ダイバーシティ&インクルージョンや個性化の時代において、弱者や少数派の声に耳を傾けることはとても大切です。
一方で、その受容的な姿勢ばかりを続けていった結果、その相手は気づけば傲慢になり、過剰に個性を求めるようになり、声高に自己の権利を主張するノイジーマイノリティの議論に発展する恐れがあります。
したがって、無批判に盲目的に受容するだけでは不十分であり、それと同時に「創発」という態度を持つことが重要となります。
創発とは、「要素間の局所的な相互作用が全体に影響を与え、その全体が個々の要素に影響を与えることによって、新たな秩序が形成される現象」(デジタル大辞泉)と定義されます。
要するに、他者のことを単に受容するだけではなく、相手の学びや変容にも貢献し、相互に影響を及ぼし合いながら、新たな秩序をつくる姿勢も重要です。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、育てる、任せる、対話上手に結びつく概念です。
受容を重視する言動が強まれば強まるほど、なんでも否定せずに受け入れるほうが正しいという風潮が出来上がっていくかもしれません。
一方で、近年の心理的安全性の議論においても、対立する意見を恐れずに言えるという本来の意味ではなく、ぬるま湯的な優しさを大事にするという誤解が生じ、依存を引き起こしてしまっていると指摘されています。
健全に創発するためには、何かしらの痛みや試練を伴いながら切磋琢磨し、一皮むけるような発展をしていく関わり方が必要になるのです。
他者への態度において、受容と創発は裏表の関係にあり、両者を揺らぎながら成長していくことが重要になります。
●自我統合:「自己」と「社会」の矛盾
自我統合の領域には「自己」と「社会」という矛盾した方向性が内包されています。
上述した③「自我を出して、我がままに信念を貫くこと」は、まさに自己を捉えた言説と言えます。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、自立、信念、チャレンジに結びつく概念です。
自分にとって大切な価値観を知り、自己実現を目指していくことは、人生の喜びであり素晴らしいものです。
一方で、それが極端になったとき、自分本位なエゴや心地よさを基本的な権利として過剰に主張されるようになる危険性があります。
だからこそ、自己を深めることと同じくらい、「社会」という観点も深めていくことが重要です。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、利他、柔軟性、誠実さに結びつく概念です。
意識の発達に関する代表的な研究であるロバート・キーガンらの主体・客体理論でも、その重心は自己と他者(社会)を交互に行き来しながら発達が進んでいく傾向が見られます。
具体的には、自己中心段階(自分の欲求を満たすこと)→他者依存段階(社会の秩序に適応すること)→自己主導段階(自己認識を高めて主体的に取り組むこと)→自己変容段階(他者との関係の中で違いを統合させていくこと)の順に進んでいきます。
次の段階に進むためには、現状の段階を味わい尽くして、客体化して批判的に見ることが重要とされています。
したがって、自己を重視する言動が強まれば強まるほど、むしろ、社会に目を向けていくことが必要になり、逆に社会のほうを重視する言動が強まれば強まるほど、むしろ、自己に目を向けていくことが必要になるでしょう。
自我統合において、自己と社会は裏表の関係にあり、両者を揺らぎながら成長していくことが重要になります。
●世界の認知:「叡智」と「達観」の矛盾
世界の認知の領域には「叡智」と「達観」という矛盾した方向性が内包されています。
叡智は「すぐれた知恵。真理を洞察する精神能力」(精選版 日本国語大辞典)と定義されます。
上述した④「理論を体系的に理解し、エビデンスに基づいた意思決定をすること」は、まさに叡智を捉えた言説と言えます。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、知識、思慮深さ、本質的思考に結びつく概念です。
勘と経験だけで判断するのではなく、既存の理論を踏まえ、現実のデータを見ながら、深い洞察を行っていくことはビジネスの意思決定の場面では非常に重視されています。
一方で、それを通じて対象を深めることだけにとらわれていく傾向があることも忘れてはいけません。
すぐれた叡智を持てば持つほど、自分の立脚するフィールドにおける正しい形が明らかになり、どこか世界の真理や成り立ちを理解できた気持ちになってくるものです。
しかし、認識論的な立場が違えば、その叡智に基づく正しい知識は、みんなにとっての絶対的な正しさとは言えない可能性もあります。
そのため、達観という心構えも重要となります。
達観とは、「広く大きな見通しをもっていること。遠い将来の情勢を見通すこと」(デジタル大辞泉)と定義されます。
これは人としての器の詳細な要素で言うと、視野の広さ、視座の高さ、大局観に結びつく概念です。
達観することによって、叡智の限界をメタ的に捉えられるようになります。
世界の認知においては、叡智に基づく認識の深さと、達観に基づく認識の広さが重要となります。
しかし、深さを重視すれば広さがおろそかになり、広さを重視すれば深さがおろそかになるため、この両立は簡単ではありません。
叡智と達観は裏表の関係にあり、両者を揺らぎながら成長していくことが重要になります。
●まとめ
冒頭に示した①から④の言動はいずれも器の片方の側面に向かう発想のみに偏っていると考えられます。
器の「中心」を深くしていくことも大切ですが、一方で、その「外縁」を広げていくことも大切になります。
- 人としての器:中心←→外縁
- 感情 :自制←→感性
- 他者への態度:受容←→創発
- 自我統合 :自己←→社会
- 世界の認知 :叡智←→達観
ただし、両者は相互に高め合える関係というよりも、むしろ矛盾した関係にあるため、中心と外縁を同時に成長させていくことは簡単ではありません。
そのため、まずは自分の置かれた状況や自分にとっての偏りを見つめていき、そして、意識的に未発達の方向へと成長させていくことが重要になるのではないかと思います。
感情制御が得意な人は感性の発達を心掛け、感性が優位な人は自制の発達を心掛けると良いでしょう。
他者の受容が得意な人は創発的な他者との関わりを心掛け、自分の主張を伝えられて創発することができる人は受容的な関わりを心掛けると良いでしょう。
深い自己認識ができる人は社会への貢献を意識することを心掛け、社会や周りの目を意識してきた人は深く自己を探求していくと良いでしょう。
叡智を深めてきた人は自分のフィールドを手放して達観することを心掛け、様々な人生経験を通じて達観できる人は特定のフィールドに腰を据えて叡智を深めていくと良いでしょう。
上記のとおり、人としての器は、相反する矛盾の中で揺らぎながら成長するプロセスを重視します。
そこに決められたゴールや正解はありません。
断定的な主張がもてはやされがちですが、流行りの言説に左右されるのではなく、その背後に隠された矛盾を受け入れて乗り越えていくことを通じて、自分らしい素敵な器をつくっていきましょう。
より詳しく「人としての器」を学びたい方は、金曜の夜は”いれものがたり”にご参加ください。
これまでの研究成果のエッセンスを紹介し、対話形式で理解を深める入門版ワークショップです。